五・七・五・七・七のリズムが口ずさみやすく、耳にも心地よい短歌。
短歌は愛好家も多く、短歌をたしなむ人、鑑賞する人、多くの人々から愛されています。中でも名歌と呼ばれる作品は、文学として優れ、高い芸術性を有しています。
今回は、数ある名歌の中でも正岡子規の「松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く」という歌をご紹介します。
松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く
春風やまりを投げたき草の原
(子規) pic.twitter.com/ISR0gztaaM— ねこまんま (@1125_1970) June 12, 2018
本記事では、「松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く」の詳細を解説!
松の葉の 葉毎に結ぶ 白露の 置きてはこぼれ こぼれては置く
(読み方:まつのはの はごとにむすぶ しらつゆの おきてはこぼれ こぼれてはおく)
作者と出典
この歌の作者は「正岡子規」です。
明治期に短歌、俳句の革新運動を進めた人物で、写生的な歌を多く詠んでいます。
この歌の出典は『竹乃里歌』。
明治37年(1904)刊。正岡子規の死後にまとめられた遺稿集です。この歌は、明治33年(1900)5月21日の作で、10首の連作のうちのひとつです。正岡子規が亡くなる、二年ほど前のことです。
現代語訳と意味(解釈)
この歌の現代語訳は・・・
「松の葉の一枚一枚に雨粒が露となって宿り、こぼれ、また露となって置き、こぼれることを繰り返していることよ。」
となります。
松の細い一本一本の葉に注目し、そこにつく露の動きを作者はじっと観察しています。繊細な観察眼による優れた写生歌です。
文法と語の解説
- 「松の葉の」
この二つの「の」はどちらも連体修飾格の格助詞です。
- 「葉毎に結ぶ」
「葉毎」は「はごと」と読みます。「~毎」で、「~のひとつひとつ」ということです。細い松葉の一本一本ということですね。「結ぶ」は、この場合、露がつくという意味です。
- 「白露の」
露をより優雅に言うと「白露」となります。「の」は主格の格助詞です。主語を表します。
- 「置きてはこぼれ」
「置きて」は、動詞「置く」の連用形「置き」+接続助詞の「て」です。「置く」は露がつくということ。「こぼれ」は動詞「こぼる」の連用形。露が落ちるということです。
- 「こぼれては置く」
「こぼれては」は動詞「こぼる」の連用形「こぼれ」+接続助詞「て」+係助詞の「は」です。「ては」(接続助詞「て」+係助詞の「は」)は、「…のたびごとに」という意味を作ります。露がつき、大きくなってこらえきれなくなるかのように落ち、また露がつき、そして落ちるという動きが繰り返されていることを表します。
「松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く」の句切れと表現技法
句切れ
この歌に句切れはありませんので、「句切れなし」となります。
表現技法
表現技法として目立つような技法は用いられていません。
「松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く」が詠まれた背景
この短歌は、10首の連作の中の一首です。明治33年(1900年)の作品になります。
このころ、正岡子規は結核菌の引き起こす脊椎カリエス(結核菌が脊椎に入り込んで病変を起こし、背中や腰に激痛をもたらす。)におかされ、寝たきりの生活を送っていました。
つまり、子規は病臥する自室から見える光景を歌に詠んでいるのです。
また、10首の連作の前には、下記の詞書がつけられています。
(※詞書”ことばがき”・・・その歌を作った日時・場所・背景などを述べた前書きのこと)
「五月二十一日雨中庭前の松を見て作る」
(意味:5月20日、雨の庭の松を見て詠んだ歌である。)
病室から眺める庭の風景が子規にとっては世界そのものでもあったのです。
また、この連作には以下のような作品もあります。
松の葉の 葉さきを細み 置く露の たまりもあへず 白玉散るも
(意味:松の葉の葉の先が細くなっているので、こらえきれずに露が白玉のように散ることであるよ。)
庭中の 松の葉におく 白露の 今か落ちんと 見れども落ちず
(意味:庭の松の木の葉におく白露が、今まさに落ちるのだろうと見ていると意外となかなか落ちないものだ。)
