【寺山修司の有名短歌 30選】おすすめ!!短歌の特徴や人物像・代表作など徹底解説!

 

今回は、歌人であり劇作家あり評論家でもあった「寺山修司(てらやま しゅうじ)」の有名短歌を30首ご紹介します。

 

 

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ぜひ最後まで読んでください!

 

寺山修司の生涯や人物像・作風

 

寺山修司(てらやま しゅうじ)は、1935年(昭和10年)に青森県で生まれました。

 

歌人、俳人、詩人、脚本家、演出家、映画監督、写真家、エッセイストと多くの肩書を持ち、どの分野においても優れた仕事を残しています。

 

詩や俳句・演劇と多角的に活躍しましたが、その中でも短歌に新しい表現形式を見出し、中央へのデビューは歌人としてでした。

 

1983年に肝硬変が原因で亡くなりました。享年47歳という早過ぎる死でした。

 

(高尾霊園A区にある寺山の墓 出典:Wikipedia

 

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寺山氏の作風は革新的かつ前衛的で今なお多くの人に愛され、強い個性をもって今でも私たちに迫ってきます。

 

寺山修司の有名短歌【30選】

(三沢市寺山修司記念館 出典:Wikipedia)

 

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ここからは、寺山修司のおすすめ短歌を30首紹介していきます!

 

寺山修司の有名短歌【1〜10首

 

【NO.1】

『 あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな 』

【意味】たとえ恋こがれて死んだとしても、私を「ああ、かわいそうだ」と言ってくれそうな人は思い浮かばず、きっと私はむなしく死んでしまうのだろうな。

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この歌は、作者と情を通わせていた女性が逢ってくれなくなった時に詠んだ歌だと言われています。つまり、失恋の歌です。少々極端な思想から、作者の感じている孤独やショックがひしひしと伝わってきます。

 

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寺山の代表作ともいわれる短歌です。暗い海辺で、マッチを擦った明かりで、垣間見えた海に霧が立ち込めている。その暗い情景が作者の心情と重なり、祖国への諦観や絶望が表されています。

 

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あどけなさの残る少女と、両手を使って、海の広さを伝えようとする少年のほのかな恋を感じさせます。二人の心の通い合いの、初々しい様子が、映画のワンシーンのように表現されています。

 

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列車から遠くに見える向日葵を、列車に向かって、無邪気に帽子を振る少年に重ね合わせています。大人になった作者には、遠い過去になってしまった、少年時代の純真さに対する、哀惜の気持ちが読み取れます。

 

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森の中を走る、というのは少年的な行為ですが、ほてった頬を紫陽花に埋める、という表現は官能性を感じさせます。少年の多感な衝動を「駆ける」、高ぶった感情を鎮めようとする気持ちを、花に埋める、と表した比喩表現と読むことができます。

 

【NO.6】

『 君の歌う クロッカスの歌も 新しき家具の ひとつに数えんとする 』

【意味】君の歌うクロッカスの歌も新しい家具のひとつとして数えることにしよう。

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「新しい家具」から新生活に向かう情景であることが察せられます。促音を含むクロッカスの響きが若々しさを感じさせます。歌と家具を並置することで、歌を歌う「君」も部屋に在ること、共に新生活を営むであろうことを暗示させます。

 

【NO.7】

『 わがカヌー さみしからずや 幾たびも 他人の夢を 川ぎしとして 』

【意味】私のカヌーは寂しくないのだろうか。さびしいだろう。何度もたどりつく川岸は他人の夢ばかりだから。

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カヌーは一人乗りの小舟であり、「個」を暗示します。自分の内面が、自分固有のものではなく、他者性をおぼろげに感じられることの寂しさを、直接的に言うのではなく、内省的に湾曲性をもって表現されています。

 

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蟻が、自分より大きな蝶の死骸を懸命に巣に運ぼうとしています。蟻よりはるかに大きい作者の影と比べると、蟻にとっては大変な距離であっても、徒労としか思えない蟻の矮小な歩みに、作者の挫折感や暑い夏の倦怠感が感じられます。

 

短歌職人
白いシャツと黄色い向日葵のくっきりとしたコントラストのイメージが、清々しさを感じさせる歌です。近い未来に花開く向日葵は、若者の期待に満ちた希望と「べし」と「信ぜん」による繰り返しの強調で、未来への確信を感じさせます。

 

【NO.10】

『 一本の樫の木やさし その中に 血は立ったまま 眠れるものを 』

【意味】一本の樫の木の中にも血は流れている。そこでは血は立ったまま眠っている。

短歌職人
「立ったまま眠る」という表現は、フランスの詩人ポール・エリュアールの詩から取られたとされています。「やさし」とは優しいの意味で、不眠に苦しむ寺山が、眠りを優しいとイメージし、立ったままの血を馥郁と湛えている樫の木を擬人化した作品です。

 

寺山修司の有名短歌【11〜20首

 

