【俵万智の有名短歌 30選】現代の女流歌人!!短歌の特徴や人物像・代表作など徹底解説!

 

「俵万智」という歌人をご存じでしょうか。

 

短歌や文学にあまり詳しくなくても、名前は聞いたことがある!という人は多いかもしれません。

 

今回は、現代短歌を世に広めた一人であり、現在でも一線で活躍する「俵万智(たわら まち)」さんの有名短歌を30首紹介していきます。

 

 

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ぜひ最後まで読んでください!

 

俵万智の生涯や人物像・作風

 

俵万智(たわら まち)さんは、現在も短歌界の第一人者として活躍する女流歌人です。

 

1962年に大阪府門真市で生まれ、13歳で福井に移住。その後、早稲田大学第一文学部日本文学科に入学し、歌人の佐佐木幸綱氏の影響を受けて短歌づくりを始めました。1983年には、佐佐木氏編集の歌誌『心の花』に入会。1986年に作品『八月の朝』で第32回角川短歌賞を受賞しました。

 

1987年、第1歌集『サラダ記念日』を出版します。この歌集が話題を呼び、社会現象に。普段あまり短歌に親しみがなかった人も歌集を手に取り、瞬く間にベストセラーになりました。『サラダ記念日』は第32回現代歌人協会賞を受賞しています。

 

大学卒業後は、神奈川県立橋本高校で国語教諭になります。教員として働きながら歌人としても活動していましたが、1989年に橋本高校を退職。本人曰く、「ささやかながら与えられた『書く』という畑。それを耕してみたかった。」とのことで、短歌をはじめとする文学界で生きていくことを選んだそうです。

 

その後も第2歌集『かぜのてのひら』、第3歌集『チョコレート革命』と、出版する歌集は度々話題となりました。現在(2022年)までに第6歌集まで出版されています。

 

また、短歌だけでなくエッセイ、小説など活躍の幅を広げています。プライベートでは200311月に男児を出産。一児の母でもあります。出産後は東京から仙台へ。さらに、東日本大震災を機に沖縄の石垣島へ移り、現在は宮崎に暮らしています。

 

 

俵万智さんの作風としては、現代語・口語調が中心、親しみやすい言葉選びで誰にでも分かりやすいという特徴があります。

 

会話をそのまま用いた作品もあり、ドラマのワンシーンを見ているかのような感覚で読むことができます。

 

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思わず感情移入してしまうような、また読者自身の経験と重なるような、共感を生みやすい作品は、老若男女問わず多くの人に愛されています。

 

俵万智の有名短歌【30選】

 

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ここからは、俵万智のおすすめ短歌を30首紹介していきます!

 

俵万智の有名短歌【1〜10首

 

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言わずと知れた、俵万智の代表作です。好きな人に手料理をふるまったときの一場面。たった一言褒めてくれた、その一言が嬉しくて。それだけでその日が記念日になってしまう。恋をしているときのちょっぴり浮かれた気持ちと、あふれるような幸福感が感じられますね。作者の俵さんは、2020年にTwitterで「今は『いいね』の数を競うような風潮があるけれど、これはたった一つの『いいね』で幸せになれるという歌です」とつぶやいています。ちなみに、実際に褒めてもらったのはサラダではなく唐揚げだったそうです。

 

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突然の言葉にドキッとした女性の心境と、甘酸っぱい空間を感じられる、いわば「胸キュン」な一首です。缶の酎ハイ2本という酒量は、この歌では「たったそれだけで」という意味で使われているのでしょう。酔っぱらってもいない、なんならほとんどシラフなのかもしれないそんな状態で言う言葉は、決して適当に言ったものではないはず。それが分かるから、言われた側の女性は「ふざけて言っているの?本気で言っているの?本当にいいの?」と心の中で問いかけているのでしょう。缶の酎ハイをそのまま飲むような場面は、バーや居酒屋ではなくプライベートな空間だと考えられます。このことから、2人の間柄も想像することができますね。

 

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ファーストフード店の席を立つことはとても気軽な行為で、何の感情も抱かずにさらっとできること。それと同じように、男を捨ててしまおう、という歌です。そんなことを言うこの女性は、なんだかクールでかっこいい女のように思えますが、この歌は「捨ててしまおう」という「意志」を詠んでいるように感じます。見方を変えると、自分を鼓舞しているようにも思えます。それくらい気軽に、捨ててしまえばいいんだ。捨ててやろうじゃないか!と、勇気を出すために自己暗示しているのかもしれません。文字通りのかっこいい女性なのか、かっこいい女性であろうとしているのか、読み手の捉え方で人物像が変わってくるところが面白いですね。

