【9月の短歌(和歌)集 20選】飛鳥時代から現代まで!9月らしい有名作品を紹介

 

9月と言えば、夏も終わり、秋へのうつろいが感じされる過ごしやすい時期ですよね。

 

季節の変わり目は、自然や景色、またご自身の心持ちにも繊細な変化があり、短歌を詠むにはぴったりの季節だと言えるでしょう。

 

今回は、飛鳥時代の和歌から現代の短歌にいたるまで、20首の9月の短歌(和歌)をご紹介します。

 

短歌職人
ぜひお気に入りの短歌を見つけてみてください!

 

9月の有名短歌(和歌)集【昔の短歌(和歌) 10選】

 

まずは、飛鳥時代の和歌から江戸時代までの昔の短歌(和歌)をご紹介します。

 

【NO.1】藤原敏行(古今和歌集)

『 秋の夜の あくるも知らず なく虫は わがこと物や かなしかるらん 』

現代語訳:秋の夜の明けるのも知らずに鳴いている虫は、私と同じようにもの悲しい気持ちでいるのだろうか

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作者の藤原敏行は、優れた歌人であるという三十六歌仙の1人として数えられます。この場合の“虫”とは、コオロギや松虫など、美しいけれどどこか切ない声で鳴く秋の虫のことを指しています。虫の鳴き声の切なさに、もの悲しい気持ちである自分自身を重ね合わせている一首です。

 

【NO.2】伊勢(捨遣和歌集)

『 いづこにも 草の枕を 鈴虫は ここを旅とも 思はざらなむ 』

現代語訳:どこにでも草の枕を。でも、鈴虫はここを旅の宿とは思わないでほしい

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作者の伊勢も、三十六歌仙の1人に数えられています。これは作者が旅の途中に詠んだ歌でしょうか。草を枕にし、どこででも眠ることができるという気楽さがあります。しかし、鈴虫の声に眠りを邪魔されたくはない、というユニークな一首です。

 

【NO.3】式子内親王(式子内親王集)

『 秋きぬと 萩の葉風の つげしより 思ひしことの ただならぬ暮 』

現代語訳:秋が来た、と荻の葉を吹く風が告げてから、思っていたこと…それは、ただごとではない夕暮れ

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式子内親王は平安時代の貴族で、三十六歌仙の1人です。萩と言えば、秋の七草の1つとも言われており、秋を象徴する植物ですね。ただごとではない夕暮れ、は、嵐の前の静けさを指しているのでしょう。9月と言えば夏が終わり、台風がやってくる季節でもあります。

 

【NO.4】大江千里(新古今和歌集)

『 いづくにか 今宵の月の 曇るべき をぐらの山も 名をやかふらむ 』

現代語訳:一体どこで、今晩の月が雲るというのか。(そのようなことがあれば)小倉山もその名前を変えることだろう

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この歌は、十五夜の月を詠んだ歌だと推測されます。「見事な月がどうして曇ることがあろうか、万が一そんなことがあれば、かの有名な小倉山でさえ、その名前を変えてしまうだろう」と、月夜の美しさを讃えているのですね。

 

【NO.5】藤原範永(後捨遣和歌集、金葉和歌集)

『 すむ人も なき山里の 秋の夜は 月の光も さびしかりけり 』

現代語訳:住む人もない山里の秋の夜は、月の光も寂しく見えることだ

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人気のない静まりかえった山里、その秋の夜空に静かに月が昇っている様子が、目に浮かんでくる一首です。作者はこの歌を、京都の広沢というところで詠んだと言われています。

 

【NO.6】遍照(古今和歌集、遍照集)

『 名にめでて 折れるばかりそ 女郎花(おみなえし) われおちにきと 人にかたるな 』

現代語訳:名前に惹かれて手折っただけなのだ、女郎花よ。私が堕落したなどと、人に言わないでくれよ

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女郎花は、荻と同じく、秋の七草の1種です。“じょろうばな”と書くので、その名前の響きに惹かれて、作者は花を手折ってしまったのでしょう。作者の遍照(へんじょう)は、俗世を捨てた僧だったので、女性との関わりは禁止されていました。女郎花を女性に見立ててこの歌を詠んだのでしょう。

 

【NO.7】藤原俊成(出典不明)

