【髪五尺ときなば水にやはらかき少女ごころは秘めて放たじ】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど

 

古来より親しまれてきた日本の伝統文学のひとつに短歌があります。

 

「五・七・五・七・七」の調べにのせて、歌人の心情を描く叙情的な作品が数多く残されています。

 

今回は、青春の美を誇らかに歌い上げた与謝野晶子の歌「髪五尺ときなば水にやはらかき少女ごころは秘めて放たじ」をご紹介します。

 

 

本記事では、「髪五尺ときなば水にやはらかき少女ごころは秘めて放たじ」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「髪五尺ときなば水にやはらかき少女ごころは秘めて放たじ」の詳細を解説!

 

髪五尺 ときなば水に やはらかき 少女ごころは 秘めて放たじ

(読み方:かみごしゃく ときなばみずに やはらかきを とめごころは ひめてはなたじ)

 

作者と出典

この歌の作者は「与謝野晶子(よさの あきこ)」です。明治から昭和にかけて活躍した女流歌人です。

 

保守的な時代において、女性の恋愛感情や自己賛美を大胆に歌い上げる斬新な歌風は、当時の歌壇に大きな影響を及ぼし、近代短歌に新しい時代を開きました。

 

また、この歌の出典は、明治34年に刊行された晶子の第一歌集『みだれ髪』です。この歌集を発行した当時、彼女はまだ満22歳という若さで、女性の官能を大らかに詠んだ歌が多く収録されています。

 

現代語訳と意味(解釈)

この歌を現代語訳すると・・・

 

「五尺もある長い黒髪を解いて水に放つと、やわらかに水に漂うことでしょう。でも私の心の内は人には秘めて解き放つことはありません」

 

という意味になります。

 

結い上げていた髪を水に解くと、やわらかく揺らぎながら広がっていきます。私の秘めている乙女心もひとたび開放すれば、この髪のように自由になることでしょう。でもそうすることはできず、乙女心は決して明かすまいと強い意思で歌を締めくくっています。

 

この歌に詠まれている「少女ごころ」とは、作者が密かに想いを寄せている人への恋心を表しています。そう簡単に人に打ち明けるものではなく、秘するからこそ美しく価値あるものになっていくという若き女性の信念が詠みとれます。

 

文法と語の解説

  • 「五尺」

一尺は約30cmとなり、五尺は約1.5mの長さを表しています。これは誇張表現で、それほど長く美しい髪だということを意味しています。

 

こうした数を表す語、つまり数詞というと、具体的な数値をそのまま表現しているように思いますが、短歌の世界では題材を象徴化するために使われることが多くあります。

 

晶子は数詞を巧みに取り入れることで知られており、これは晶子自身が好んだ漢詩調の歌などに影響されたものといわれています。

 

  • 「ときなば」

完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」+接続助詞「ば」の連語で、「~たならば」「~てしまったならば」を表します。この歌では「解いたならば」と訳します。

 

  • 「少女」

「しょうじょ」ではなく「をとめ」と読みます。女児ではなく、年の若い女性を指しています。

 

  • 「はなたじ」

「放つ(はなつ)」の未然形+打ち消しの意思の接続助詞「じ」の形式で、「放つつもりはない」「放つまい」と訳します。この歌に主語は書かれていませんが、意思の接続助詞によって「私」という作者の姿が浮かびあがります。

 

「髪五尺ときなば水にやはらかき少女ごころは秘めて放たじ」の句切れと表現技法

句切れ

句切れとは、一首の中で大きく意味が切れるところを言います。普通の文でいえば、句点「。」がつくところで、読むときにもここで間をおいて読むとよいとされます。

 

この歌の句切りはありませんので、句切れなしとなります。

 

しかし「髪五尺」と助詞を除いて初句切れにも似たインパクトを与えることで、読み手の心を一気に引きつけ、今後の展開を期待させます。

 

序詞(じょことば)

序詞とは、ある特定の語を導き出すために、その前に置かれる修辞的語句です。古来より用いられてきた技法のひとつで、歌のイメージを膨らませ、奥行きをだす役割を持っています。

 

「髪五尺ときなば水に」までは「やはらかき」を導き出すための「序詞」になり、水に浮かんだ髪の柔らかさから、傷つきやすい青春の乙女心を比喩的に表現し、雰囲気を高めています。

 

体言止め

体言止めとは、文末を助詞や助動詞ではなく、体言(名詞・代名詞)で結ぶ表現方法です。文を断ち切ることで言葉が強調され、「余韻・余情を持たせる」「リズム感をつける」効果があります。

 

この歌の初句も「髪五尺」と名詞で終わっており、五尺ほどもある黒髪の長さを強調しています。

 

髪の長さは女性の美しさに比例しており、自身の黒髪を誇らしげに歌い上げています。

 