 

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方言で交わされる会話。内容もきっと何ということのないものなのでしょう。けれども、それが懐かしく、あたたかく、心地よく感じる。そして、ふるさとの人々の笑顔。特別に何があるわけでもないこれらのことを、「だから好きなんだな」と気付いたのですね。暮らすのに便利な街はたくさんありますが、この歌のような「なんでもない」も、またひとつの良さなのですね。普段は離れているからこそ、平凡なふるさとのあたたかさをより一層感じたのかもしれません。

 

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何気ない会話のやりとりですが、自然と頭の中に絵が浮かびます。日常の中で気づいた、小さな感動。返事をしてくれる人がいることの嬉しさを詠んでいます。日常の会話なら「寒いね」ではなく、「楽しいね」や「美味しいね」でも良かったかもしれません。しかし、寒い日だからこそ心が温まったというのがポイントであり、最後の「あたたかさ」をより引き立たせるものとなっています。寒い日に温かい飲み物を一口飲んだときのような、じんわりと幸せがこみあげてくる一首ですね。

 

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口調から想像すると、「君」は男性でしょうか。恋人に対していつも命令口調な彼。そんな彼を、女性側は優しく、たしなめるような気持ちで受け止めているように思います。命令形を使う彼には、きっと「自分が優位に立ちたい」「男らしくリードしたい」という気持ちがあるのではないでしょうか。しかし女性側は、そんなことはお見通しのようです。彼に「偉そうだ!」と怒ることはなく、それがあなたの愛情表現なのよね、と受け止めています。可愛いとすら思っているのかもしれませんね。性急な男性の見栄と、それを分かりつつも男性を立てて受け流す女性の大人な部分を詠んだ一首です。

 

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男性と恋愛関係にあったのか、もしくはそれに発展する手前だったのか、女性にとって「ボトルキープ」するような存在だった男性。「期限が切れた」、つまり、その男性との関係が終わったのでしょう。しかし、「今日は快晴」。主人公は、どこかすがすがしい気持ちでいるようです。人との関係の終わりは切なく悲しいものです。しかし、関係があるからこその苦しみやしがらみもあります。それらから解き放たれて、どこか開放感を感じているのかもしれませんね。

 

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この歌での「君」はどういう存在なのでしょう。多くの人が、恋の相手を想像するのではないでしょうか。思いがけずできた時間に、好きな人のことをふと考えてしまう…。こう捉えると、なんとも可愛らしく甘酸っぱい歌です。しかし、「君」が恋の相手ではないとすればどうでしょう。家族、友人、テレビで見た俳優や追いかけているアイドル。「君」が誰かによって、この歌の主人公像も変わってきます。視点を変えると色々な読み方ができて面白いですね。

 

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平仮名で重ねられる「さくら」の文字が、桜の花びらがたくさん重なって満開に咲いている景色を想像させます。そこから瞬く間に「咲き終わり」…桜が散っていく風景が目に浮かぶようです。そして桜の花がなくなると、そこにはいつもと変わらない公園の風景だけが残ります。つい数日前まで華やかだった公園が、気づくといつもと変わらぬ風景に戻っている…桜の花が咲き、人々が喜び見上げていたことが嘘のようです。古典風に言う「もののあはれ」を、現代に生きる私たちもこの歌のようなときに感じるのですね。

 

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桜は、咲き初めから満開、そして散る様子も含めてとても美しいものですが、「散る」ときには少し切なさや寂しさを感じます。「散る」という言葉そのものに、マイナスなイメージが含まれているからかもしれません。しかし、この歌ではそれを「飛躍のかたち」と表現しています。散ることは、「終わり」ではなく新たな「始まり」でもある。そう思うと、散っていく花びらたちもどこか誇らしげに見えてきます。出会いと別れの季節である「春」。桜の花とともに、読者の心まで前向きになるような素敵な一首です。

 

俵万智の有名短歌【11〜20首

 

