【ぞろぞろと鳥けだものを引きつれて秋晴れの街にあそび行きたし】徹底解説!!意味や表現技法・句切れ・鑑賞文など

 

今回は、前川佐美雄の歌「ぞろぞろと鳥けだものを引きつれて秋晴れの街にあそび行きたし」をご紹介します。

 

 

本記事では、ぞろぞろと鳥けだものを引きつれて秋晴れの街にあそび行きたし」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「ぞろぞろと鳥けだものを引きつれて秋晴れの街にあそび行きたし」の詳細を解説!

 

ぞろぞろと鳥けだものを引きつれて秋晴れの街にあそび行きたし

(読み方:ぞろぞろと とりけだものを ひきつれて あきばれのまちに あそびいきたし)

 

作者と出典

 

この歌の作者は「前川佐美雄(まえかわ さみお)」です。

 

明治生まれの歌人で、主に昭和に活躍しました。昭和初期にはまだまだ珍しかった口語的表現を使った作品も多数詠み、モダニズム短歌の旗手と評価されていました。

 

また、この歌の出典は『植物祭』です。

 

植物祭は1930年(昭和5年)に刊行された作者の第1歌集です。19269月から192810月の戦間期に詠んだ作品が収録されており、ダダイスム的・超現実主義的な歌が当時の歌壇に衝撃を与えたと言われています。

 

 

現代語訳と意味 (解釈)

 

少し古典的な表現は含まれていますが、現代語で書かれた口語短歌なので、意味はそのまま受け取ることができます。

 

言葉を噛み砕いて書き直すと・・・

 

「ぞろぞろと、鳥や動物を引きつれて、秋晴れの街に遊びに行きたい。」

 

となります。

 

この歌は、自然界を愛する者が、都会の新しい文明や考え方に対する思い(批判)を詠んでいます。

 

文法と語の解説

  • 「ぞろぞろと」

「ぞろぞろ」…多くのものが引き続いて動く・移動する様子などを表す副詞で、擬態語です。

 

  • 「鳥けだものを」

「鳥けだもの」…「鳥獣(ちょうじゅう)」を和語に言い換えたものです。

「鳥」はそのまま鳥のこと、「けだもの」は動物という意味です。

「けだもの」という言い方は、人ではない、人間以下、野蛮といったニュアンスも含んでいます。

 

  • 「引き連れて」

動詞「引き連れる」の連用形で、連れて行く、従えて行くという意味です。

 

  • 「秋晴れの街に」

「秋晴れ」…秋の晴天のこと。秋の晴れの日は、空気が澄んで空が抜けるように青い。

「街」…「町」よりも大きな、栄えている都会のイメージです。

 

  • 「あそび行きたし」

「あそび行き」…「あそび行く」という言葉はありませんが、「遊びに行く」を省略した言い方だと考えられます。

「たし」…願望を表す助動詞です。文語調で書かれてはいますが、当時の書き言葉では一般的に「まほし」が使われており、「たし」は口語的に使われていました。

 

「ぞろぞろと鳥だけものを引きつれて秋晴れの街にあそび行きたし」の句切れと表現技法

句切れ

この歌に句切れはありません。

 

字余り

この歌は第4句が7音になるところを「8音」にしています。

 

この歌ではこの句意外に字足らず・字余りがありませんので、この第4句が歌のリズムに特徴を与えています。

 

擬態語(オノマトペ)

擬態語とは、直接に音響とは関係のない状態を描写するのに用いられる言葉です。「ぐんぐんと成長する」の「ぐんぐんと」、「にっこりと笑う」の「にっこりと」などがそれにあたります。

 

この歌では「ぞろぞろ」という擬態語が用いられています。

 

「ぞろぞろと鳥だけものを引きつれて秋晴れの街にあそび行きたし」が詠まれた背景

 

この歌は歌集『植物祭』の中でも有名な一首で、「秋晴」という章にあります。

 

