「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」、現代にも知れ渡る著名なこの句は正岡子規の作品です。
俳句の革新運動に取り組んだりと俳人としての名が主な彼ですが、実は俳句だけでなく短歌も多く詠んでおり、短歌界においても大きな影響をもたらしました。
今回は、そんな「正岡子規(まさおか しき)」の有名短歌を30首ご紹介します。
今日10月14日は俳人、歌人の正岡子規の生まれた日。「柿くへば・・」の名句は、療養生活の世話や奈良旅行を工面してくれた漱石作「鐘つけば 銀杏ちるなり建長寺」の句への返礼の句。現代ではドラマ「坂の上の雲」での香川照之さんが印象深いです。 pic.twitter.com/LWUPVlmJex
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正岡子規の生涯や人物像・作風
(正岡子規 出典:Wikipedia)
正岡子規は1867年(慶応3年)、伊予国・現在の愛媛県出身の文学者です。
亡くなる1902年(明治35年)まで日本の近代文学に多大な影響を及ぼし、明治を代表する文学者の一人です。子規は俳人、歌人、研究者と複数の顔を持ち合わせ、俳句・短歌以外にも随筆や小説、評論の執筆などその活動は多岐に渡ります。
そんな文学者としての力に溢れた子規の歌風は、徹底された「写生(しゃせい)」です。
(※写生・・・自然や事物を実際に見たままに描くこと)
目に映る描写を淡々と詠みながらも、独自の視点を織り交ぜた作品らに多くの歌人が影響を受けました。そして、その世界観と切っても切り離せない事柄が自身の病であり、「死」でした。
虚弱体質であった子規は当時不治の病と言われていた結核を患っていました。喀血する自身と、口内の赤さから「鳴いて血を吐く」と言われていたホトトギスとをかけ、「子規(ほととぎす)」という雅号を用いています。寝たきりの状態を強いられた子規の歌は、大半が療養する部屋からであり、死期が近づくにつれその写生的表現の中にも死が大きく影を落としていきます。
弱々しい印象を受ける一方で、子規は熱心な野球愛好家としても知られ、野球を題材に作品を詠むことは勿論、自身で競技に興じていたりと当時新しい風であった野球の普及に貢献しています
(プレイヤー引退直前の1890年3月末に撮影された子規 出典:Wikipedia)
正岡子規の有名短歌【30選】
正岡子規の有名短歌【1〜10首】
【NO.1】
『 くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる 』
【意味】紅色の二尺ほど伸びた薔薇の芽は棘もまだ柔らかく、そこに春雨が降っている。
【NO.2】
『 隅田てふ 堤の桜 さけるころ 花の錦を きてかへるらん 』
【意味】隅田町の堤の辺りに桜が咲いた頃、(あなたは)桜の花弁の錦を纏って帰ってくることであろう。
【NO.3】
『 松の葉の 葉毎に結ぶ 白露の 置きてはこぼれ こぼれては置く 』
【意味】松の葉一枚一枚についた露が、溜まっては溢れ、また溜まっては溢れる。
【NO.4】
『 松の葉の 葉さきを細み 置く露の たまりもあへず 白玉散るも 』
【意味】先の細い松の葉では、ついた露も堪えきれず白玉のように落ちて散ることよ。
【NO.5】
『 庭中の 松の葉におく 白露の 今か落ちんと 見れども落ちず 』
【意味】庭にある松の木の葉に乗った露が、今まさに落ちる。
【NO.6】
『 人も来ず 春行く庭の 水の上に こぼれてたまる 山吹の花 』
【意味】人の来ないような、春が過ぎた庭の水溜まりに、散った山吹の花が溜まる。
春が過ぎ、花々の色が散り失せ寂しくなった庭に、山吹の花の黄色が彩りを与えることでかつての息吹の面影を思い出させる、絵画のような一首です。
【NO.7】
『 瓶にさす 藤の花ぶさ みじかければ たたみの上に とどかざりけり 』
【意味】花瓶に差した藤の花房は短く、畳の上まで届かないでいる。
【NO.8】
『 藤なみの 花をし見れば 紫の 絵の具取り出で 写さんと思ふ 』
【意味】藤の花を見たなら、紫の絵の具を取り出しその様を写したいと思う。
【NO.9】
『 藤なみの 花の紫 絵にかゝば こき紫に かくべかりけり 』
【意味】藤の花の紫を絵に描くのであれば、濃い紫で表現するのが良いであろうなあ。
【NO.10】
『 足たたば 北インジヤの ヒマラヤの エヴェレストなる 雪くはましを 』
【意味】もしも立つことが出来たなら、北インドのヒマラヤにあるエベレストという山の雪を食べたことであろう。
正岡子規の有名短歌【11〜20首】
【NO.11】
『 久方の アメリカ人の はじめにし ベースボールは 見れど飽かぬかも 』
