「ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」
こちらは近現代を代表する歌人・斎藤茂吉の短歌です。
そのなかでも「ただひとつ…」は、歌集『白桃』のタイトル由来になるほどの歌です。
ただひとつ
惜しみて置きし
白桃の
ゆたけきを吾は
食いをはりけり斎藤茂吉
今年も桃の美味しい季節🍑✨ pic.twitter.com/Wx8HEMgWH8
— にゃんこ (@nyanko_420) July 2, 2018
本記事では、「ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」の詳細を解説!
ただひとつ 惜しみて置きし 白桃の ゆたけきを吾は 食ひをはりけり
(読み方:ただひとつ おしみておきし しらももの ゆたけきをわれは くひおわりけり)
作者と出典
この歌の作者は、明治から昭和を生きた歌人「斎藤茂吉(さいとうもきち)」です。
茂吉は医者でありながらも、文学方面にも関心を寄せ、数々の優れた作品を発表しています。
茂吉は医学を熱心に勉強し、やがて病院長を務めるまでになります。その一方、伊藤左千夫のもとで歌を学び、大正~昭和はじめにかけて歌誌「アララギ」の中心として活躍しました。
【今日の墓碑銘】
1953年2月25日。斎藤茂吉が死去。大正・昭和期の歌人。伊藤左千夫に師事し歌集『赤光』の清新な歌風により文壇から注目される。アララギ派の中心人物として活躍し実相観入による写生説を提唱した。本業は精神科医であり青山脳病院の院長を務めた
(70歳・心臓喘息) #生寄死帰 pic.twitter.com/0I8mqTVNbI— 義視 (@kamo1868) February 24, 2019
出典は、斎藤茂吉の歌集『白桃』です。
昭和8年~9年に詠まれた1017もの歌が収められています。歌集のタイトルは、この歌からきているのです。
現代語訳と意味(解釈)
この歌を現代語訳すると・・・
「たったひとつ大事にとっておいた、白桃の豊かさを私は食べ終わってしまったなあ」
という意味になります。
ここでは「桃を食べて○○と思った」という直接的な表現はなされていません。「桃を食べた」という出来事に焦点を当て、独自の感性で情感をもたせている歌になります。
多くを語らずとも、読み手がそこに趣を感じる歌をつくることができる。茂吉にはそんな強みがあるようですね。
また、詠嘆の「けり」という言葉も、茂吉の世界観に引き込まれるような感覚をもたらします。
文法と語の解説
- 「ただひとつ」
「たったひとつ」という意味です。
- 「惜しみて置きし」
「惜しむ」とは、「大切にする」です。「置きし」は、「置く」+過去の助動詞「き」の連体形です。
- 「白桃の」
「白桃」は、岡山のブランド「白桃(はくとう)」です。しかし茂吉は、これを「しらもも」と読んでいます。
- 「ゆたけきを吾は」
「ゆたけき」は、「豊か」を意味する形容詞「ゆたけし」を名詞化したものです。
ここでの「豊かさ」とは、桃の大きさや味、香りといったことを指しています。
- 「食ひをはりけり」
「食ふ」+「をはる」+詠嘆の助動詞「けり」です。よって、「食べ終わったなあ」の意味になります。
「ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、一首の中での大きな意味上の切れ目のことです。
この歌に句切れはありませんので、「句切れなし」です。
(※結句の文末が詠嘆の助動詞「けり」で終わっていることもあり、そこまでで一区切りとなります)
倒置法
倒置法とは、語や文の順序を逆にする表現技法です。あえて文の調子を崩すことで、意味を強める効果があります。短歌や俳句でもよく使われる修辞技法のひとつです。
今回の歌では、「ゆたけき白桃」の部分に倒置法が使われています。
この歌でも本来の意味どおりに文を構築すると、「白桃のゆたけき」という語順になります。
