【幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど

 

「短歌」は、五・七・五・七・七の合計三十一文字で、美しい自然の事象や人の心の機微、人生の哀歓をうたい上げます。

 

日本人は、古代から三十一文字で様々な美しい歌、すばらしい歌を作り上げてきました。

 

それらの歌の中でも名歌と呼ばれるものは、文学性・芸術性に優れ多くの人々に愛されています。

 

今回は、旅を愛する、酒と漂泊の歌人として知られている若山牧水の歌「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」をご紹介します。

 

 

本記事では、「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」の詳細を解説!

 

幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく

(読み方:いくやまかわ こえさりゆかば さびしさの はてなむくにぞ きょうもたびゆく)

 

作者と出典

この歌の作者は「若山牧水(わかやま ぼくすい)」です。旅と酒を愛し、青春の苦労と放埓、そして孤独をあますことなく詠い上げ、歌壇で独自の輝きを放った歌人です。

 

 

この歌の出典は『海の声』と『別離』です。

 

『海の声』は、牧水が自費出版で刊行した処女歌集。『別離』は、青春の哀歓を謳歌した抒情歌を多く収めた牧水の代表的な歌集です。

 

現代語訳と意味 (解釈)

この歌を現代語訳すると・・・

 

「いくつかの山や川を越えて行ったら、寂しさがはてる国にたどり着けるのだろうか (いや、たどり着けないだろう)。その思いを胸に、今日も旅を続ける。」

 

という意味になります。

 

牧水は旅の途中でこの歌を詠みました。若き牧水が内に秘めた寂しさ・孤独・満たされない気持ちが、瑞々しく表現された名作です。

 

文法と語の解説

  • 「幾山河」

読みは「いくやまかわ」。幾山河は幾つかの山や河という意味です。

 

  • 「越えさり行かば」

「越える」+「去り行く」。「…ば」は仮定。「越えて行ったならば」という意味。

 

  • 「はてなむ国ぞ」

「はて」は動詞「はつ」の未然形。「な」は強意の助動詞。「む」は婉曲表現の助動詞。

「はてなむ」で「はてるだろう」という意味。「ぞ」は疑問を表す係助詞で、「あるのだろうか」という意味。「ある」の部分は省略されています。

 

「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」の句切れと表現技法

句切れ

句切れとは、一首の中での大きな意味上の切れ目のことで、読むときもここで間をとると良いとされています。

 

この歌は「はてなむ国ぞ」で一旦文章の意味が切れます。四句目で切れていますので、「四句切れ」の歌となります。

 

反語表現

反語とは、断定を強調するために、言いたいことと反対の内容を疑問の形で述べる表現技法です。

 

「はてなむ国ぞ」は反語的な表現となります。「(寂しさが) はてる国はあるのだろうか、いや、ないに違いない」という意味です。

 

反語表現を使うことにより、断定を強調し、歌の味わいがより深いものになっています。

 

「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」が詠まれた背景

 

この歌は、牧水が早稲田大学在学中に、実父の見舞いを兼ねて宮崎に帰省したときの旅の歌です。

 

牧水は、岡山、広島を通り宮崎の家に帰省しました。4泊5日の旅でした。その旅を勧めたのが、岡山の中学校に学んだ有本芳水という早稲田の学友・詩人です。芳水は、宮崎へ帰省する際にはぜひ途中で岡山に寄って中国地方を歩いてみないかと牧水に勧めたのだそうです。

 

明治40(1907) 夏の有本芳水宛の葉書には、この歌の制作のいきさつが書かれており、「幾山河…」の歌も記されています。制作のいきさつについては、以下のように書かれています。

 

『寝床に入ったが、寂しさが身に沁みて寝つかれない。夜ふけの山中はただ風の音と、谷川のせせらぎが聞こえるばかりである。さびしさのあまり歌ができた。』

 

また、この歌には当時、牧水が恋い慕っていた女性、園田小枝子への深い思いがこめられているのではないかという説もあります。

 

