【東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる】徹底解説!!意味や表現技法・句切れ・鑑賞文など

 

短歌は国語の教科書にも取り上げられ、日本人の多くが触れている文学です。

 

「国語の時間に習ったなあ…」で終わる人から、短歌に親しみ、多くの短歌を鑑賞する人、短歌を嗜む人など関わり方は色々ですが、有名な短歌の一つや二つは、自然に覚えてしまっている人が多いでしょう。

 

今回は、明治時代の歌人石川啄木の短歌の中から「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」という歌をご紹介します。

 

 

本記事では、「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」の詳細を解説!

 

東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

(読み方:とうかいの こじまのいその しらすなに われなきぬれて かにとたわむる)

 

作者と出典

この歌の作者は「石川啄木」です。明治期に短い生涯を駆け抜けた、詩人でもあり歌人でもありました。

 

この歌の出典は石川啄木の第一歌集『一握の砂』(我を愛する歌)。

 

明治43(1910)12月に刊行された歌集の巻頭がこの歌です。

 

現代語訳と意味(解釈)

この歌の現代語訳は・・・

 

「東海に浮かぶ小島の磯の、白い砂浜で、私は泣きながら蟹と遊んでいる。」

 

となります。

 

「東海の磯の小島」がどこを指すのかは諸説あります。

 

北海道函館の大森浜、青森県大間町などではないかと指摘されています。また、「東海の小島」を日本列島と仮借する説もあります。具体的にどこという地名を指すわけではなく、「広大な海の中の小島」というくらいのやや抽象的な意味という解釈もあります。

 

文法と語の解説

  • 「東海の 小島の磯の 白砂に」

「の」は、ここではすべて連体修飾格の格助詞です。「に」は場所を示す格助詞です。

 

  • 「われ泣きぬれて」

「われ」は私。「泣きぬれて」は、動詞「泣きぬる」の連用形「泣きぬれ」+順接接続助詞「で」です。

「泣きぬる」は漢字で書くと「泣き濡る」、涙を流して泣くということです。

 

  • 「蟹とたわむる」

「蟹」は、難しい漢字ですが「かに」のこと。「たはむる」は、動詞「たはむる」の終止形。戯れる、遊ぶ、ということです。

 

「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」の句切れと表現技法

句切れ

この句に句切れはありませんので「句切れなし」です。

 

助詞「の」の繰り返しでリズムを作りながら途切れることなく歌い上げられています。

 

表現技法

表現技法として特に用いられているものはありません。

 

「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」の鑑賞

 

この歌は「東海の小島の磯の白砂に」のように、上の句で3回「の」が繰り返され、リズムを作っています。

 

「東海(=広い海)→小島→磯→その中の白砂」と、徐々に画面がズームアップし映像の範囲がどんどん狭まっていく雰囲気で、さいごに白砂がクローズアップされます。

 

磯とは「岩場のこと」で、浜辺の黒っぽいごつごつした岩と、白い砂のコントラストも鮮やかです。

 

そこにいるのは小さなカニ。そして、作者はそのカニと泣きながら戯れているというのです。

 

海とは、漕ぎ出していくことで自分の可能性を切り開いて行けるところ。しかし、作者にはそのすべも容易ではなく、人生が思うままに進まぬことへの嘆きの涙を流しているのかもしれません。

 

自らの思想や哲学、愛する文学や詩をカニにたとえ、「それらを通して自己表現していこうとすることをやめない」といったようなことをこの歌から読み取ることができます。

 

「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」が詠まれた背景

 

この歌が収められている歌集『一握の砂』は五部構成になっていて、第一部が「我を愛する歌」となっています。

 

この歌は、その巻頭におかれています。巻頭歌も含めて10首、砂浜の歌が並んでいます。

 

ここでは、この続きの並びの歌を少しご紹介します。

 

頬につたふ なみだのごはず 一握(いちあく)の 砂を示しし 人を忘れず

(意味:頬につたう涙をぬぐうことすらせず、一握りの砂を私に示してくれた人を忘れることができない。)

大海(だいかい)に むかひて一人 七八日(ななやうか) 泣きなむとすと 家を出でにき

(意味:広大な海にむかって一人で七~八日泣こうと思って、家を出て来た。)

いたく錆びし ピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて 掘りてありしに

(意味:とても錆びたピストルが出て来た。砂山の砂を指で掘っていたら。)

 

二番目の歌は、歌集のタイトルの由来となった歌とされます。これ以降の歌も、海に向かって泣く・遠い初恋・死への念慮などが繰り返し歌われます。

 

作者はこれらの歌を「我を愛する歌」として、歌集の巻頭に持ってきています。主観的、感傷的で、ロマンチックな歌人をセルフプロデュースしたともいえるでしょう。

 

また、この歌集を二人の友人に捧げるという献辞がついています。宮崎郁雨と金田一京助です。この二人は、石川啄木とその家族を物心両面から支え、啄木早逝後も啄木の遺稿をまとめて出版するなど、啄木に尽くした人たちです。