作者の前川佐美雄は、代々農林業をいとなむ大地主の家に生まれ、故郷や自然を愛していました。そのため、物質主義・合理主義的な文明(精神的なものよりも金銭や物の獲得・所有などを大切にする考え方)を好まず、上京後も社会への批判を積極的にしていました。

 

作品も、野山に出かけて詠んだものは伸び伸びと明るい気分が感じられるものが多いのに対し、都会の街中で詠んだものは嫌悪感や悲しさが滲むものがほとんどです。

 

そういった背景もあり、「外に出たら虐まれるから押入れの中にでも隠れていたい」といった考えも示していた作者ですが、この歌では秋晴れの街に出て遊びたいと言っています。しかし、それは単に無邪気な気持ちで言っているのではありません。この歌もまた、社会や都会の文明を疑問に思う気持ちを孕んでいます。

 

ただ、完全に社会を批判しているかと言えばそうとも言い切れません。「鳥や動物を友達にしていたい」し、「街に遊びに行きたい」。

 

自然を愛しているけれど、街から離れたいというわけではない。作者にはこの時、自然と新しい文明のどちら側に立つとも言えない微妙な感情があったのではないでしょうか。

 

「ぞろぞろと鳥だけものを引きつれて秋晴れの街にあそび行きたし」の鑑賞

 

【ぞろぞろと鳥だけものを引きつれて秋晴れの街にあそび行きたし】は、自然界を愛する者が、都会の新しい文明や考え方に対する思い(批判)を詠んだ歌です。

 

その日は、秋のよく晴れた日。気候が良い日は、外に出かけたくなる人も多いでしょう。この歌の主人公も同じ気持ちのようです。しかし、引き連れて一緒に行きたいのは人間の友人ではなく、鳥や動物など自然界にいるものたちです。

 

そして、主人公が行きたいのは山や森ではなく「街」。目まぐるしく発展していく人間社会の中心です。人間以下というニュアンスを含む「けだもの」たちを引き連れ、自分自身はその長となり先頭を歩く…「ぞろぞろと」という擬態語からは少し不気味な印象も受けます。

 

自然を愛しているし、そちら側にいたい…。でも人間界から離れたいわけではない…。そんな微妙な感情から生まれた一首です。

 

作者「前川佐美雄」を簡単にご紹介!

 

前川佐美雄(まえかわ さみお)は、1903年(明治36年)奈良県に生まれました。

 

家は代々農林業を営む大地主で、佐美雄も故郷の自然を愛して育ちました。小学6年生のときに初めて短歌を作り、その後も漢学を学んだり文学書を読んだりと勉学に励む青少年時代を過ごしました。

 

東洋大学文学科に進学し、上京。在学中から佐佐木信綱氏に師事し、作家活動を行いました。卒業後は小学校の代用教員になりましたが、自身の勉学の必要性を感じて3ヶ月で退職。同じころ、親族が次々と没落し、父が借財の連帯保証人となっていたことで佐美雄の実家も傾いていきました。文学を志して再び上京し、短歌に関する雑誌や機関誌の編集・刊行に携わりました。

 

作風は一貫して幻想的な浪漫主義。第1歌集『植物祭』を刊行した時には、ダダイスム的で超現実主義的な歌を詠み、モダニズム短歌の旗手と言われていました。戦前・戦中・戦後を通じて日本歌壇の中心的人物として活躍しました。

 

1989年に日本芸術院会員になり、1990年には勲三等瑞宝章を受章。しかし、急性肺炎のため19907月に亡くなりました。

 

「前川佐美雄」のそのほかの作品

 

  • あららぎの九輪にすがり大空に鳴ける雲雀をほのに聞きつも
  • 床の間に祭られてあるわが首をうつつならねば泣いてみてゐし
  • うつくしき鏡のなかに息もせず住みをるならばいかにたのしき
  • 野にかへり野に爬虫類をやしなふはつひに復習にそなへむため
  • 「おっくう」は億劫にして億年の意としいへればこころ安んず