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家族や友人から「万智ちゃん」と呼ばれている自分。そんな自分が、子どもたちに「先生」と呼ばれている。この歌には、「先生」と呼ばれることに対する気恥ずかしさや、自分はまだまだ未熟なのに…と思う気持ち、また逆に、嬉しくてちょっと胸を張りたくなる気持ちなどが込められています。ただ生徒が教師を「先生」と呼ぶだけの何気ない歌ですが、その場面から目線を橋本高校の学び舎の風景や生徒のようすへと移して見ることができます。作者や生徒たちの学校生活に想像を膨らませていくのも楽しいですね。

 

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夏の間に被っていた麦わら帽子。夏が終わり片付けようとしたとき、帽子にへこみがあることに気づいたのでしょうか。その瞬間、楽しかった夏の思い出が次々と思い出されます。行った場所、見たもの、食べたもの。そして、一緒に過ごした人……その思い出を刻んだままにしておきたくて、麦わら帽子のへこみは戻さずそのままにしておこうと思ったのですね。収録されている歌集には恋愛の歌が多いので、この歌も恋愛の歌(一説では失恋の歌)だと考える人も多いですが、読者それぞれの「夏の思い出」と重ね合わせて読むこともできますね。

 

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生まれたばかりの赤ちゃんは何もできませんから、その頃から世話をしている親としては「育ててきた」という思いになるのも当然です。一方で、放っておいても赤くなっていく畑のトマトのように、自分の力で成長していく子ども。子どもの視点で見れば、「放っておいてくれても、勝手に育つよ!」という「親から離れて自立している自分」を感じる歌になります。また、親の視点で見ると、手塩にかけて育ててきた子どもがいつの間にか成長していることを感じ、寂しくもあり嬉しくもある心を詠んだ歌に思えます。読む人によって「勝手に」が良くも悪くも感じられ、色々な捉え方ができるこの歌は、世代を問わず心に残る一首です。

 

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この歌が収録されている歌集『チョコレート革命』には不倫をテーマにした歌の連なりがあり、この歌もその一つです。焼肉とグラタン…いかにも子供が好きそうなメニューです。それを「好き」という無邪気な少女。一方、主人公の「好き」は「あなたのお父さん」に向けられた、大人な感情です。「あなたのお父さん」には妻がいるのか、シングルファーザーなのか。少女と主人公の関係性はどのようなものなのか。そもそもどのような状況で、少女と主人公は話をしているのか…。想像の余地は幾分にもありますね。

 

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主人公が問いかけたことに対して、相手は体裁を大切にした立場から「大人の返事」をするのでしょう。それがもどかしく、恨めしい。恋に大人の返事なんていらない。私が聞きたいのは、あなたの男としての本心なの!…そんな気持ちを込めて、主人公の女性は行動を起こそうとしています。名付けて「チョコレート革命」。彼女なりの宣戦布告なのでしょう。どういったことをするのか、この先の2人はどうなっていくのか読者が想像をめぐらせて、自分なりの「恋愛ドラマ」に仕立ててみるのも面白いですね。

 

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同じものを見つつも、心では違うものを見ている……そんな二人を描いた歌です。並んで同じ「花火」を見ている二人。花火を見ていて「光を見る」というのは比較的普通の捉え方ですが、片方の人物は「闇」を見ています。華やかで煌びやかな花火の灯りの中に、「光を見る人」は希望や幸福感、これから先の明るい未来を感じていることでしょう。しかしもう一人は、何か否定的なもの…不安や別れなどを冷静に見つめているようです。並んで同じ花火を見ている二人でも、心は正反対の方向を向いている。この花火が終わったあと、二人の未来はどうなっていくのでしょうか。

 

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菜の花のからし和えは、「からし」がピリッとアクセントになります。きっと目の前にいる人物は、普段通りなら「おっ、からしだ」とその味に気付くような人なのでしょう。しかし、今はそれに気付かず食べている…。何か考え事をしているのだろうか。だとしたらいったい何を?私の知らないこと?……主人公は、相手の様子に不安を抱いているようです。日常の一コマから、心のざわめきが聞こえてくる一首ですね。

 

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心が散る…という表現は、辞書では「気が散ること」と意味付けがされていますが、この歌では「心」が「散る」ような、悲しい気持ちを表しています。そして心が散った理由は、誰かに「さようなら」を言われたからなのです。主人公はその虚無感の中にいながら、「どうせなら満開の桜の下で言われたかった」と言います。せめて華やかな満開の桜のもとで言われたなら、少しは前向きになれたかもしれないのに。新たな一歩を踏み出せるかもしれないのに。そんな思いが込められているように感じられます。