 

宮崎郁雨は、後年「東海の小島の磯の白砂に…」の句碑を函館に建立しています。

 

 

そのことについて、著書『函館の砂 啄木の歌と私と』にこのように書いています。

 

「「蟹」は、(中略)彼が泣きながら真剣に取組んでゐる彼の個性であり、自我であり、文学であり、思想であり、哲学であった。その「蟹」は然し本物の蟹と等しく、彼の人生行路ではひねもす横這いし続けて居た。その蟹は時としては鋏を振立てて彼自身に敵対もするのだが、彼はそれを愛惜したり憐憫したり、憎悪したり虐待したりして、遣り場のない鬱情を霽らして居た。この歌はさうしたみじめな生涯を自憫する啄木の悲鳴であった。」

(意味:この歌の「蟹」は、石川啄木が泣き、苦しみながら真剣に向き合った、個性、文学、自我、思想、哲学のたとえだ。それらのものは、彼の人生の中で本当の蟹のように横ばいでしか進むことがなく、時にははさみを振り立てて迫るかのように彼自身とも敵対したものだった。啄木は、自己の文学や、思想といったものに、愛情、哀れみ、憎しみ、様々な感情をいだき、なんとかしてやり場のない思いを晴らそうとっしていたのだ。この歌は、自らの生涯を自ら憐れむ気持ちで詠まれた、いわば石川啄木の悲鳴なのである。)

 

歌集の出版は、啄木にとってそれまでの人生の総括と、これからをどう進むかの道標のようなものであったのかもしれません。出版後数年を経ずして啄木が病没したことはあまりにも痛ましいことでした。

 

 作者「石川啄木」を簡単にご紹介!

(1908年の石川啄木 出典:Wikipedia

 

石川啄木(いしかわ たくぼく)は、本名・石川一(いしかわ はじめ)。岩手県出身、明治時代の歌人です。明治19(1886年)に生まれました。

 

啄木は岩手県南岩手郡日戸(ひのと)村(現盛岡市日戸)の寺院の住職の家の子として生まれ、1歳の時に、父の転任にともなって渋民村(現盛岡市渋民)に転居します。

 

10代のころに詩歌雑誌『明星』を詠み、歌人の与謝野晶子らに傾倒しました。地元の新聞『岩手日報』や、『明星』に、作品が掲載されるようにもなってきます。

 

明治35年(1902年)文学を志して上京するものの、2年後に結核の療養のために帰郷します。

 

1905年には寺の住職を務める父が金銭トラブルを起こし、故郷渋民村を追われてしまいます。同じ年に、第一詩集『あこがれ』を自費出版、長年恋愛関係にあった堀合節子と結婚しました。

 

両親・妹・妻らとの暮らしを立てていくため、啄木も働かなくてはなりません。教員として働いたり、北海道に渡って新聞社に勤めるなど、職を転々とします。

 

しかし、明治41(1908)職場への不満や、創作活動へのあこがれから再び上京します。新聞社に勤めながら創作活動も続け、私生活の中では家族の不和や貧困などを向き合わなければいけませんでした。

 

明治43(1910)、社会主義者幸徳秋水らが明治天皇暗殺を企てたとして逮捕される大逆事件が起こります。石川啄木もジャーナリズムに携わる仕事を通して、これらの事件に大きく関心を持ち、社会主義に傾倒していたともいわれます。また、この年、第一歌集『一握の砂』を刊行しました。

 

しかし、病は啄木の体を確実にむしばんでいました。そして、病魔は家族にも襲い掛かります。明治45年(1912年)3月、啄木の母、カツが亡くなり、翌413日、石川啄木永眠。享年26歳の短い生涯でした。

 

啄木の死後2カ月ほどして、第二歌集『悲しき玩具』が刊行。その後も友人らの尽力により、遺稿が書籍にまとめられ出版されました。

 

啄木に先立たれた妻、節子もおよそ一年後に病死しました。啄木と節子の間には、長女、長男、啄木死後に生まれた次女と三人の子がありました。しかし、長男は生まれてすぐになくなり、長女は24歳、次女は19歳の若さで亡くなっています。

 

たぐいまれなる文才を持っていた石川啄木ですが、故郷を追われ、貧困や、病などと闘いながら薄倖の短い生涯を終えたのでした。

 

「石川啄木」のそのほかの作品

(1904年婚約時代の啄木と妻の節子 出典:Wikipedia)

 

  • やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
  • 馬鈴薯の薄紫の花に降る雨を思へり都の雨に
  • 砂山の砂に腹這い初恋のいたみを遠くおもひ出づる日
  • いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ
  • 頬につたふなみだのごはず一握の砂を示しし人を忘れず
  • たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず
  • はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢつと手を見る
  • 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ
  • ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
  • かにかくに渋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川
  • 石をもて追はるがごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし
  • ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな
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