倒置法を用い「白桃のゆたけき」とすることで、読み手に強い印象が残り、インパクトを与えることができます。
「ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」が詠まれた背景
「ただひとつ…」が詠まれた昭和8年(1933)は、日本の歴史上において大きな転換期でした。
満州事変について世界から糾弾された日本が、国際連盟の脱退を表明したのです。日本は国際社会から孤立し、戦争へと突き進んでいきます。
当時の茂吉は、戦意高揚の歌を詠みあげています。
そんな時、茂吉の周りでは親交のあった歌仲間が亡くなる・妻のスキャンダルなど不幸が続きました。
それを振り払うかのように茂吉は、柿本人麻呂の研究に取り組んでいます。
世の中の混乱や、身内の不幸が続くなかでこの「ただひとつ…」という歌を詠みあげています。
なんでもないことをじっくり味わうこの時間が、茂吉にとって大変意味のあるものだったのでしょう。
「ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」の鑑賞
「ただひとつ…」は、茂吉が大切にしておいたという桃の、瑞々しさや甘さが思い浮かんでくるような歌といえるでしょう。
「食べた」という単純な出来事を結句7文字で悠々と表現している部分に注目です。
歌人・評論家として活躍した塚本邦雄は、「結句で一種の法税に近い満足感を伝え、読者にもその心理を体験させるほどの特徴のある佳品」と評しています。
歌人であり日本芸術院会員でもあった佐藤佐太郎は、「『食ひをはりけり』と余韻をおいて、ああうまかったなという気持ちを暗示している」と述べています。
また、「白桃のゆたけき」はとても厚みを感じさせる表現です。
「ゆたけき」が漢字でなく平仮名表記なのは、白桃のイメージに合うからと考えられます。確かに漢字よりも優しい印象を与えてくれているように思えます。
桃1個を食べたという単純な出来事にいかに茂吉が心を向けたのか、そう考えると面白い作品です。
作者「斎藤茂吉」を簡単にご紹介!
(1952年頃の斎藤茂吉 出典:Wikipedia)
斎藤茂吉(明治15年(1882)-昭和28年(1953年))。
茂吉は、精神科医でありながら、歌人としても活動しました。大正から昭和前期にかけて、歌誌・アララギの中心人物として創作に勤しんでいます。その生涯で17もの歌集を発表しました。
茂吉は、山形県の農家の生まれです。斎藤家の後を継ぐことを見据えて、ある時菩提寺の住職の紹介により、開業医・斎藤紀一のもとに身を寄せ、医学を学ぶべく学校へ入ることとなりました。
茂吉は学生として医学に励む一方、文学にも強い関心を寄せていきました。明治37年(1904)には、正岡子規の遺稿集に強い感銘を受けます。
そして、子規の流れをくむ伊藤左千夫のもとで短歌を学ぶようになります。歌誌『馬酔木』が『アララギ』になってからは、中心歌人として存在感を出していました。
大正2年(1913)には第一歌集『赤光』を発表し、注目を集めました。
その後も医学に取り組みながら病院長になり、さらには短歌や柿本人麻呂の研究に精を出し続けました。
戦後の晩年期には、東北・蔵王の近くに移り、そこで歌集『小園』『白き山』へとつながる歌を詠みました。
昭和26年(1951)には文化勲章を受章し、その翌年には『斎藤茂吉全集』が刊行されました。しかし、その喜びもつかの間、昭和28年(1953)に心臓喘息のため70歳でその人生に幕を下ろしました。
「斎藤茂吉」のそのほかの作品
- 猫の舌の うすらに紅き 手ざはりの この悲しさを 知りそめにけり
- 死に近き 母に添寝の しんしんと 遠田のかはづ 天に聞ゆる
- ものの行 とどまらめやも 山峡の 杉のたいぼくの 寒さのひびき
- 信濃路は あかつきのみち 車前草も 黄色になりて 霜がれにけり
- うつせみの 吾が居たりけり 雪つもる あがたのまほら 冬のはての日