【意味】遥か遠くのアメリカ人が始めた、ベースボールというものは見ていて飽きないものだ。
【NO.12】
『 九つの 人九つの 場を占めて ベースボールの はじまらんとす 』
【意味】9人が9つのポジションにつき、ベースボールが始まろうとしている。
【NO.13】
『 十四日、オ昼スギヨリ、歌ヨミニ、ワタクシ内へ、オイデクダサレ 』
【意味】14日、お昼過ぎより歌を詠みに私の家においで下さい。
【NO.14】
『 佐保神の 別れかなしも 来ん春に ふたたび逢はん われならなくに 』
【意味】佐保神との別れは悲しく思われる。巡り来る次の春に、再び逢えるこの身では無いものを。
【NO.15】
『 真砂なす 数なき星の 其の中に 吾に向ひて 光る星あり 』
【意味】細かい砂のような、数多くの星のその中に私に向かって光る星がある。
【NO.16】
『 たらちねの 母がなりたる 母星の 子を思う光 吾を照らせり 』
【意味】母星となった母親の子を思う光が私を照らしている。
【NO.17】
『 あら玉の 年のはじめの七草を 籠に植えて来し 病めるわがため 』
【意味】年の初めの七草を籠に植え持ってきた、病床に伏す私のために。
【NO.18】
『 いたつきの 閨(ねや)のガラス戸 影透きて 小松が枝に 雀飛ぶ見ゆ 』
【意味】病で寝たきりの部屋にあるガラス戸から姿が透けて、小さな松の枝に雀の飛ぶ姿が見える。
【NO.19】
『 朝な夕な ガラスの窓に よこたはる 上野のの森は 見れど飽かぬかも 』
【意味】朝夕と関係なくガラス窓に横たわっては上野の森を見ているが、飽きないものである。
【NO.20】
『 常臥に 臥せる足なへ わがために ガラス戸張りし 人よさちあれ 』
【意味】寝たきりで足の動かせなくなっていた私のために、ガラス戸を張ってくれた人に幸せが訪れることを。
正岡子規の有名短歌【21〜30首】
【NO.21】
『 いちはつの 花咲きいでて 我が目には 今年ばかりの 春行かんとす 』
【意味】いちはつの花が咲き出している様が見えるが、私の目には今年限りの春が終わってしまうように映る。
【NO.22】
『 くれなゐの 梅ちるなべに 故郷に つくしつみにし 春し思ふゆ 』
【意味】紅色の梅が散るにつれ、故郷でつくしを摘んだ春が思い出される。
「今年ばかりの春行かんとす」と詠んだ翌年、子規にもう一度春が訪れますが、病状の悪化により、お気に入りであったガラス戸から庭を見ることも叶わなくなります。そんな子規のため、伊藤左千夫が紅梅の下につくしを植えた
盆栽を贈っています。その盆栽から生まれた内の一首がこの歌です。
【NO.23】
『 小縄もて たばねあげられ 諸枝の 垂れがてにする 山吹の花 』
【意味】小縄で結いあげられ、多くの枝が垂れにくいようにされた山吹の花よ。
【NO.24】
『 まをとめの 猶わらはにて 植ゑしより いく年(とせ)経たる 山吹の花 』
【意味】妙齢になった隣の娘がまだ幼かった頃に植えてから、何年が経過したのであろうか、この山吹の花は。
【NO.25】
『 あき人も 文(ふみ)くばり人も 往きちがふ 裏戸のわきの 山吹の花 』
【意味】商人も郵便配達の人も行き交う、裏戸の脇に咲く山吹の花。
【NO.26】
『 病むわれを なぐさめがほに 開きたる 牡丹の花を 見れば悲しも 』
【意味】病に冒されている私を慰めるような顔をして、花を咲かせる牡丹を見ると悲しく思える。
牡丹の美しく鮮やかに咲く姿がいたずらに思え、病に蝕まれる身の上を惨めに感じる様子が感じ取れます。擬人的表現により、「牡丹」と対話するような空気感も窺えます。
【NO.27】
『 夕顔の 棚つくらんと 思へども 秋待ちがてぬ 我いのちかも 』
【意味】夕顔の棚を作ろうと思うが、夕顔の実のなる秋まで待つことの難しい私の命よ。
【NO.28】
『 薩摩下駄 足にとりはき 杖つきて 萩の芽つみし 昔おもほゆ 』
【意味】薩摩下駄を履き、杖をついて萩の芽を摘んだ昔が思い出される。
【NO.29】
『 若松の 芽だちの緑 長き日を 夕かたまけて 熱いでにけり 』
【意味】若松の目の緑が繁るのを日を通して見ていたら、いつの間にか夕方が来て熱が出たことだ。
【NO.30】
『 いたつきの 癒ゆる日知らに さ庭べに 秋草花の 種を蒔かしむ 』
【意味】病の癒える日が来るか、分かるものではないが、秋に咲く草花の種を庭に蒔いてもらった。
以上、正岡子規の有名短歌でした!
34年という短い生涯で詠まれた子規の短歌には儚いながらも力強さがあり、そしてどこか清々しさすら感じさせる独特な雰囲気もあります。
万死の床に臥しながらも文字と共に歩んだ人生、そうして生み出された作品は彼の生き様そのものであったことでしょう。