どの歌も非常に写生的な作品ばかりです。この翌年、明治34年(1901年)、新聞「日本」誌上に連載していた正岡子規の随筆『墨汁一滴』にこれらの連作についての言及があります。
「ある人に向ひて短歌の趣向材料などにつきて話すついでにいふ、「松葉の露」といふ趣向と「桜花の露」といふ趣向とを同じやうに見られたるは口惜し。余が去夏(きょか)松葉の露の歌十首をものしたるは古人の見つけざりし場所、あるいは見つけても歌化せざりし場所を見つけ得たる者として誇りしなり。(中略)試みに思へ「松葉の露」といへばたちどころに松葉に露のたまる光景を目に見れども「花の露」とばかりにては花は目に見えて露は目に見えずただ心の中にて露を思ひやるなり。是においてか松葉の露は全く客観的となり、花の露は半ば主観的となり、両者その趣を異にす。」
(意味:ある人と短歌の趣向や題材について話していた時に、「松葉の露」と「桜花の露」というものを同じようなもの、とみなされるのは悔しいものです、と私は主張しました。私が、去年の夏、松葉の露の歌十首を詠んだ時には、今までの歌人が見出していなかった趣向、目にとめても歌には詠んでこなかったことを見つけ、歌に詠み込んだと、我ながら誇らしく思ったものです。(中略)想像してごらんなさい、「松葉の露」と言えば、松の葉に露がたまっている光景がすぐ目に浮かぶでしょう。しかし、「花の露」と言われたところで、花はすぐイメージできるでしょうが、そこにたまる露は眼に浮かぶというより、心の中で思いやるだけのものなのではないでしょうか。この点を鑑みると、「松葉の露」は客観的なものであり、「花の露」は半ば主観的なものであることが分かるでしょう。これら二つのものはその趣を全く異にするものなのです。)
(出典:正岡子規 墨汁一滴 - 青空文庫)
俳句においても、短歌においても、客観的に写生することを正岡子規は大切にしていました。
「松の葉の葉毎に結ぶ白露の…」をはじめとした「松の葉の露」の歌は、正岡子規の短歌の中でも客観写生を極めた作品群として有名です。
「松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く」の鑑賞
作者は庭の松の樹の葉の一つ一つに注目しています。ミクロな視点で光景を切り取り、その小さな世界で繰り返されている露の生成と落下をじっと見守っています。
松も露も、古来和歌によく詠まれてきたものです。松は「待つ」と掛けたり、めでたいものの象徴として使ったりされてきました。
「露」も縁語(和歌の中に意味上に関連のある語を複数用いて印象を強める表現技法)が多い言葉です。「松」や「露」を使った歌は、技巧的なものが多くありました。
子規は、そういった古来からの技法や小手先のテクニックをすべて廃し、写生に徹して松葉におく露を詠みあげています。
このようにして正岡子規は和歌の伝統にとらわれず、新しい短歌を詠もうとしていたのです。
作者「正岡子規」を簡単にご紹介!
(正岡子規 出典:Wikipedia)
正岡子規。本名は常規(つねのり)です。江戸時代の終わりに松山藩、現在の愛媛県松山市に生まれました。
生年は1867年(慶応3年)、30年余りの短い歳月を文学にささげて明治35年(1902年)享年34歳の若さで死去しました。
幼い頃から、俳諧や和歌と言った古典文学も学び、長じて月並みで低俗な俳諧などを排し、近代文学としての俳句や短歌を確立すべく革新運動をしました。
明治31年(1898年) 新聞「日本」紙に連載開始した「歌よみに与ふる書」は後世の歌人たちにも影響を与えました。
本格的に短歌に取り組んだのは晩年で、創作活動をした期間は決して長くありませんが、日本近代文学史に偉大な業績を残しました。
「正岡子規」のそのほかの作品
(子規が晩年の1900年に描いた自画像 出典:Wikipedia)
- くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる
- 瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり
- いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春ゆかんとす
- ガラス戸の外のつきよをながむれどランプのかげのうつりて見えず
- 久方のアメリカ人びとのはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも
- 若人のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如くものはあらじ