短歌は、思ったことや感じたことを5・7・5・7・7の31音で表現する定型詩です。
短い文字数の中で心情を表現するこの「短い詩」は、古代から1300年を経た現代でも多くの人々に親しまれています。
今回は、現代短歌をけん引している歌人「穂村弘」の一首「ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は」をご紹介します。
ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は(穂村弘) pic.twitter.com/gjkevBSpjz
— 朱 (@akenoumi) January 30, 2016
本記事では、「ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は」の詳細を解説!
ほんとうに おれのもんかよ 冷蔵庫の 卵置き場に 落ちる涙は
(読み方:ほんとうに おれのもんかよ れいぞうこの たまごおきばに おちるなみだは)
作者と出典
この歌の作者は「穂村弘」です。
エッセイや短歌批評の名手としても知られており、現代短歌の旗手として世代を問わず注目され続けています。今では当たり前となった「完全なる口語表現の短歌」ですが、そのパイオニアとも言える人物です。
また、出典は『シンジケート』です。
1990年に発表された穂村弘のデビュー歌集で、今もなお多くの人から愛され続けています。2021年5月、31年の時を経て新装版が発売されました。この歌集について、作者本人は「青春歌集である」と語っており、収録されている作品も恋の歌を中心としています。1987年に出された俵万智の歌集『サラダ記念日』と並んで、現代短歌の古典とも言われているのがこの『シンジケート』です。しかし、出版当時は読者からの賛否の声がきっぱりと分かれ、「これが短歌なら、斎藤茂吉の墓前で切腹する」と言った歌人もいたそうです。歴史ある短歌の枠組みを崩壊させたと言われた作品ですが、今となっては当たり前になった口語短歌の先駆けであったと言えるでしょう。
現代語訳と意味 (解釈)
この歌は現代語で詠まれているため、読み手がそのまま意味を捉えられるものです。あえて噛み砕いて書き直すと、次のような内容になります。
「冷蔵庫の卵置き場に今ポタポタと落ちている涙は、本当に俺(自分)のものなのだろうか」
状況としては、「冷蔵庫を開けて卵置き場に涙が落ちたのを見て、自分が泣いていることに気付き、本当に自分の涙なのかと思っている」ということですね。
では、語の意味や文法を確かめながら、この歌の真意を読み取っていきましょう。
文法と語の解説
- 「ほんとうにおれのもんかよ」
これはこの短歌の主人公(おれ)が思っていることですね。本当に自分のものなのだろうか…という文字通りの意味です。この部分は全て平仮名で書かれていますが、変換し忘れではありません。作者が意図的に平仮名で表記していると考えられます。
- 「冷蔵庫の卵置き場に」
冷蔵庫や卵置き場という具体的な名称が出てきました。「の」は連体修飾格の格助詞で、「冷蔵庫の」がこの後に続く「卵置き場」を修飾しています。最近の冷蔵庫には卵置き場が無い(卵を入れるケースが別でついている)ものが多いですが、詠まれた時代から推察すると、この歌での卵置き場は冷蔵庫の扉の内側にあるそれを指しているのでしょう。
- 「落ちる涙は」
「涙は」は、この歌における主格に当たります。この涙を修飾しているのが「落ちる」です。「落ちた」や「落ちている」ではなく、「落ちる」という言い方を使うことで、読み手に「今まさに涙が落ちているのだ」という状況が伝わります。
「ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、歌の中の大きな意味の切れ目のことです。
この歌は二句切れです。
前半の二句までで登場人物である「おれ」の思考が書かれています。本当に自分のものなのだろうか・・・ここまで読んだ読み手には「何が?」という疑問が浮かびます。
そこで視点が切り替わり、三句から結句までで「冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙のことを言っているのだ」ということが分かります。
倒置法
日本語の文法に沿って書くと「冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は、ほんとうにおれのもんかよ」というのが基本形ですが、この歌においては順序が逆になっています。
先に「ほんとうにおれのもんかよ」をもってくることで、読み手は「何が?続きが気になる!」と惹きつけられます。倒置法を用いることによって、魅力的な展開がつくられています。
字余り
字余りとは、「五・七・五・七・七」の形式よりも文字数が多い場合を指します。
3句目の「冷蔵庫の」が6音で、字余りになっています。
しかしこれは「冷蔵庫」という言葉を使っているためであり、何か意図をもって字余りにしたわけでは無いと考えられます。
「ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は」が詠まれた背景
この短歌が詠まれた背景について、作者が語ったことは特にありません。フィクションなのかノンフィクションなのかも明らかにはされていません。
収録されている歌集『シンジケート』には「ごーふる(あとがきにかえて)」という、作者が綴った物語が載せられています。
小説のようでもあり、エッセイのようなリアリティを感じられるものでもある「ごーふる」。そこには、作者である穂村弘と一人の女性とのエピソードが書かれています。
このエピソードが事実だとすれば、「ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は」も事実に基づいて作られた歌なのかもしれません。
「ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は」の鑑賞
【ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は】は、自覚しないうちに悲しみが押し寄せ、涙がこぼれていることに気付いて戸惑っていることを表す歌です。
何か悲しい出来事があって、それでも強がって平気な顔をしていたのでしょうか。それとも、悲しいという感情にすら気付かずにいたのでしょうか。意識的に気付いていないふりをしていたのかもしれません。冷蔵庫を開け、落ちた涙を見て初めて自分が泣いていることに気付いたようです。
「ほんとうにおれのもんかよ」という上の句から、自分の意志とは裏腹に涙がこぼれ落ちたことが分かります。涙が落ちたのが卵置き場というあたりも、情景がリアルに想像できて良いですね。
卵の殻の上に落ちたのか、卵がないところに落ちたのか…そんな想像一つでも、捉え方が変わってきます。
作者「穂村弘」を簡単にご紹介!
穂村弘1962年、北海道生まれ。父親の転勤で、子ども時代は神奈川県・愛知県へと住まいを移して育ちました。
1981年4月に北海道大学文I系に入学し、友人の影響で塚本邦雄の作品を読んだことから、短歌に興味を持ち始めました。
1985年、林あまりの作品に触発され、歌づくりを始めました。同世代の歌人である林あまりの口語短歌に出会い、歌の新しさやインパクトに惹かれたようです。1986年の角川短歌賞(短歌の新人賞)に「シンジケート」と題した50首で応募し、1990年に歌集『シンジケート』でデビューしました。その後、北海道大学を中退し、1983年に上智大学文学部英文学科に入学しました。
現代短歌を代表する歌人として、短歌の魅力を広めるとともに、評論、エッセイ、絵本、翻訳など様々な分野で活躍しています。
「穂村弘」のそのほかの作品
- シャボンまみれの猫が逃げ出す午下がり永遠なんてどこにも無いさ
- 校庭の地ならし用のローラーに座れば世界中が夕焼け
- 体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ 雪のことかよ
- 「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」
- 終バスにふたりは眠る 紫の<降りますランプ>に取り囲まれて
- 風の交叉点すれ違うとき心臓に全治二秒の手傷を負えり
- オレンジの毛虫うねうねうねうねと波打っている こっちがあたま
- サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
- 眼を閉じて耳をふさいで金星がどれだかわかったら舌で指せ
- お遊戯がおぼえられない君のため瞬くだけでいい星の役
- ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。
- 「猫投げるくらいがなによ本気だして怒りゃハミガキしぼりきるわよ」