【為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり】徹底解説!!意味や表現技法・句切れ・鑑賞文など

 

短歌は、作者が思ったことや感じたことを5・7・5・7・7の31音で表現する定型詩です。短い文字数の中で心情を表現するこの「短い詩」は、古代から1300年を経た現代でも多くの人々に親しまれています。

 

今回は、江戸時代中期の大名「上杉鷹山」の一首「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」をご紹介します。

 

 

本記事では、為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」の詳細を解説!

 

為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり

(読み方:なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬはひとの なさぬなりけり)

 

作者と出典

この歌の作者は「上杉鷹山(うえすぎ ようざん)」です。

 

上杉鷹山は歌人ではなく江戸時代中期の大名で、米沢藩(現在の山形県)の9代目藩主です。江戸時代屈指の名君として知られており、米沢藩を建て直した際の根本方針の精神となった自助・共助・公助の三助政策が有名です。アメリカのジョン・F・ケネディ元大統領が、もっとも尊敬する日本の政治家として名前を挙げたこともありました。名言も複数残っており、その一つが「為せば成る…」の一首です。

 

出典は書籍ではありませんが、上杉鷹山が残した書「上杉鷹山書状」があります。国宝である『上杉家文書』の中に収められており、現在は山形県の「米沢市上杉博物館」に所蔵されています。

 

現代語訳と意味 (解釈)

「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」は、現代語に訳すと次のようになります。

 

「やればできる、やらなければできない、何事も。できないのは、(その)人がやろうとしないからだ。」

 

簡単に言うと、「何かを成し遂げようと思ったら、まずは行動しなさい。」ということですね。

 

文法と語の解説

  • 「為せば成る 為さねば成らぬ」

「為す」は「実行する・行う」という意味です。続く「成る」は「物事ができ上がる・実現する・成就する」という意味です。動詞「為す」の仮定形+接続助詞「ば」+動詞「成る」で【為せば成る】、動詞「為す」未然形+打消しの助動詞「ぬ」仮定形+動詞「成る」未然形+打消しの助動詞「ぬ」仮定形で【為さねばならぬ】となります。

 

  • 「何事も」

「何事」は「どんなこと(どんな事情・事態・要件)」という意味の名詞です。そこに、類例・並列・列挙の意味を持つ係助詞「も」が続きます。

 

  • 「成らぬは人の為さぬなりけり」

「成らぬ」は動詞「成る」未然形+打消しの助動詞「ぬ」仮定形で、「できない」という意味です。係助詞「は」を挟み、「人」は「何事かを成し遂げたいと思っている人物」を指しています。助詞「の」のあと、「為す」未然形+打消しの助動詞「ぬ」で「やらない」という意味になり、最後は断定の助動詞「なり」の連用形+詠嘆の助動詞「けり」で「~であるなぁ」と歌に余韻を残しています。

 

「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」の句切れと表現技法

句切れ

この歌は3句切れです。初句から3句目までで「どんなこともやればできる、やらないとできない」ということを言っています。

 

一般の文章でいう句読点「。」がここで入るイメージです。そして、4句目と結句では「できないのは、やろうとしないからだ」と少し視点の違う話になっています。

 

反復法

反復法とは、同じ言葉や同じ句を何度も繰り返す技法です。

 

この歌では、「為す」「成る」という部分です。活用して形を変えつつも、何度も繰り返しています。同じ言葉を繰り返すことによって、この歌自体を強く読者に印象づける効果を生み出していると言えます。

 

「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」が詠まれた背景

 

この一首は作者・上杉鷹山の「辞世の句」という説もありますが、正確にはこの句は死の直前ではなく、次の藩主へ家督を譲った時に詠んだと言われています。

 

実はこの一首は、上杉鷹山の完全オリジナルではありません。戦国時代の武将・武田信玄(1521年~1573年)が残した言葉を模範としたものと言われています。

 

<武田信玄の言葉>

為せば成る、為さねば成らぬ成る業を、成らぬと捨つる人の儚さ

意味:(強い意志を持って)行動すれば必ず実現できるのに、できないと諦めてしまうのが人の弱さだ

 

また、さらにさかのぼると武田信玄のこの言葉も、もとは古代中国の書『書経』にある「弗爲胡成(為さずんばなんぞ成らん)」だと考えられています。

 

先人の言葉を自分なりに言い変えた武田信玄、そして武田信玄の言葉を上杉鷹山がさらに自分に合わせて言い変えて、この一首となったのです。

 

「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」の鑑賞

 

【為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり】は、行動することの大切さを説く言葉です。

 

一般的には「為せば成る」の部分だけで聞くことが多くあります。「頑張ればできるよ!」という励ましの意味で使われているのが一般的です。自分の人生への教訓として、座右の銘とする人もいます。

 

続き部分の「為さねば成らぬ何事も」が付くと、「どんなことでも」…少し難しいと感じることやできそうにないことでも…といったニュアンスが足されます。これによって、より一層、鼓舞する勢いが増すように感じられます。

 

後半部分の「成らぬは人の為さぬなりけり」では、「できない理由」を説いています。ああだこうだと理由をつけて、行動もせずに「できない」と言っている人の心の弱さを突いています。何かしらの行動を起こすことは、勇気や体力、気力といったエネルギーを使うこと。つい避けてしまいたくなるのが人間です。

 

そんな気持ちに気付き、共感したうえで、それでも行動しないと何もできないぞ!と背中を押してくれている。上杉鷹山の言葉からは、厳しくもあたたかいエールを感じます。

 

作者「上杉鷹山」を簡単にご紹介!

(上杉鷹山 出典:Wikipedia)

 

江戸時代後期の175199日、日向高鍋藩主の次男として高鍋藩江戸藩邸に生まれました。

 

実母が早くに亡くなったことから母方の祖母の瑞耀院(米沢藩4代藩主・上杉綱憲の娘)に引き取られます。

 

瑞耀院は、男子がいなかった米沢藩8代藩主・上杉重定に、重定の娘(幸姫)の婿養子として鷹山を勧めました。9歳のときに上杉重定の養嗣子となり、16歳で家督を継いで米沢藩9代藩主となりました。

 

鷹山が藩主になったとき、米沢藩は財政難と政治腐敗で破綻寸前にありました。先代の藩主が豪勢な生活を改められなかったことも原因の一つです。

 

この状況に、鷹山は大倹約を主旨とした大倹令を発布しました。領民に倹約をさせるだけでなく、自らもすすんで生活費を切り詰めました。また、様々な産業振興もすすめ、米沢藩の財政を立て直しました。鷹山は、藩主である自分と領民とを「同じ」と位置づけており、誰もが同じ人間だと言っていました。この考え方は現在の民主主義思想に通じ、現代でも政治家に限らず多くの人が鷹山に尊敬の念を抱いています。

 

そして1785年、34歳で隠居しましたが、以降も後見として藩政を支え、182242日に老衰で亡くなりました。享年70歳でした。

 

「上杉鷹山」のそのほかの作品

 

※鷹山は歌人ではありませんので、短歌として残っているものはほとんどありませんが、名言をいくつかご紹介しておきます。

 

  • 受けつぎて国の司(つかさ)の身となれば 忘るまじきは民の父母
  • してみせて 言って聞かせて させてみる
  • 物を贈るには、薄くして誠あるを要す。物厚くして誠なきは、人に接する道にあらず。
  • 人間は、いつも張り詰めた弓のようにしていては続かない。
  • 働き一両、考え五両、知恵借り十両、コツ借り五十両、ひらめき百両、人知り三百両、歴史に学ぶ五百両、見切り千両、無欲万両