【NO.11】

『 かくれんぼの 鬼とかれざるまま老いて 誰を探しに来る 村祭り 』

【意味】かくれんぼの鬼となった少年が、そのまま老いて、村祭りに戻ってくる。いったい誰を探しにくるのか。

短歌職人
寺山の後年の短歌は、故郷青森の土俗精神を思わせる暗いムードがあります。老人になってもまだ、かくれんぼの鬼を続けて、誰かを探しに来る少年のイメージは、ホラー映画のような怖さもあり、不思議な雰囲気に満ちています。

 

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カンカン帽が風に飛ばされて、転がっていく情景が浮かびます。それを追いかけるように、道を駆けていく少年の躍動感や若々しさが伝わってきます。表現も平明で親しみやすい歌です。

 

【NO.13】

『 一つかみほど 苜蓿(うまごやし)うつる水 青年の胸は 縦に拭くべし 』

【意味】小川に苜蓿が映っている。青年が小川で胸の汗を拭く時は、縦に拭くのが好ましい。

短歌職人
田舎の田園風景であろう、小川に川辺の苜蓿(うまごやし=シロツメクサ)の緑が映えています。農作業を終えた胸板の厚い、逞しい青年が、小川で汗を拭いている姿に、健康的なエロチシズムと伸びやかさが感じられます。

 

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時計を売りに行く、という状況から経済的に困窮した様子が感じられます。枯れた野原の寂寥としたイメージに、直接的な表現はないものの、侘しさや哀切感が伝わってきます。

 

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訛りをなくし、肩ひじ張って都会で生きる同郷の友達と自分の様子が重なって見え、その切なさとコーヒーの苦さが重なり合った歌です。単に「珈琲」ではなく「モカ珈琲」としたところに、都会になじもうと背伸びする作者の姿も伺えます。

 

【NO.16】

『 友のせて 東京へゆく汽笛ならむ 夕餉のさんま 買いに出づれば 』

【意味】夕飯のさんまを買いに出ると、友人が上京する列車の汽笛が聞こえる。

短歌職人
夕飯にさんまを買うという、ありきたりの日常に没している自分に対し、地元の友人は、憧れの東京に列車に乗り向かっています。友人に対する、羨望と嫉妬がない交ぜとなった心情が伝わってくる歌です。

 

【NO.17】

『 一粒の 向日葵の種まきしのみに 荒野をわれの 処女地と呼びき 』

【意味】一粒の種をまいただけなのに、この広い荒野を私の処女地と呼ぼう。

短歌職人
ただ一粒の種をまいただけで、広い荒野は、自分の処女地(開墾されていない土地、フロンティア)です。荒野は、自分が蒔いた向日葵で、いつの日かいっぱいに埋め尽くされるだろうという、青春期の自負心が首題となった歌です。

 

【NO.18】

『 草の笛 吹くを切なく 聞きており 告白以前の 愛とは何ぞ 』

【意味】草笛の吹かれている音を、切ない気持ちで聞いている。告白をする前の愛とは何であろうか。

短歌職人
片思いの相手に愛を告白する前の、不安定な切ない気持ちが表された歌です。告白したいができない、いわゆる忍ぶ恋の切なさが、草笛の哀切な音色と同調して、純愛の儚い、美しいイメージが想起されます。

 

【NO.19】

『 舐めて癒す ボクサーの傷わかき傷 羨みゆけば 深夜の市電 』

【意味】若いボクサーの傷は、舐めればすぐ治るようなもの。それを羨む深夜の市電にある私。

短歌職人
若いボクサーは、傷ついても、舐めればすぐ治ってしまう生命力に溢れています。ひきかえ、年取った私は、なかなか傷が治ることはない。「深夜の市電」は、人生の終盤の比喩と考えられ、孤独感と諦観、若さへの羨望が感じられます。

 

【NO.20】

『 夏川に 木皿沈めて洗いいし 少女はすでに わが内に棲む 』

【意味】夏の日の清流に木皿を沈めて洗っていた少女と同様、私の心の内にも、清らかな心が棲み付いている。

短歌職人
夏の日、清冽な川に木皿を沈めて洗っていた少女の清純なイメージです。木皿を洗う、という表現が、汚れた心が浄化されてゆくさまを表しています。作者の心の内に棲むのは、少女と同様の清純な心、浄化された心でしょう。

 

寺山修司の有名短歌【21〜30首

 

【NO.21】

『 生命線 ひそかにかへむために わが抽出しにある 一本の釘 』

【意味】手相の生命線をこっそりと変えるために、私の抽出しには1本の釘がしまってある。

短歌職人
生命線を変えるとは、長くするのか、短くして途絶えさせるのか、二つの可能性があります。「もっと生きたい」のか「いっそ死んでしまいたい」のか。死の淵にたった青年の深刻な気配を出しています。