倒置法

倒置とは、語や文の順序を逆にする表現のことで、短歌や俳句でもよく使われる修辞技法のひとつです。

 

この歌でも本来の意味どおりに文を構築すると、二句目は「水にときなば」という語順になります。あえて文の調子を崩すことで、読み手に強い印象が残りインパクトを与えています。

 

「髪五尺ときなば水にやはらかき少女ごころは秘めて放たじ」が詠まれた背景

 

実際に晶子自身は髪の長い女性で、歌集の題名も『みだれ髪』であることから自身の黒髪を誇りとしていたことがうかがえます。

 

長く艶やかな黒髪は、万葉の時代より美しい女性の象徴とされてきました。

 

平安の歌人・和泉式部も・・・

 

「黒髪のみだれも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞこひしき」

(意味:黒髪の乱れも気にせず横たわっていると、以前にもこの髪をかきあげて下さったあの人のことが恋しくて仕方がない)

 

と詠んだように、女性の長い黒髪には恋心を連想させる歌が多く存在します。

 

この歌も王朝和歌から続く「秘する恋」と「長い髪」という伝統的な題材を詠んでいますが、近代的な自己表現へと変革した一首だといえます。

 

明治時代を生きる女性は、男尊女卑という名の封建制に呪縛された「女性のあるべき姿」に律するかのように、長い年月をかけて伸ばした黒髪を、頭部にきつく結い上げて暮らしていました。

 

だからといって女性たちが自我や情熱を持っていなかったかというと、そうではありません。結い上げた髪を水に放つことで、広がってその豊かさを表すように、ひとたび胸のうちも開放すれば、大きな広がりを見せるのです。

 

しかしその思いを表に出してしまうと、常に拡散してしまいつまらないものになってしまいます。だからこそ「秘めて放たじ」と結んだこの歌は、当時の女性の考え方が実によく現れている一首となっています。

 

「髪五尺ときなば水にやはらかき少女ごころは秘めて放たじ」の鑑賞

 

この歌からは、水に放たれ柔らかく広がる黒髪の美しさ、髪を解く腕や肩には白い肌までも見えてくるようです。

 

水の中でたゆたう流動的な黒髪を視覚的にイメージし、その後に続く「少女ごころ」の柔らかさをよりいっそう強調しています。

 

前半のやわらかな表現とは対照的に、後半のストイックな心持ちから秘めた思いの強さを詠みこまれています。

 

髪が水に解かれて広がっていくこのイメージは、奔流のような激しい恋愛の熱情そのものであり、「解く」「放つ」といった言葉選びから、「少女ごころ」の大きさや深さをありありと伝えています。

 

こうした描写に、読み手は「放たじ」の禁止の意思とは逆接的な表現を感じ取ることができるでしょう。

 

そしてこの秘めた恋心は、いつまでも隠しておくというよりは、今はまだ解き放つ時期ではないという作者の心情がうかがえます。

 

青春の傷つきやすい少女の可憐な姿を詠みつつ、どこか扇情的な雰囲気を醸し出しています。

 

作者「与謝野晶子」を簡単にご紹介!

(与謝野晶子 出典:Wikipedia)

 

与謝野晶子(1878年~1942年)は、明治から昭和にかけて活躍した女流歌人です。本名は与謝野(旧姓は鳳)志ようといい、ペンネームを晶子としました。

 

作歌・思想家としての顔も持ち、『新釈源氏物語』の現代語訳でも知られ、婦人運動の評論家として社会に大きな影響を与えています。

 

女性の自由を詠んだ歌を多く残し「情熱の歌人」とも言われた晶子ですが、実際の生き方も歌の同様情熱的で奔放なものがありました。

 

当時はお見合い結婚や政略結婚が当たり前であり、縁談相手は自分の意思ではなく親が決めるものでした。しかし晶子は、憧れの詩人であり、既婚者でもあった与謝野鉄幹に惚れこんでしまい、彼の後を追うため実家を飛び出してしまいます。

 

鉄幹の編集により刊行された処女歌集『みだれ髪』は、命がけの恋心や今このときの自身の美しさを誇らかな情熱を持って歌い上げた作品が多く、明治の歌壇に大きな衝撃を与えました。

 

従来の女性像を打ち破る革新的な歌で、道徳観に縛られていた女性や少女たちから熱狂的な支持を得た晶子は、無名歌人から一躍文壇に押し上げられていきました。

 

不倫の末に至った鉄幹との結婚生活でも、嫁ぎ先の夫に従って生きるだけという古めかしい習慣に囚われることはありませんでした。12人の子ども達を生み、育児に専念するだけでなく、詩人としてのキャリアに翳りが見え始めた夫に代わり、家計を支え続けました。

 

作家として5万首の歌を残し、評論家・文学者など他領域の分野でも活躍し続けました。

 

「与謝野晶子」のそのほかの作品

(与謝野晶子の生家跡 出典:Wikipedia