古典文学の時代から日本に伝わる詩のひとつに短歌があります。
五・七・五・七・七の三十一文字で自然の美しい情景を詠んだり、繊細な歌人の心の内をうたい上げます。
今回は、戦後生まれの歌人として初の角川短歌賞を受賞し、その後も大胆な口語表現を取り入れた恋の歌や家族の日常を率直に詠んだ歌など、戦後女流歌人の先頭を走り続けた河野裕子の歌「振りむけばなくなりさうな追憶の ゆふやみに咲くいちめんの菜の花」をご紹介します。
河野裕子さんの歌です。ホテル松島大観荘にて。 pic.twitter.com/7pcCXR0BCn
— 飯田 啓介 (@ksukeiida) November 14, 2014
本記事では、「振りむけばなくなりさうな追憶のゆふやみに咲くいちめんの菜の花」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「振りむけばなくなりさうな追憶のゆふやみに咲くいちめんの菜の花」の詳細を解説!
振りむけば なくなりさうな 追憶の ゆふやみに咲く いちめんの菜の花
(読み方:ふりむけば なくなりそうな ついおくの ゆうやみにさく いちめんのなのはな)
作者と出典
この歌の作者は「河野裕子(かわの ゆうこ)」です。
戦後生まれの女性歌人のトップランナーとして走り続けた歌人です。
また、この歌の出典は『森のやうに獣のやうに』です。昭和47年(1972)刊。河野裕子26歳のときに刊行された第一歌集です。作歌を始めた十代から二十代前半までの歌が収められています。
現代語訳と意味(解釈)
この歌は旧仮名遣いが使われていますが、現代語の歌です。
「振り向けばなくなってしまいそうな過去の思い出の中で、夕闇の中一面に咲いている菜の花よ」
この歌が収められている『森のやうに獣のやうに』という歌集は、作者の病気など悲痛な体験をした時期に作られた歌が多く収められています。
この歌に、なくなりさう・追憶・ゆふやみなど暗くおぼろげな印象の言葉が多く使われている所以ではないでしょうか。菜の花は、春に咲く明るい印象の花ですが、夕闇の中で見ると色がはっきりとせずにポジティブなイメージが損なわれてしまったのかもしれません。
文法と語の解説
- 「振りむけば」
「振りむけば」は、振りむくの仮定形で「もし振りむいたならば」となります。
- 「なくなりさうな」
なくなりさうの「さう」は、旧仮名遣い(または歴史的仮名遣い)といい、現代では主に詩歌の中で使われる特殊な仮名遣いです。「そう」と読みます。
- 「追憶の」
追憶とは、過ぎ去ったことを思い出すという意味です。
- 「ゆふやみにさく」
ゆふやみの「ゆふ」も旧仮名遣いです。「夕」の漢字にあて、「ゆう」と読みます。夕闇は、日が落ちて月が上るまでの暗さをいいます。
- 「いちめんの菜の花」
菜の花は1月~4月頃に花が咲く植物です。弥生時代には日本に入ってきて全国へ広がったとされています。菜の花の花言葉には「明るさ」「豊かさ、財産」「競争」「小さな幸せ」などがあります。
「振りむけばなくなりさうな追憶のゆふやみに咲くいちめんの菜の花」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、一首の中の意味の切れ目のことです。
この歌に句切れはありませんので、「句切れなし」となります。追憶、夕闇といった言葉の力ではかなげな印象の一首になっています。
旧仮名遣い(歴史的仮名遣い)
旧仮名遣いとは、古い仮名遣いで、現代では詩歌の分野だけで使われるような特殊な仮名遣いです。
みやびやかでしっとりと重くねばるような印象を与えます。読み下すのに時間がかかるため、作者が意図的に用いることもあります。
字余り
字余りとは、音数が定型である五・七・五・七・七をオーバーしていることです。あえて字余りにすることで目立たせたり歌の意味を強調したりすることもあります。
この句では、結句の「いちめんの菜の花」が9文字になっています。見渡す限りの無数の菜の花という印象を与えます。
作者は、しばしば破調の歌を作っています。言葉そのものの息遣いを変えないことを大切にしていたのでしょう。
「振りむけばなくなりさうな追憶のゆふやみに咲くいちめんの菜の花」が詠まれた背景
河野裕子は昭和34年(1959)、13歳のときに作歌を始めました。
そして、京都女子高校に入学して本格的に投稿を始めます。高校3年生の時に、病気での休学を余儀なくされますが、療養中に歌誌「コスモス」に入会します。
23歳の時に「桜花の記憶」で角川短歌賞を受賞。男性歌人が主流の中、戦後の女流歌人の先駆けとして孤軍奮闘します。
この歌は、戦後の鬱屈としていた恋歌の世界に新鮮な風を吹き込んだと評される第一歌集『森のやうに獣のやうに』の中に収められた一首です。
「振りむけばなくなりさうな追憶のゆふやみに咲くいちめんの菜の花」の鑑賞
【振りむけばなくなりさうな追憶のゆふやみに咲くいちめんの菜の花】は、追憶とあるように現実と非現実の境の曖昧さをもった歌です。
初句の「振りむけば」は、実際の振りむくという動作だけでなく、思い出そうとするという過去を振り返るという意味にもとらえることができます。
そして「なくなりさうな追憶の」と言葉が続きます。もし振りむいたらなくなってしまいそうだ、それくらいおぼろげではっきりしない思い出ということでしょう。
「ゆふやみに咲くいちめんの菜の花」ということから、黄色の菜の花ではなく、モノクロの映像が思い浮かびます。そしてモノクロの菜の花という不思議なものは、心引きつけられる怪しさがあります。
思い出そうとするほどにはっきりしなくなってしまう、夕闇に咲くモノクロの菜の花は、作者の精神的な辛さや孤独感、はかなさなどを詠みこんだのかもしれません。
作者「河野裕子」を簡単にご紹介!
河野裕子は戦後の女流歌人として、後世の女流歌人の世界を広げた人です。生年は1946年(昭和21)で、熊本県に生まれました。
中学生の時に、母親の持っていた歌集を読んだことがきっかけで作歌を始めました。
高校在学中から投稿をはじめます。大学時代には同人誌「幻想派」に参加し、その後夫となる歌人の永田和宏と出会います。結婚、出産、育児などを通してたくさんの歌を詠み、歌集に残っているだけでも6000首以上の歌があり、生涯で数万の歌を詠んだともいわれています。
平成12年(2000)、54歳の時に乳がんが見つかり手術を受けます。62歳の時に乳がんの再発、転移が見つかり化学療法を受けることになります。
晩年は自宅で過ごし、亡くなる前日まで夫や子供たちが口述筆記の形で歌を書き取り、詠み続けました。平成22年(2010)享年64歳でした。
絶筆「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」
「河野裕子」のそのほかの作品
- たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれないか
- たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
- 子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
- 後の日々再発虞れてありし日々合歓が咲くのを知らずに過ぎた
- 何年もかかりて死ぬのがきつといいあなたのご飯と歌だけ作つて