 

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ペンキは塗り重ねるほど強度が増します。「悲しみ」というペンキを塗り重ねることで、心は次第に強くなっていくと、主人公は感じているようです。しかし、今朝の心の状態は「ペンキぬりたて」。塗りたてのペンキは、乾くまで触れてはいけないものです。今は触れないで、そっとしておいてほしい……そんな微妙な感情が「ペンキぬりたて」という言葉に込められているのではないでしょうか。前向きでありながら、まだ今は繊細で傷つきやすい。そんな気持ちを見事に詠んだ一首です。

 

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隠れたり、探したり…。追いかけたり、追いかけられたり…。恋をしていると、そんな場面がたくさんあります。まるでかくれんぼや鬼ごっこのよう。けれどもそんな「遊び」のような恋に、自分自身は一生懸命なのです。「なんでこんなに必死になっているんだろう」「恋なんて遊びみたいなもの」、と冷静になることもあれば、逆に「自分はこの恋をするために生まれてきたんだ!」という強い思いになることも。この歌は、そんな冷静さと熱情とが共存している恋を、絶妙なバランスで描いています。

 

俵万智の有名短歌【21〜30首

 

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上の句はとてもロマンチック。一緒に波を見ているのでしょうか。なんだか幸せな情景が続きそうな雰囲気です。しかし、下の句には「いつ言われてもいいさようなら」という言葉が続きます。主人公は、別れの予感を感じているのでしょうか。その「別れ」は、今この波を見ながら告げられるのか、何日も何年も後に告げられるものなのかは分かりません。けれども主人公は、その別れを「いついわれてもいい」と思えてしまっている…どこか穏やかな気持ちで「別れ」を静かに見つめているのです。寄せ返す波と二人の関係の流動性がリンクするような、優しくも切ない歌です。

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官能的かつなんとも美しい歌です。こだわって選んだであろう「水蜜桃」という言葉は、その漢字の並びからみずみずしい果汁が溢れてくるイメージがあります。中国では「水蜜桃のように色っぽい」という艶やかな表現もあり、大人の女性に対して使われる言葉でもあります。ただの桃ではなく水蜜桃だからこそ、「相手に大事に扱われ、余すことなく愛される私」を的確に表現できたのでしょう。

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「君」は恋愛の相手なのでしょうか。しかし、こちらから気軽に誘える人ではないのかもしれません。だから、主人公はいつ誘われてもいいように予定を開けていたのでしょう。でも、待っていた連絡は来ないまま、「君」以外の他の予定が入ってくる。その予定を、主人公は鉛筆で書き込みます。それは、もし「君」の予定が入ったら上書きしようと考えているからでしょう。まだ期待する気持ちは捨てきれないのです。きっと、「君」から誘いがきたときには、その予定は消えないペンで書き込まれるのでしょうね。

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1985年に大ヒットしたテレサ・テンの、その名も『愛人』という歌があります。「あなたが好きだからそれでいいのよ」「わたしは待つ身の女でいいの」といった歌詞があり、この曲が短歌の題材ではないかと言われています。不倫というと許されない恋という印象が強く、世間の目も冷たいです。実際には障壁や困難が多いものでしょう。当事者は苦しい思いをすることが多いはずです。そんな中、「愛さえあればいいの」といった強い気持ちで歌われる『愛人』に、思い切ったことを言ってくれるじゃないの!と作者は思わされたようですね。

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作者が歌に詠んだとされる釧路湿原の釧路川は、蛇行して流れる大きな川です。曲がらずまっすぐに流れたほうが、海まで早くたどり着きそうなものですが、川はくねくねと曲がりながら、ゆるやかに流れている。まるで川が「急げばいいってもんじゃないよ」と言っているように感じられます。人は様々な場面で「急がなきゃ」「早くゴールしたい!」といった気持ちになることがあります。そんな焦る気持ちに、「ゆっくり行こうよ」「急ぐよりも大切なことがあるかもよ」と、川が教えてくれている・・・そんな一首です。

