【ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど

 

「ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」

 

こちらは近現代を代表する歌人・斎藤茂吉の短歌です。

 

そのなかでも「ただひとつ…」は、歌集『白桃』のタイトル由来になるほどの歌です。

 

 

本記事では、「ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」の詳細を解説!

 

ただひとつ 惜しみて置きし 白桃の ゆたけきを吾は 食ひをはりけり

(読み方:ただひとつ おしみておきし しらももの ゆたけきをわれは くひおわりけり)

 

作者と出典

この歌の作者は、明治から昭和を生きた歌人「斎藤茂吉(さいとうもきち)」です。

 

茂吉は医者でありながらも、文学方面にも関心を寄せ、数々の優れた作品を発表しています。

 

茂吉は医学を熱心に勉強し、やがて病院長を務めるまでになります。その一方、伊藤左千夫のもとで歌を学び、大正~昭和はじめにかけて歌誌「アララギ」の中心として活躍しました。

 

 

出典は、斎藤茂吉の歌集『白桃』です。

 

昭和8年~9年に詠まれた1017もの歌が収められています。歌集のタイトルは、この歌からきているのです。

 

現代語訳と意味(解釈)

この歌を現代語訳すると・・・

 

「たったひとつ大事にとっておいた、白桃の豊かさを私は食べ終わってしまったなあ」

 

という意味になります。

 

ここでは「桃を食べて○○と思った」という直接的な表現はなされていません。「桃を食べた」という出来事に焦点を当て、独自の感性で情感をもたせている歌になります。

 

多くを語らずとも、読み手がそこに趣を感じる歌をつくることができる。茂吉にはそんな強みがあるようですね。

 

また、詠嘆の「けり」という言葉も、茂吉の世界観に引き込まれるような感覚をもたらします。

 

文法と語の解説 

  • 「ただひとつ」

「たったひとつ」という意味です。

 

  • 「惜しみて置きし」

「惜しむ」とは、「大切にする」です。「置きし」は、「置く」+過去の助動詞「き」の連体形です。

 

  • 「白桃の」

「白桃」は、岡山のブランド「白桃(はくとう)」です。しかし茂吉は、これを「しらもも」と読んでいます。

 

  • 「ゆたけきを吾は」

「ゆたけき」は、「豊か」を意味する形容詞「ゆたけし」を名詞化したものです。

ここでの「豊かさ」とは、桃の大きさや味、香りといったことを指しています。

 

  • 「食ひをはりけり」

「食ふ」+「をはる」+詠嘆の助動詞「けり」です。よって、「食べ終わったなあ」の意味になります。

 

「ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」の句切れと表現技法

句切れ

句切れとは、一首の中での大きな意味上の切れ目のことです。

 

この歌に句切れはありませんので、「句切れなし」です。

 

(※結句の文末が詠嘆の助動詞「けり」で終わっていることもあり、そこまでで一区切りとなります)

 

倒置法

倒置法とは、語や文の順序を逆にする表現技法です。あえて文の調子を崩すことで、意味を強める効果があります。短歌や俳句でもよく使われる修辞技法のひとつです。

 

今回の歌では、「ゆたけき白桃」の部分に倒置法が使われています。

 

この歌でも本来の意味どおりに文を構築すると、「白桃のゆたけき」という語順になります。

 

倒置法を用い「白桃のゆたけき」とすることで、読み手に強い印象が残り、インパクトを与えることができます。

 

「ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」が詠まれた背景

 

「ただひとつ…」が詠まれた昭和8(1933)は、日本の歴史上において大きな転換期でした。

 

満州事変について世界から糾弾された日本が、国際連盟の脱退を表明したのです。日本は国際社会から孤立し、戦争へと突き進んでいきます。

 

当時の茂吉は、戦意高揚の歌を詠みあげています。

 

そんな時、茂吉の周りでは親交のあった歌仲間が亡くなる・妻のスキャンダルなど不幸が続きました。

 

それを振り払うかのように茂吉は、柿本人麻呂の研究に取り組んでいます。

 

世の中の混乱や、身内の不幸が続くなかでこの「ただひとつ…」という歌を詠みあげています。

 

なんでもないことをじっくり味わうこの時間が、茂吉にとって大変意味のあるものだったのでしょう。

 

「ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」の鑑賞 

 

「ただひとつ…」は、茂吉が大切にしておいたという桃の、瑞々しさや甘さが思い浮かんでくるような歌といえるでしょう。

 

「食べた」という単純な出来事を結句7文字で悠々と表現している部分に注目です。

 

歌人・評論家として活躍した塚本邦雄は、「結句で一種の法税に近い満足感を伝え、読者にもその心理を体験させるほどの特徴のある佳品」と評しています。

 

歌人であり日本芸術院会員でもあった佐藤佐太郎は、「『食ひをはりけり』と余韻をおいて、ああうまかったなという気持ちを暗示している」と述べています。

 

また、「白桃のゆたけき」はとても厚みを感じさせる表現です。

 

「ゆたけき」が漢字でなく平仮名表記なのは、白桃のイメージに合うからと考えられます。確かに漢字よりも優しい印象を与えてくれているように思えます。

 

1個を食べたという単純な出来事にいかに茂吉が心を向けたのか、そう考えると面白い作品です。

 

作者「斎藤茂吉」を簡単にご紹介! 

(1952年頃の斎藤茂吉 出典:Wikipedia)

 

斎藤茂吉(明治15年(1882)-昭和28年(1953年))。

 

茂吉は、精神科医でありながら、歌人としても活動しました。大正から昭和前期にかけて、歌誌・アララギの中心人物として創作に勤しんでいます。その生涯で17もの歌集を発表しました。

 

茂吉は、山形県の農家の生まれです。斎藤家の後を継ぐことを見据えて、ある時菩提寺の住職の紹介により、開業医・斎藤紀一のもとに身を寄せ、医学を学ぶべく学校へ入ることとなりました。

 

茂吉は学生として医学に励む一方、文学にも強い関心を寄せていきました。明治37(1904)には、正岡子規の遺稿集に強い感銘を受けます。

 

そして、子規の流れをくむ伊藤左千夫のもとで短歌を学ぶようになります。歌誌『馬酔木』が『アララギ』になってからは、中心歌人として存在感を出していました。

 

大正2(1913)には第一歌集『赤光』を発表し、注目を集めました。

 

その後も医学に取り組みながら病院長になり、さらには短歌や柿本人麻呂の研究に精を出し続けました。

 

戦後の晩年期には、東北・蔵王の近くに移り、そこで歌集『小園』『白き山』へとつながる歌を詠みました。

 

昭和26(1951)には文化勲章を受章し、その翌年には『斎藤茂吉全集』が刊行されました。しかし、その喜びもつかの間、昭和28(1953)心臓喘息のため70歳でその人生に幕を下ろしました。

 

「斎藤茂吉」のそのほかの作品

 

  • 猫の舌の うすらに紅き 手ざはりの この悲しさを 知りそめにけり
  • 死に近き 母に添寝の しんしんと 遠田のかはづ 天に聞ゆる
  • ものの行 とどまらめやも 山峡の 杉のたいぼくの 寒さのひびき
  • 信濃路は あかつきのみち 車前草も 黄色になりて 霜がれにけり
  • うつせみの 吾が居たりけり 雪つもる あがたのまほら 冬のはての日