短歌は、日常の中で感じたことを5・7・5・7・7の31音で表現する定型詩です。
短い文字数の中で心を表現する短歌は、あの『百人一首』が作られた平安時代に栄えていたことはもちろん、古代から1300年を経た現代でも多くの人々に親しまれています。
今回は、昭和初期の歌人・小説家である岡本かの子の歌「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり」をご紹介します。
「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命かけてわが眺めたり」
岡本かの子さんがこの歌を詠んだのは、関東大震災の翌年。
きれいな力強い歌だと思っていましたが、この背景を知り、その込められた想いに涙しました。 pic.twitter.com/6dqC8nCiOC
— G.Grace (@g_musica) April 11, 2015
本記事では、「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり」の詳細を解説!
桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり
(読み方:さくらばな いのちいっぱいに さくからに いのちをかけて わがながめたり)
作者と出典
この歌の作者は「岡本かの子」です。
岡本かの子は昭和初期の歌人・小説家です。現代では、大阪万博の「太陽の塔」の作者「岡本太郎」の母といったほうが分かりやすいかもしれません。おかっぱ頭に奇抜な装いと濃い化粧、そして世間の常識を超えた結婚生活を送り注目を集めた、当時ではかなりの「お騒がせ女」でした。しかし、歌人・小説家としては確固たる地位を築いています。
また、出典は『浴身』です。
1926年に越山堂から出版された歌集で、700首近くの短歌が収められています。岡本かの子にとっては、『かろきねたみ』と『愛のなやみ』につづく3冊目の歌集です。この『浴身』は1999年に短歌新聞社が文庫版を出版していますが、もとの歌集は国会国立図書館デジタルコレクションで画像データとして見ることができます。
(国会国立図書館:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983510?tocOpened=1)
現代語訳と意味 (解釈)
「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり」は、現代語で表すと・・・
「桜の花が命いっぱいに咲いているから、私も命をかけるような気持ちで眺めている」
となります。自らの生と桜の花を重ねて詠んでいるのですね。
意味としては難しいものではありませんが、使われている言葉やそれが選ばれた理由、そこに込められた気持ちに焦点を当てていくと、さらに深く歌の内容を読み取ることができます。
では、語の意味や文法を確かめながら、この歌の真意を読み取っていきましょう。
文法と語の解説
- 「桜ばな」
桜の花のことです。短歌(特に古くから詠まれている和歌)においては、「花」と書くだけで桜の花を指すという共通の見解がありました。現代短歌では「花」だけで桜を示すことはあまりありません。岡本かの子の桜の歌においては、あえて初句の5文字いっぱい「桜ばな」と書くことで桜の花が咲いているようすを表現していると考えられます。
- 「いのちいっぱいに」
これも岡本かの子ならではの独特の表現です。命という言葉に「いっぱい」という一言をつけることで、命が限りあるものであることが強調されています。助詞「に」で3句目につながります。
- 「咲くからに」
「咲く」という動詞に準体助詞「から」+格助詞「に」が続きます。「からに」は前の事柄を理由・原因として次の事柄につなげる意味(~ので、~ゆえに)をもっています。つまり、「咲くので」という意味になります。
- 「生命をかけて」
2句目で「いのち」と平仮名で書いたのに対して、この4句目では「生命」と表記しています。桜の花の「いのち」と人である自分の「生命」を書き分けることで、印象に違いをもたせています。
- 「わが眺めたり」
「わ」は我または吾と書く代名詞で、自分のことを意味します。助詞「が」がつくことで「私が」という主語になります。眺めたりの「たり」は存続の助動詞で、「眺めている」という状態が続いていることを表しています。
「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、歌の中の大きな意味の切れ目のことです。
この歌は初句切れです。初句の5文字で桜の花を潔く表現し、2句目以降で自分の生と重ねている様を描いています。
体言止め
体言止めとは、文末を助詞や助動詞ではなく、体言(名詞・代名詞)で結ぶ表現方法です。文を断ち切ることで言葉が強調され、「余韻・余情を持たせる」「リズム感をつける」効果があります。
