【つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて】徹底解説!!意味や表現技法・句切れ・倒置法など

 

万葉の時代より人々に親しまれてきた短歌の世界。

 

「五・七・五・七・七」の三十一文字で、歌人の心情を歌い上げる叙情的な作品が数多くあります。

 

今回は、戦後の復興期から現在に至るまで、伝統を重んじながら、時代の新しい波を感じさせる短歌を詠み続けている・馬場あき子の歌「つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて」をご紹介します。

 

本記事では、「つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて」の詳細を解説!

 

つばくらめ 空飛びわれは 水泳ぐ 一つ夕焼けの 色に染まりて

(読み方:つばくらめ そらとびわれは みずおよぐ ひとつゆうやけの いろにそまりて)

 

作者と出典

この歌の作者は「馬場あき子」です。

 

戦後の復興期に若手歌人として、また能の表現者としての活動を開始しました。初期には、教師としての経験に根ざしたみずみずしい歌や、安保闘争を題材とした社会派の歌を数多く残しました。晩年には、古典に根ざした独自の作風を完成させました。

 

この歌の出典は『早苗』です。

 

こちらの歌集は清新な抒情・凛とした文体を特徴とする、昭和30(1955)に刊行された、馬場あき子の処女歌集です。

 

現代語訳と意味 (解釈)

この歌を現代語訳すると・・・

 

「燕は空を飛び、私は水の中を泳ぐ。同じひとつの夕焼けの色に染まって」

 

という意味になります。

 

一日の終わり、空全体が美しい夕焼けの色に染まっています。静かで穏やかな風景のなか、燕は空を飛び、私は水の中を泳いでいます。はっと息を飲むような絵画的な光景が、読み手に深い印象と幸福感を与える一句です。

 

文法と語の解説

  • 「つばくらめ」

「つばめ」の古名。漢字で書くと「土喰黒女(つばくらめ)」となりますが、この呼び名は、光沢のある黒い鳥を意味するともいわれています。

 

「つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて」の句切れと表現技法

句切れ

句切れとは、一首の中での大きな意味上の切れ目のことで、読むときもここで間をとると良いとされています。

 

この歌は「水泳ぐ」のところで一旦文章の意味が切れます。三句目で切れていますので、「三句切れ」の歌となります。

 

対句

対句とは、意味が対をなす二つ以上の語句を連ねる表現技法です。なるべく種類の似た語句同士が対になっている方がきれいなしらべになります。

 

この句では、「つばくらめ空飛び」と「われは水泳ぐ」が対比され対句になっています。

 

燕とわれの違いを際立たせるために「空」と「水」のシチュエーションの違いが使われており、映像的な効果を生んでいます。

 

句またがり

句またがりとは、文節の終わりと句の切れ目が一致しない状態を言います。句またがりは、短歌のように句数の定まった定型詩で使われる技法です。

 

前半の「つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ」を文節で区切ると「つばくらめ空飛び(9文字)」「われは水泳ぐ(8文字)となるので、「句またがり」となります。

 

ここでは、燕とわれを対比させていますが、句の切れ目としては、「われ」が「燕」の側にはみ出しており、燕への親しみを感じさせる効果があります。

 

また、後半の「一つ夕焼けの色に染まりて」を文節で区切ると「一つ夕焼けの色に染まりて (15文字)」となるので、「句またがり」となります。四句と結句が一体化しており、「燕とわれのどちらともが夕焼けの色に染まっている」ことを強調しています。

 

字余り

字余りとは「五・七・五・七・七」の形式よりも文字数が多い場合を指します。あえてリズムを崩すことで、結果的に意味を強調する効果があります。

 

この歌でも四句目の「一つ夕焼け」が8文字になることから、字余りが用いられています。

 

「一つ夕焼けの」が8文字であることにより、その後の「色に染まりて」の7文字を際立たせています。

 

倒置法

倒置法とは、語や文の順序を逆にし、意味や印象を強める表現方法です。短歌や俳句でもよく用いられる修辞技法のひとつです。

 

この歌を意味どおりに文を構築すると・・・

 

「一つ夕焼けの色に染まりて つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ」

 

という語順になります。

 

しかし、今回はあえて語順を入れ替えることで、読み手に、「つばめが空を飛び、私が泳いでいる」風景 (おそらく青空、白い雲、青く澄んだ水) を想像させ、その後に、その風景をサッと夕焼けの色に染めてしまう、視覚的な効果を生んでいます。

 

「つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて」が詠まれた背景

 

この歌を詠んだ当時、作者は文京区立第五中学校の国語の教師として働いていました。昭和26年頃のことです (作者23)

 

すでに歌人として活動し、本格的に能を学んでいた作者は、非常に多忙な毎日を過ごしていました。そんな中でも、何よりも生徒を愛し、生徒に人間というものの素晴らしさを伝えようと、日々、熱意を持って教育に取り組んでいました。

 

このことについて、作者自身がインタビューで以下のように語っています。

 

「馬場:  みんな元気だったです。中に真面目な子が何人かいる。だからガラス割ったって、なんだって、もう階段から落ちて怪我したとかね、元気でしたね。戦後子供は本当に元気で溌溂としていて、私はやっぱりそういう時に、お能の話をしましたね。能と言ってもお能そのものじゃないんです。「地獄って知っている」っていうようなこと。「地獄というのは陸続きなんだよ。今は極楽では無いかもしれないけど、地獄では無い。でもそこに地獄があった。それが戦争だよ」というふうに教えることができた。それとっても面白かった。あの時代というのが懐かしい。生徒と教員が一体感があったですよね。もう何時までいたって叱られないから、夜の八時九時まで一緒に生徒と喋ってたり、もう文化祭なんていうのは泊まり込みですからね。生徒ともうほんとの一体感。愛したというのは、あの時くらい、生徒を愛した時代ないんじゃないかしらね。

 

聞き手:  先生として子供に何を大事にされて伝えようと?