『 三日月の 野原の露に やどるこそ 秋の光の はじめなりけれ 』

現代語訳:三日月が野原の露に宿るのが、秋の光の始まりなのだ

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作者の藤原俊成は、『千載和歌集』の撰者です。“三日月が野原の露に宿る”というのは、野原の露の表面に、三日月が映し出されている姿を現しています。誰もが見落としてしまいそうな些細な風景ですが、作者はその様子を切り取って、秋の始まりを感じとったのですね。

 

【NO.8】紀貫之(出典不明)

『 やどせりし 人のかたみか 藤袴 わすられがたき 香ににほいつつ 』

現代語訳:我が家に宿った人の形見だろうか、この藤袴は。忘れがたい香りを匂わせている

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紀貫之は三十六歌仙の1人で、『古今和歌集』の撰者の1人でもあります。藤袴は、秋の七草の一種で、薄い紫色の花をつける美しい植物です。作者にとって、藤袴は、誰か忘れがたい人を想わせる花なのかもしれません。美しい花と香を感じながら、亡き人に想いを巡らせる作者の姿が、目に浮かんでくるようです。

 

【NO.9】恵慶法師(百人一首)

『 八重むぐら しげれる宿の さびしさに 人こそ知れね 秋は来にけり 』

現代語訳:このような、いくえにも雑草の生えている宿はすたれて淋しく、人は誰も訪ねてこないが、ここにも秋はやってくるようだ

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すっかりすたれてしまった宿には、誰も人が訪ねてきませんが、季節の移ろいはどんな場所にも、平等にやって来るのでしょう。自然は厳しい姿を見せることもありますが、この歌のように、我々人間や生きているものに優しくしてくれることもありますね。

 

【NO.10】天智天皇(百人一首)

『 秋の田の 刈り穂の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露に濡れつつ 』

現代語訳:秋の田の側に作った仮小屋に泊まってみると、屋根のふいた苫の目が粗いので、そこから落ちてくる冷たい露が、私の衣手をすっかり濡らしてしまったことだ

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稲刈りと言えば、9月です。百人一首の中でもとりわけ有名なこの一首ですが、まさに9月の短歌の代表作と言えるでしょう。衣手とは、着物の袖(たもと)のこと。作者である天智天皇は、普段は粗末な小屋に寝起きすることはないでしょうから、この経験も珍しいものとして楽しんでいたのではないでしょうか。

 

9月の有名短歌集【現代/近代短歌 10選】

 

ここからは、明治時代から現代に詠まれた9月の短歌についてご紹介していきます。

 

【NO.1】与謝野晶子(恋衣)

『 きりぎりす 葛の葉つづく 草どなり 笛ふく家と 琴ひく家と 』

現代語訳:葛の葉が続いている、その隣同士にきりぎりすがいる。(鳴き声がそれぞれに違うので、まるで)笛を吹いている家と、琴を弾いている家があるように感じられる

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短歌の世界では、“きりぎりす”とはコオロギや松虫など、秋の虫全般を指します。秋の虫はそれぞれにちがった、美しい鳴き声を聞かせてくれますよね。作者の可愛らしい感性が光る一首です。

 

【NO.2】与謝野晶子(みだれ髪)

『 母となり なほなつかしむ 千代紙の たぐひと見ゆる 紅荻の花 』

現代語訳:母となった今でも、懐かしさを覚えてしまう千代紙。紅荻の花は、そんな千代紙と同じようななつかしさを持っている

短歌職人
大人になってもなお、子供の時に好きだったものには、なつかしさや愛おしさを覚えますよね。作者にとってそれは、色とりどりの千代紙や、きれいな赤い色をした紅荻の花だったのでしょう。

 

【NO.3】北原白秋(白南風)

『 曼珠沙華 茎立ち白く なりにけり この花むらも 久しかりにし 』

現代語訳:曼珠沙華の茎が白くなっている。ここらの花畑にやってくるのも、ずいぶん久々のことだ

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曼珠沙華とは、彼岸花(ひがんばな)の別名で、真っ赤な花をつける植物です。その名の通り、お彼岸の頃に花を咲かせます。作者はお彼岸の頃、里帰りをしたのでしょうか。まるで故郷に帰る人を待っているかのように咲いている彼岸花の姿が目に浮かぶようです。