この歌は初句が「桜ばな」と名詞で止まっています。無駄に「桜ばなが」等と接続詞を使わず名詞のみで言い切ることで、より「桜」が読者の印象に残ります。
固有名詞の使用
特定された一つの桜の花ではありませんが、「桜」というイメージの限られた名詞を使うことにより、読み手が具体的に想像しやすいものとなっています。
字余り
2句目が7音となるところを、8音にしています。
「いのちいっぱい」でも十分に意味は通じますが、「に」をつけて1音余らせることで、「いっぱい」がより強調されているように思われます。次の句との流れるようなつながりもつくり出されています。
「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり」が詠まれた背景
この歌が詠まれるよりずっと先から歌人であった岡本かの子ですが、この歌は日常の中で自然に作られたというよりは、「企画ありきで作られた」ものです。
「中央公論」の編集者:滝田樗陰が「さくら百首」を企画し、歌づくりを岡本かの子に依頼しました。これに対し、岡本かの子は全部で138首もの桜の歌をつくりました。「桜ばな…」の歌はそのうちの1首です。
この歌を詠んだ経緯について、岡本かの子自身が詳しく語った記録はありません。しかしこの歌をめぐっては、2017年にWEBサイト「ALL REVIEWS」にて歌人の俵万智が次のように語っています。
歌人にとって桜の花というのは、画家にとっての富士山のようなもの。多くの先人に多くの名作を作らせた素材というのは、ちょっとやそっとの気構えでは立ち向かえない。(中略)
依頼された百首を、かの子は一週間で作ったという。奇しくも、私も同じ「中央公論」から桜の短歌を依頼されたことがあるが、一カ月かかってやっと二首。それでも、へとへとになってしまったのを覚えている。
(出典:https://allreviews.jp/review/814)
また、「桜ばな…」の歌は関東大震災とも関係があると考えられています。岡本かの子は避暑のために鎌倉に滞在していたとき、震災に遭いました。東京の自宅は半倒壊だったそうです。
「桜ばな…」の歌は震災の後に詠まれたもので、生命の尊さや生きようとする強い意志が込められているように感じとれます。
「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり」の鑑賞
【桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり】は、桜の花が咲くようすを自分の生と重ねて詠んだ歌です。
一生懸命に咲いている桜の花。その様子は、限りある命を最大限に生かしているように見えたのでしょう。そんな桜の「強さ」に触れ、主人公は「命を掛けて桜を見る」…桜の花を見るときに、そこまでの覚悟をもっている人がいるでしょうか。
実際に命を掛けるわけではありませんが、いのちいっぱいに咲く桜に向き合いそれ相応の気持ちで応える行為からは、「命を尊ぶ気持ち」が感じ取れます。
「自分も桜に負けないように精一杯生きよう!」というかの子自身の思いが込められています。
作者「岡本かの子」を簡単にご紹介!
本名はカノ。小説家であり、歌人でもあります。1889年に神奈川県の大地主の長女として生まれました。
生け花やお茶、裁縫に料理など女子のたしなみはどれも苦手だったため、体裁を重んじる親戚には非難されたようですが、実の母はかの子を庇いました。「あの子はね、他の学問が好きなのだし、あの子の弾く琴の音色だつて違ひますよ。それに、あの子が他のどの点に優つてよいことは、正直で、素直なことです」と言っていたそうです。
そんな母のもとで育ったかの子は、自分という軸をしっかりもったまま育ち、少し変わり者の、不思議な文学少女となりました。跡見高等女学校を卒業し、与謝野晶子に師事して作歌を始めます。22歳で芸術家の岡本一平と結婚し、1911年に長男の太郎を出産。しかしかの子は母親になっても変わらずおっちょこちょいで、赤ちゃんの頭にしょっちゅうけつまずくようなガサツなお母さんだったそうです。
結婚後は夫との性格的対立に悩み続け、仏教研究に入ります。また文学界では「青鞜」に入り、歌集を刊行しました。1936年の『鶴は病みき』以降は作家として活躍しました。作品には耽美的なものが多くあります。
「岡本かの子」のそのほかの作品
- ともすればかろきねたみのきざし来るかなかなしくものなど縫はむ
- 力など望まで弱く美しく生まれしまゝの男にてあれ
- かなしみをふかく保ちてよく笑ふをんなとわれはなりにけるかも
- ふらんすの巴里遠くしてわがのんど裂きつつ呼ぶとも吾子に聞えじ
- ひえびえと咲きたわみたる桜花のしたひえびえとせまる肉体の感じ
- ならび咲く桜の吹雪ぽぷらあの若芽の枝の枝ごとにかかる
- ほろほろと桜ちれども玉葱はむつつりとしてもの言はずけり