明治39(1906)、早稲田大学の学生だった牧水は、神戸で人妻・園田小枝子と出会います。明治40(1907)、東京にいる牧水のもとを小枝子が訪問。牧水の学友の日高が、東京で自活したいと言っている小枝子を手助けしてくれるよう牧水に頼んだのです。はじめはそれほど親しい仲ではなかった二人でしたが、牧水は小枝子に徐々に惹かれていきます。

 

小枝子は別居してはいますが、夫と2人の子供がいる人妻。決して許される恋ではありませんでした。

 

のちに牧水と小枝子は結ばれることとなりますが、「幾山河…」の歌を詠んだのは、牧水が一方的に小枝子に思いを寄せて苦悩していた時期でした。明治40(1907)前後の牧水の歌のほとんどが、小枝子への思いを切々と訴える内容のものです。

 

となると、一見、恋愛と無関係に思えるこの歌も、自然を題材にとり、試練の多い自らの恋愛を憂う歌と解釈することもできます。

 

「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」の鑑賞

 

牧水が中国地方を通りひとり宮崎に向かう旅路で、この歌は生まれました。

 

「幾山河越えさり行かば」とあるように、牧水は、美しい山と川の眺めを目に焼き付けながら、ただひたすら宮崎を目指しました。

 

「寂しさのはてなむ国ぞ」は短いですが、胸に迫る表現です。

 

「寂しさがはてる国にたどり着けるのだろうか、いや、たどり着けないだろう」。

 

単なる旅の歌であれば、「ひとりで旅することの寂しさ、孤独」を表す表現ですが、牧水の胸の中に棲みついている、より深い寂しさを表しているように思えてなりません。

 

その深い寂しさが何であるのかは、牧水本人にしかわからないでしょう。

 

しかし、牧水の心の中には、常に、当時恋い慕っていた女性、園田小枝子がいたはずです。

 

どんなに思いを寄せても届かない牧水の恋心。小枝子に夫と子供がいるという大きな障害、試練。

 

誰と話をするでもないひとり旅の最中だからこそ、小枝子への溢れる思いが、歌となって形作られたのかもしれません。

 

作者「若山牧水」を簡単にご紹介!

(若山牧水 出典:Wikipedia)

 

若山牧水は明治・大正・昭和にかけて国民歌人として親しまれた人物です。

 

酒と自然を愛し、旅に明け暮れた歌人として知られています。日本的情感に溢れた天衣無縫な作風が特徴です。

 

若山牧水 (本名:若山繁) は、明治18(1885)、宮崎県東臼杵郡 (現・日向市) の医師の長男として生まれました。早稲田大学文学科に入学、同級生の北原白秋、中林蘇水らと交流を深めます。

 

そして、大学時代に人妻・園田小枝子と情熱的な恋に落ちます。この時期の牧水の作品のほとんどが小枝子への深く熱い想いを綴ったものだと言われています。小枝子との悲恋が、牧水を旅に駆り立て、酒量を進め、多くの優れた短歌を生み出したのです。

 

早稲田大学卒業後、明治41(1908) に処女歌集『海の声』を出版。明治43(1910) には代表作のひとつである『別離』を出版しました。『別離』は主に小枝子との恋愛を描いた作品集です。

 

のちに歌人・太田喜志子と知り合った牧水は、「私を救ってほしい」と喜志子に求愛。ふたりは結ばれ結婚します。22女に恵まれ、穏やかな家庭を築いた牧水ですが、その心の中には常に小枝子が棲んでいたとも言われています。

 

43歳という若さで、酒による肝硬変でその短い生涯を終えた牧水。妻と子供たちに看取られての穏やかな最期でしたが、その瞳には寂しさがたたえられていたそうです。

 

「若山牧水」のそのほかの作品

沼津市の若山牧水記念館 出典:Wikipedia

 

  • 白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
  • うら恋しさやかに恋とならぬまに別れて遠きさまざまな人
  • 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
  • たぽたぽと樽に満ちたる酒は鳴るさびしき心うちつれて鳴る
  • 足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる
  • うす紅に葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山ざくら花