 

【NO.4】古泉千樫(出典不明)

『 わが待ちし 秋は来りぬ 三日月の 光しづけく かがやきにけり 』

現代語訳:私が待ちのぞんだ秋がやってきた。三日月の光が静かに輝いている

短歌職人
作者にとって秋の始まりは、夜空に浮かぶ三日月の美しい光を見ることなのでしょう。特に9月の月は1年の中で、澄み切ってさえざえと美しいと言われています。

 

【NO.5】若山牧水(海の聲)

『 白桔梗 君とあゆみし 初秋の 林の雲の 静けきに似て 』

現代語訳:白桔梗は、かつてあなたと歩いた、初秋の林の上に浮かんでいた雲の静けさに似ていることだ

短歌職人
白桔梗は秋の花で、うっとりするほど美しい純白の花を咲かせます。作者はこの花を見て、かつて“君”と歩いた初秋の林を思い出し、その時に空に浮かんでいた雲の静かさを想っているのでしょう。

 

【NO.6】若山牧水(海の聲)

『 雲はいま 富士のたかねを はなれたり 裾野の草に 立つ野分かな 』

現代語訳:雲はいまや、富士山の高嶺を離れていく。裾野に生えた草には、野分が立っている

短歌職人
野分(のわけ、のわき)とは、秋に吹く強い風のことを言います。富士山の高嶺を離れていく雲の高さと、富士山の裾野に生えた草に吹く風。2つの自然現象の対比が美しい一首です。

 

【NO.7】伊藤左千夫(出典不明)

『 秋くさの 千草の園に 女郎花 穂蓼(ほたで)の花と たかさあらそふ 』

現代語訳:秋の草たちがたくさん生えており千草の園のようになっているところで、女郎花と穂蓼の花とが、自分たちの背丈を競い合っているようだ

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穂蓼とは、蓼の穂が出たもののことです。蓼は、濃いピンクの花をつけるのが特徴的な植物です。9月には、さまざまな植物が成長を遂げる季節でもあります。作者には、女郎花の花と穂蓼の花が、互いの成長を競っているように感じたのでしょう。

 

【NO.8】長塚節(初秋の歌)

『 馬追虫(うまおい)の 髭のそよろに 来る秋は まなこを閉じて 想ひ見るべし 』

現代語訳:馬追虫が長い髭をそよろと動かすように、ひそかにやって来る秋。そんな秋の気配は、目を閉じて感じるものである

短歌職人
馬追虫はバッタの仲間で、とても長い髭を持っています。別名、スイッチョと呼ばれます。秋の気配はひそかにやってくるので、目を閉じてしっかりと感じていないと、つい見逃してしまいそうです。

 

【NO.9】齋藤茂吉(出典不明)

『 秋なれば こほろぎの子の 生まれ鳴く 冷たき土を かなしみにけり 』

現代語訳:秋になり、こおろぎの子供が生まれて鳴いている。まるで土が冷たいのを悲しんでいるかのようだ

短歌職人
その年に新しく生まれたこおろぎの子供が鳴き始めると、秋の始まりを感じますね。その鳴き声の中に悲しみを感じるというところが、とても風流だと思います。

 

【NO.10】齋藤茂吉(赤光)

『 鶏頭の 古りたる紅の 見ゆるまで わが庭のへに 月ぞ照りける 』

現代語訳:色あせてしまった鶏頭の赤い花がよく見えるまで、私の庭のそばに月明かりが照ってきていることだ

短歌職人
鶏頭(けいとう)とは、赤い花をつける植物の一種で、その花がまるで鶏のとさかに見えることから、そう名付けられています。秋と言えば、植物が色づく季節ですよね。9月の美しい月の光に照らされて、赤い花が美しく輝いているのが伝わってきます。

 

以上、9月の短歌(和歌)をご紹介しました。

 

夏の終わりを少し寂しく感じながらも、聞こえてくる秋の虫たちの鳴き声や、夜空に美しく輝いている月の光を見つけた時、「ああ、秋が始まったんだ」としみじみ感じ入ることがあるのではないでしょうか。

 

短歌職人
今回ご紹介した短歌を参考にして、初秋に感じる心の動きを短歌にして詠んでみてくださいね。