【君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く】徹底解説!!意味や表現方法•句切れ•鑑賞文など

 

額田王は飛鳥時代の女性歌人で、「万葉集」に残された歌は有名和歌として現代でも親しまれています。

 

彼女は歴史小説など数多くのフィクションにヒロインとして登場することも多いので、名前を聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。

 

今回はそんな額田王の和歌「君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く」を紹介します。

 

 

 

本記事では「君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く」の詳細を解説!

 

君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く

(読み方:きみまつと わがこいをれば わがやとの すだれうごかし あきのかぜふく)

 

作者と出典

この歌の作者は「額田王(ぬかたの おおきみ)」です。

 

西暦7世紀半ばの飛鳥時代を生きた女性歌人です。和歌を作って宮中で披露する女官を務めていて、大海人皇子(おおあまの おうじ。後の天武天皇)と結婚をしました。その後に大海人皇子とは別れ、彼の兄である中大兄皇子(なかのおおえの おうじ。後の天智天皇)の妃となったと伝えられています。額田王は7世紀後半に興った白鳳文化を代表する歌人で、宮廷人らしい格調高い優雅な歌や、女性的な艶のある歌を残しています。

 

また、この歌の出典は「万葉集」です。

 

8世紀末頃に完成したとされる日本最古の歌集で、歌人の大伴家持が編纂したと言われています。全20巻、約4500首の和歌を集めた大作で、宮中で詠まれた歌の他にも下級役人や農民が作った歌も収められています。当時の天皇や貴族をはじめ庶民の暮らしぶりが分かる資料としても大きな価値のある歌集です。額田王の和歌は「万葉集」に12首残されています。

 

現代語訳と意味 

 

この歌の現代語訳は下記のようになります。

 

「あなたを待って私が恋しく思っていると、私の部屋のすだれを動かして秋の風が吹いていきます。」

 

恋しい人が訪ねて来るのを待っていて、微かにすだれが動くのにはっとして見ると風だったという内容の歌です。来訪を今か今かと期待するあまりに、風が立てるような少しの物音やすだれの揺れにも敏感に反応してしまう女心が詠まれています。

 

作者である額田王が天智天皇を想って詠まれた歌とされています。

 

文法と語の解説

  • 君待つと

あなたを待っている時に、といった意味です。「と」はこの歌では「~する時に、~するところに」という意味で使われています。

 

  • 吾が恋ひをれば

私が恋しく思っていれば、といった意味です。「吾(わ、われ)」は「我」と同様に自分を指す一人称です。

「恋ひをれ」は「恋ひをる」の未然形で「恋ひ居る」と書き、恋しく思ってじっとしている、その状態が続いていることを表します。「ば」は「~していれば、~するならば」などの意味を持つ接続助詞です。

 

  • 我が屋戸の

私の家の戸の、という意味です。「屋」は「家」と同じ意味で建物を指します。「戸」は出入り口を指します。

 

  • すだれ動かし

すだれを動かして、という意味です。「すだれ」は漢字で「簾」で、細く削った竹や葦などを編んで出入口に下げ、人目や日光を避けるために使うものです。

 

  • 秋の風吹く

秋の風が吹くという意味です。

 

「君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く」の句切れと表現方法

句切れ

全体が一つの文章としてまとまっていて切れ目がないため、この歌は「句切れなし」です。

 

反復法

反復法とは同じ音や言葉を繰り返すことで歌にリズムを出したり、その語句を強調したりする技法です。

 

この歌では第二句と第三句で「わが」という音を繰り返していて、歌にテンポの良いリズムが生まれています。

 

「君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く」が詠まれた背景

(天智天皇・古今偉傑全身肖像 出典:Wikipedia)

 

この歌は、天智天皇を想って詠まれたものとされています。

 

当時は「通い婚」といって、夫が夜に妻の家に通ってくるのが夫婦の形でした。一夫多妻制だったため、天智天皇には作者の他にも妻がおり、夫が毎夜自分の元を訪ねて来るとは限りません。それでも作者の額田王は期待して待っていたと考えられます。

 

彼女は夫が訪ねて来る足音が聞こえないか、そわそわして耳をすませていたのではないでしょうか。その時に入口に掛けていたすだれが僅かに動き、ハッとして見たのでしょう。しかし、すだれを動かしたものは夜風でした。

 

中国で詠まれた漢詩に、夫の留守中に妻が夜風ですだれが揺れるのを見ながら寂しく眠るという内容のものがあり、当時の日本にも伝わっていました。額田王は宮中で歌を詠むほど教養のある女性ですから、その漢詩を知っていたかもしれません。

 

「何だ風か…」という失望感を感じながら彼女は漢詩の女性と自分を重ねて寂しく思い、その後も夫を待ちながらこの歌を詠んだのではないでしょうか。

 

 

「君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く」の鑑賞

 

「君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く」は、愛しい相手の訪問を待ち続けていて、すだれが僅かに動いただけでも敏感に反応してしまう恋心を詠んだ歌です。

 

「わが」の繰り返しは歌にリズムを持たせると同時に「恋しく思う私」を強調し、相手への想いの強さを表現したようにも思われます。

 

第四句までは恋しい人を待つ女心が描かれますが、第五句ではそれに落ちを付けるように「秋の風が吹いただけだった」と失望感が表現されています。「秋の風」は「春の風」のように暖かくなく、ひやりと冷たくて「君」が来ないことを予感させ、寂しい余韻を残します。

 

この歌には「君」を想って待ち続ける初々しいほどの恋心と、それとは対照的に自分は飽きられてしまったのではないかという冷たい不安感が描かれており、好きな相手を想って揺れる女性の繊細な心が感じられます。

 

作者「額田王」を簡単にご紹介!

(下居神社にある額田王の歌碑 出典:Wikipedia

 

額田王(ぬかたのおおきみ)は、飛鳥時代の歌人です。

 

西暦620年頃の生まれではないかと推測されていますが、はっきりとは分かっていません。日本最古の正史である「日本書紀」に「鏡王という皇族の娘で大海人皇子に嫁いで女の子を産んだ」という内容の記述があるだけで、その人物像は謎に包まれています。

 

彼女は和歌の才能があり、大海人皇子の母に気に入られて女官として宮中で和歌を詠んでいましたが、大海人皇子に見初められて結婚をしたようです。しかしその後、大海人皇子の兄である中大兄皇子の妻となりました。中大兄皇子は大化の改新を行い、律令国家の基礎を作ったとされる人物です。

 

大海人皇子が作った和歌に、兄の妻となった額田王を想うような内容のものがあり、兄弟がその後不仲になっていくことから、兄弟が彼女を取り合ったのではないかという見方もあります。

 

彼女の正確な人物像は謎のままですが、万葉集に残された和歌からは二人の皇子に対する細やかな愛情が見て取れます。また、知識の多さを感じさせる言葉選びをして和歌を作っていることからも、彼女が勉強家であったことが推測されます。額田王は賢く物知りで、それでいて繊細な魅力的な女性だったのでしょう。

 

額田王のその他の作品

 

  • 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
  • 秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治の宮処の 仮廬し思ほゆ
  • 三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや
  • あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
  • み吉野の 玉松が枝は はしきかも 君が御言を 持ちて通はく