【昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり】徹底解説!!意味や表現技法•句切れ•鑑賞文など

 

今回、「印象派」と呼ばれる北原白秋の短歌「昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり」をご紹介します。

 

 

本記事では、「昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり」の意味や表現技法・句切れについて徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり」の詳細を解説!

 

昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり

(読み方:ひるながら かすかにひかる ほたるひとつ もうそうのやぶを いでてきえたり)

 

作者と出典

この歌の作者は「北原白秋(きたはら はくしゅう)」です。

 

白秋は明治から昭和にかけて活躍した日本を代表する詩人の一人です。同時に歌人でもあり、歌集も多く残しています。白秋の作品は自然や自然の変化から受けた印象をそのまま表現しようとしたものが多く、情景を絵画のように美しく描いています。ここから「印象派」や「象徴派」と呼ばれることがあります。また、白秋は童謡作家としての一面も持っています。「あめあめふれふれ」のフレーズで知られる「あめふり」や、「赤い鳥小鳥」「ゆりかごの歌」などのなじみ深い童謡の作詞を手がけています。

 

この歌の出典は「雀の卵」です。

 

白秋が完成までに8年を費やした歌集で、自身の短歌687首を収めた大作です。この期間白秋は大変貧しい生活をしていました。「雀の卵」の序文には、白秋の貧しい暮らしと、その中で庭に来る雀をよく眺めていたことが語られています。離婚も二度経験し、彼の人生に大きな変化があった時期の歌集です。しかし、収められている歌は穏やかなものが多く、自然の風景から得た感銘が静かに表現されています。そこには自然の中で、時とともに移り変わる風景や光と影を見つめる白秋の姿があります。

 

現代語訳と意味(解釈)

 

この歌の現代語訳は・・・

 

「昼であるのにかすかに光る蛍が一匹、孟宗の竹林を出て行って、その光は見えなくなったのだ。」

 

という意味です。

 

薄暗い竹林の中に現れた蛍の光への気付きと、見つめているうちにその光が竹林を出て見えなくなったことへの感慨を表した歌です。作者は「竹林の暗さ」と「竹林の外の明るさ」を、蛍のかすかな光によって意識し、そこに情緒を感じたのでしょう。

 

文法と語の解説

  • 昼ながら

昼なのに、という意味です。「ながら」は逆説を表す助詞で、その前の事柄からは予想もしなかった事が後に続いた場合に用いられます。意外だと思う気持ち、驚きがこめられた言葉です。

 

  • 幽かに光る

弱く光る、わずかに光るといった意味です。「幽かに」は「かすかに」と読み、ほの暗くはっきりとは分からないけれど、注意すると確認できるという状態を表します。

 

  • 蛍一つ

「蛍」は腹部に発光する器官がある甲虫で、種類によっては青白い光を点滅させながら飛びます。「蛍が一匹飛んでいる」という様子を「蛍一つ」と数詞を用いた体言止めで表現しています。

 

  • 孟宗の藪を

「孟宗」は「もうそう」で、孟宗竹という竹の一種です。孟宗竹は日本で最も大型の竹で20メートルを超す高さまで育ちます。「藪」は「やぶ」と読み、雑草や雑木などが密生している所を言います。「藪」一文字で竹林を指すこともあります。

 

  • 出でて消えたり

外へ出て消えていった、という意味です。「出で」は「出づ」の連用形で、中から外へ出ることを表します。「消え」は「消ゆ」の連用形で、形のあるものや見えていたものが、形がなくなったり見えなくなったりすることです。「たり」は完了の助動詞で、動作や作用が完了したことを表します。

 

「昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり」の句切れと表現方法

句切れ

この歌には意味上の句切れはありません。この歌で作者はずっと蛍の光を見つめており、途中で目線が切り替わったり自分の感想を述べたりといった文章の切れ目はありません。

 

ただ、第三句の「蛍一つ」が体言止めで、一旦音の区切りは付けられています。

 

字余り

字余りとは、「五・七・五・七・七」の形式よりも文字数が多い場合を指します。あえてリズムを崩すことで意味を強調する効果があります。

 

この歌は三句目「蛍一つ」が6音、四句目「孟宗の藪を」が8音の字余りです。

 

「昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり」が詠まれた背景

 

白秋はこの歌が詠まれた時期、伝肇寺(でんじょうじ)という寺院に部屋を借りて住んでいました。伝肇寺の裏には小さな竹林があり、白秋の暮らす部屋の窓からもその竹林が見えたようです。

 

 

何気なしに眺めていた竹林に蛍の光を発見して、白秋は昼間なのにと意外に思って見つめていたのでしょう。

 

蛍の弱い光が昼間の明るさに紛れて見えなくなったことで、竹林の薄暗さと竹林の外の明るさの差に感じ入り歌にしたのでしょう。

 

「昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり」の鑑賞文

 

「幽か」「蛍」「孟宗」という東洋的なイメージの言葉によって、まるで水墨画の世界のような印象のある歌です。蛍の光による竹林の暗さと昼間の明るさの対比を見たそのままに表現しています。

 

白秋の気持ちは直接は語られませんが、蛍の光が見えなくなるまでずっと見つめていたことが分かります。結びの「消えたり」という完了形で、見えなくなった蛍と残された竹林の暗さを思わせ、深く余韻を残しています。

 

また、「かすかに」は「微かに」とも書きます。「微か」とした場合はとても小さくて見えにくいという意味を含みます。「幽か」はほのかでよく見えないことを言い、ほの暗い様子も指します。

 

白秋は蛍の光が小さいから消えたのではなく、明るくはない光だから昼の光に紛れて消えたのだと表現したのでしょう。蛍のほの暗い光と、それを見せた竹林の一層の暗さを思わせます。

 

作者「北原白秋」を簡単にご紹介!

(北原白秋 出典:Wikipedia)

 

北原白秋は明治18年(1885年)に熊本県で生まれ、福岡県で育ちました。

 

少年時代は勉強そっちのけで文学に熱中し、成長してからも同人誌に詩を載せてのめり込んだため、父親にはよく叱られていたようです。

 

白秋はその後上京し、著名な詩人や歌人とも交流を深めていきます。絵画のように芸術的な白秋の詩は文壇で大いに称賛されました。自身の詩集も刊行すると世間的な知名度も上がり、詩人として人気を得ます。次いで歌集も発表し、白秋は歌人としても成功をします。

 

文学の世界でとんとん拍子に成功した白秋。しかし私生活では不倫によるスキャンダルを起こしたり、遊びでお金を使い過ぎて極貧生活を体験したりと波乱もありました。

 

また、白秋はプライドが高くて喧嘩っぱやく、貧しい時期に童謡の作詞を勧めてくれた文学者の鈴木三重吉とも後にケンカ別れをしています。白秋の詩歌は柔らかい言葉で物静かに語るものが多いので意外ですが、人間味も感じられます。

 

白秋は晩年に病気で視力をほとんど失いますが、昭和17年(1942年)に亡くなるまで精力的に詩歌を作り続けました。表現することに生涯貪欲だった白秋は、生まれながらに詩人であったと言えるでしょう。日本の近代文学に大きな影響を与えた詩歌の巨匠です。

 

「北原白秋」のそのほかの作品

(北原白秋生家 出典:Wikipedia