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四万十川に、やわらかい日差しが降り注ぎます。その光を反射させて、川がきらきらと輝いています。そこにおだやかな風が優しく吹くと、まるで風が川を撫でているかのようです。川面では、優しい風のてのひらに撫でられた光の粒が、より一層生き生きと煌めいています。こんな美しい風景が、たった31文字の歌から想起されます。風の手のひらは目には見えませんが、心には見えるのでしょう。この歌のように、「心で見る」ことを大切に生きていきたいものです。

 

【NO.27】

『 バンザイの姿勢で眠りいる吾子よ そうだバンザイ生まれてバンザイ 』

【意味】バンザイの姿勢で眠っているわが子よ。そうだ、バンザイ。生まれてきたことだけで、バンザイするほど素晴らしいことだ。

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幼い子ならではの、両手を上げた寝相。それを見て詠まれた一首です。子育てをしていると、ついあれやこれや…と、成長の早い遅い、できること、できないことなどに一喜一憂してしまいます。そんな中、ふと立ち返った「生命の尊さ」。この子が生まれたことだけで、バンザイするほど素晴らしいのだと、子どもの姿に気づかされたのですね。子を持つ親が共感しやすい歌ですが、そうでなくても「生まれてきただけで十分!」と言ってもらえているようで、誰もが励まされる一首ですね。

【NO.28】

『 生きるとは手をのばすこと幼子の指がプーさんの鼻をつかめり 』

【意味】生きるとは、手を伸ばすことだ。幼い子の指が、くまのプーさん(人形)の鼻をつかんだ。

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生きるとはどういうことか……というのは、人の一生にずっと付きまとう問いかもしれません。いつか答えが出るかもしれませんし、分からないまま一生を終えるのかもしれません。そんな問いの答えの一つを、作者は赤ちゃんの姿から見つけたようです。赤ちゃんがぬいぐるみのプーさんに手を伸ばすしぐさは、力強い生命力そのもの。赤ちゃんにとっては、欲しいものに手を伸ばすこと=生きていくこと なのかもしれません。大人になり、やがて年寄りになったとき、赤ちゃんのように「手を伸ばすこと」を忘れたくないな、と思わされます。

【NO.29】

『 制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている 』

【意味】制服は先を見越して大きめを買う。それはその子の未来のサイズだ。どの子も、未来を着ているのだ。

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制服がある学校に入学するとき、採寸をしてもらい、数年後を見越して大きめのサイズのものを着る。入学式では皆、少しぶかぶかの制服を着ている……。大人にとっては、なんだか懐かしい思い出です。当たり前のように思われているこの光景を、作者は「未来のサイズ」と表現しました。確かに、今はぶかぶかの制服も、いつかぴったりのサイズとして着る日が来るわけです。「未来を着る」という素敵な表現からは、成長していくことへのわくわく感と、成長してしまうことが少し惜しいような気持ちの両方が感じられますね。

【NO.30】

『 たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやるいつかおまえも飛んでゆくから 』

【意味】たんぽぽの綿毛をふぅっと吹いて、飛んでいくのを子に見せてやる。いつかあなたも私のもとから巣立って飛んでいくのだから。

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たんぽぽの綿毛は、たんぽぽの種。つまり子どもたちです。風に乗ってどこか遠くへ飛んでいきますが、親であるたんぽぽは地面に根を張っているため、子どもたちのこれからを見ることはできません。そんなたんぽぽに、自分と子どもとを重ね合わせています。人間は、親元を巣立った後も親子で会うことはできますが、一人の人間として自分の力で人生を歩んでいくところはたんぽぽと同じなのかもしれません。だからこそ、一緒にいる時間を大切にしたい…。子を持つ親は特に共感できる一首なのではないでしょうか。

 

以上、俵万智さんの有名短歌集でした!

 

 

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いかがでしたか?

短歌の中でも、特に親しみやすいといわれる俵万智さんの作品。
読んでみて共感したり、何かに気づかされたりといった心の動きはあったでしょうか。
普段あまり短歌に触れない人でも、「ちょっと面白いかも!」と思っていただけたなら嬉しいです。

現代短歌には、まだまだ素敵な作品がたくさんあります。俵万智さんをはじめ、若手からベテランまで歌人にも色々な方がいらっしゃいます。
興味がある方は、ぜひ現代短歌の歌集を手に取り、いろいろな作品に触れてみてください!