 

馬場:  人間ですよ。だって戦争が終わった後、初めて人間ということに気がついたんだもの。それまで人間じゃなくて、物だったわけだから。物ですよ。国にとってはね、人間なんて、働くものだし、戦わせるものだし。だから一個の人間であることに、自由に気がついたわけでしょ。それをみんなに気がつかせなければいけないわけ。私たちはその頃はしっかり生徒を抱きしめていましたからね。」

 

(引用元:NHK教育テレビ「こころの時代」インタビュー 平成31年3月10日放映)

 

作者は戦争が終わってから教職に就きました。つまり、生徒に対して、国のために自分を犠牲にしなさいと教える必要はなく、人は自分のために自由に生きれば良いのだと教えることができたのです。

 

教育を志す人間にとって、これほど幸せなことはないでしょう。生徒たちも、自由に学べること、自由に発言できることによる幸福感に満ち溢れていた様子が、インタビューからうかがえます。

 

「つばくらめ」の歌の伸びやかさ、美しさからは、言論と思考の自由を享受する、戦後の若い女性らしい幸福感が伝わってくるように感じられます。

 

「つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて」の鑑賞

 

「つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ」で表現されている対比は、非常に清冽で美しく、読み手に深い印象を与えます。

 

作者が実際に水に入っていたのかは、この歌を読んだだけではわかりません。「われは水泳ぐ」の部分が作者の創作で、作者の心象風景を表現した一句のようにも思えます。

 

しかし、この一句は、どうやら中学校教師であった作者が、中学校のプールにふわり浮かんでいたときに見た風景をそのまま詠んだものと言われています。

 

作者自身が、以下のように語っています。

 

「放課後のプールは教師たちも得意の泳ぎを競ったりしたが、戦中の少女であった私は泳ぐ場面に恵まれていなかった。担任の子供たちにまじってバタ足から入門することになったが、平泳ぎも顔を上げると立ってしまい、ものの五メートルほどしか進まない。そのうち生徒らは私のおなかに縄をつけて引っぱるなどと言い出し、散々であったが結局は泳げずじまいなのである。
 ところが幸いなことに背泳ぎだけは何とか浮かんでいることができた。私はプールに一人浮かぶのが好きであった。空は薄い夕焼けの色が広がり、燕がひるがえりひるがえり飛んでいる。高い建物などもなく、眼中には空しかない豊かな解放感の中で、ゆったりと水をゆく。空の燕の鳴き交わす声に応じるような交歓のひととき、私の眼中の世界は落暉の最後の輝きに一切がもも色に染まってゆくのだった。」

(短歌結社・歌林の会ホームページより)

 

この歌については、歌の裏に隠された意味を推測せずに、素直に解釈して、短く凝縮された言葉に込められた美しさ、ゆっくりと時が流れることによる幸福感を感じることが、正しい鑑賞法だと言えるでしょう。

 

作者は中学校で生徒を教えることにやりがいと幸せを感じており、愛する生徒と過ごす時間はかけがえのない時間だったと言われています。

 

その満たされた気持ちや嬉しさが伝わってくる一句となっています。

 

作者「馬場あき子」を簡単にご紹介!


馬場あき子は、90歳を超えた今でも第一線で活躍を続ける、現代を代表する歌人のひとりです。

 

昭和3(1928)東京都生まれ。幼くして母を亡くし、父の再婚後は、父と継母の3人で暮らすようになります。綺麗な継母に憧れ、継母に喜んで欲しいという思いで一所懸命勉強し、国語では特に良い成績を収めました。高等女学校に入学後、短歌を作り始めます。

 

高等女学校に通っているときに、第二次世界大戦が勃発し、軍事工場に動員されます。戦時の体験は、その後のものの考え方、短歌の歌風に大きな影響を与えることとなります。

 

戦後、日本女子専門学校(現・昭和女子大学)国文科を卒業。大学時代に能を本格的に学び始め、短歌結社誌『まひる野』(窪田空穂主宰)に参加します。昭和23(1948)、この年より、東京都の中学・高校の教師を務めます。昭和34(1959)、同年より翌年にかけて、教職員組合の婦人部長として、安保闘争のデモなどに参加します。悲惨な戦争を二度と繰り返してはならないという思いからでした。

 

昭和52(1972)、教員生活を終え『まひる野』を退会。歌誌『かりん』を創刊。短歌と文筆で生計を立てる決意をします。短歌界の名だたる賞を次々と受賞、時代を代表する歌人となっていきます。

 

「馬場あき子」のそのほかの作品

 

  • さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり
  • あやまたず来る冬のこと黄や赤の落葉はほほとほほゑみて散る
  • 夜半 (よは) さめて見れば夜半さえしらじらと 桜散りおりとどまらざらん
  • 真夜中にペットボトルの水を飲むわたしは誰も許していない