【NO.22】

『 地球儀の 陽のあたらざる裏がはに われ在り一人 青ざめながら 』

【意味】地球儀の太陽のあたらない裏側に、私は青ざめて一人いる。

短歌職人
地球ではなく、地球儀としたところに、一歩引いて客観視している作者の視点があります。光と影でいえば、自分は陽があたらない影の世界に属するというイメージに加え、ぐるぐると回る地球儀に乗り、一人青ざめている不安感が伝わってきます。

【NO.23】

『 飛べぬゆえ いつも両手をひろげ眠る 自動車修理工の少年 』

【意味】自分は実際に飛ぶことはできないが、飛ぶように両手を広げて自動車修理工の少年はいつも眠っている。

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少年は眠っているので、飛ぶことを強く願い、いつも両手を広げて眠る自分の癖に気づいているはずもありません。作者の視点が映画のカメラワークのように、俯瞰して少年を見ている点に特徴がある歌です。

【NO.24】

『 青空より 破片あつめてきしごとき 愛語を言えり われに抱かれて 』

【意味】青い空から、破片を集めてきたような愛の言葉を彼女が呟いている。私に抱かれて。

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愛語とは仏教用語で、菩薩が他者に対して心のこもった優しい言葉をかけることです。ここでは、若い女性の幼い愛の言葉を表しています。作者の相手に対する愛おしい思い、またそれに応えようとする女性の言葉が、純粋な愛を感じさせます。

【NO.25】

『 われ在りと おもふはさむき橋桁に 濁流の音 うちあたるたび 』

【意味】自分の存在を実感するのは、橋桁に濁流が打ち当たる音を聞く時だ。

短歌職人
濁流が何か硬いものにぶつかる様子は、心にずっしりと響きます。「さむき橋桁」は自分の頼りない心、「濁流」は人生の困難を指しているとも読み取れます。厳しい局面に当たったときこそ、生きていることを実感する、と感じられる歌です。

【NO.26】

『 知恵のみが もたらせる詩を書きためて 暖かきかな 林檎の空箱 』

【意味】恵の実がもたらせる詩を書き溜めた林檎の空箱は、暖かい気持ちにさせてくれる。

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知恵の実とは、『創世記』に登場するエデンの園に生える「善悪の知識の木」になっていた果実(林檎)です。林檎栽培が盛んな青森出身の寺山にとって、林檎の空箱はふるさとを思い出させ、ほっとさせてくれるアイテムだったのでしょう。

 

【NO.27】

『 ダリアの蟻 灰皿にたどりつくまでを うつくしき嘘 まとめつついき 』

【意味】ダリアの花に群がる蟻。蟻は灰皿へとたどり着くまで、美しい嘘を積み重ねていく。

短歌職人
人は死んで灰になる、といいます。美しいダリアの花に群がる蟻は人間で、蟻は死(灰皿)へと少しずつ向かっていき、その過程で嘘を重ねていきます。つまり人生とは「うつくしき嘘」の積み重ねである、という人生観が示されています。

【NO.28】

『 うしろ手に 春の嵐のドアとざし 青年は已(すで)に けだものくさき 』

【意味】後ろ手にドアを閉ざして、春の嵐を閉め出した青年は、既に獣のようだ。

短歌職人
ここでは大人になることをマイナスイメージとして捉えており、無邪気な子供と違い、大人は動物的な醜さやずるさを持っている、といっています。「春の嵐」とは、桜舞い散る時期という意味に加え、人生の前半、20歳くらいまでの時期を表しています。

【NO.29】

『 高度4メートルの空に ぶらさがり 背広着しゆゑ 星ともなれず 』

【意味】高度4メートルの空にぶらさがっているが、背広を着ているので、星になることができない。

短歌職人
安定か、挑戦か、どちらを選ぶかは永遠のテーマでしょう。ここではサラリーマンの悲哀が描かれています。「星」とは「理想の姿」であり、そこに辿り着けない葛藤が表されています。先の見えた人生を表すと同時に、「4」という数字は、死を連想させます。

【NO.30】

『 わが通る 果樹園の小屋 いつも暗く 父と呼びたき 番人が棲む 』

【意味】私が通りかかる果樹園の小屋は、いつも暗く、父親のような番人が棲んでいる。

短歌職人
果樹園は、楽園を意味し、憂いのない世界を表しますが、その果樹園を守る小屋の中は暗い。世の中には辛い面から、私は目をそらしていることの比喩です。その厳しい現実と正面から向き合っている、強い父性への憧れを歌っています。

 

以上、寺山修司の有名短歌でした!

 

 

寺山修司は、生前、「鬼才」としばしば呼ばれていましたが、その「前衛的な作風」に驚かれた方もいるかもしれません。

 

しかし、多彩で清冽な寺山の短歌の数々の作品は、今なお私たちの心に響いてやみません。ここでご紹介した他にも、素晴らしい短歌を寺山氏は多く作っています。

 

短歌職人
関心をもたれた方は、さらなる寺山の短歌の世界に触れてみてはいかがでしょうか。