【君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも】徹底解説!!意味や表現技法・句切れ・鑑賞文など

 

平安時代には和歌を詠むことは一定以上の階級の人にとっては必須の教養でした。様々な歌集や歌にまつわる物語、本が書かれました。

 

今回は平安時代の歌物語『伊勢物語』から「君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも」をご紹介します。

 

 

本記事では、「君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも」の意味や表現技法・句切れについて徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも」の詳細を解説!

 

君があたり 見つつを居らむ 生駒山 雲な隠しそ 雨は降るとも

(読み方:きみがあたり みつつをおらむ いこまやま くもなかくしそ あめはふるとも)

 

作者と出典

この歌は作者の名前が具体的に伝わっていません。「よみびとしらず」の歌です。

 

この歌の出典は、平安時代の『伊勢物語』(第23段 東下り)、鎌倉時代の『新古今和歌集』(巻十五 恋歌五 1369です。

 

『伊勢物語』は平安時代初期の歌物語です。歌物語とは、和歌とそれにまつわるエピソードをまとめた本です。『伊勢物語』では、とある男の元服(成人式のようなもの)から死まで125の章段でまとめられています。

(※本の中でこの男の名をはっきりとは言及していませんが、歌人・在原業平であるとされてきました。しかし、『伊勢物語』に描かれている男の話が全て在原業平のことであると考えにくい部分もあります)

 

この、「君があたり…」は、とある男を関係を持った女性の歌として『伊勢物語』に載っています。歌の作者の名前はわかりません。

 

一方、『新古今和歌集』は、鎌倉時代初期に作られた日本で八番目の勅撰和歌集(天皇の命令で編纂される歌集)です。後鳥羽院の命令により、藤原定家らが編纂しました。この歌は、「よみびとしらず」として収録されています。

 

『新古今和歌集』の編纂の目的のひとつに、『万葉集』や、それまでの勅撰和歌集に選ばれなかった優れた歌を集めるというものがありました。『伊勢物語』の中の有名な歌としてこの歌が『新古今和歌集』に入集したものと考えられます。

 

現代語訳と意味(解釈)

この歌の現代語訳は・・・

 

あなたがいらっしゃるあたりを見続けておりましょう。生駒山、あの人がいる方角をどうか雲よ、かくさないでおくれ。たとえ雨はふったとしても。」

 

となります。

 

心が離れていった恋人を慕って詠んだ歌です。

 

文法と語の解説

  • 「君があたり」

「君」は相手をよぶ言い方です、この場合は恋人です。

「が」は格助詞です。

「君があたり」で、「あなたがいるあたり」というくらいの意味です。

 

  • 「見つつを居らむ」

「見つつを」は、動詞「見る」の連用形「見」+接続助詞「つつ」+間投助詞「を」から構成されています。

「つつ」は「~しながら」という意味で、「を」は、語調を調えたり意味を強める働きがあります。

「居らむ(おらむ)」は、動詞「居る」未然形「居ら」+意志の助動詞「む」です。

「見つつを居らむ」で、「見ながらいよう、見ながら過ごそう」といったような意味です。

 

  • 「生駒山」

「生駒山」は奈良県にある山です。こちらの方に恋人が住んでいるので、この歌の作者は生駒山を眺めているのです。

 

  • 「雲な隠しそ」

「隠し」は動詞「隠す」連用形です。

「な+連用形+そ」で「~するな」、という禁止の意味を作ります。「な…そ」は呼応の副詞です。

 

  • 「雨は降るとも」

「降る」は動詞「降る」終止形です。

「とも」は接続助詞です。

 

「君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも」の句切れと表現技法

句切れ

句切れとは、一首の中で大きく意味が切れるところを言います。普通の文でいえば、句点「。」がつくところで、読むときにもここで間をおいて読むとよいとされます。

 

この歌は、二句目の「見つつを居らむ」で一旦意味が切れますので、「二句切れ」の歌です。

 

字余り

字余りとは、規程の字数よりも多い字数で歌を詠むことです。

 

この歌は、初句が「きみがあたり」と六字であり、1文字オーバーの字余りになっています。

 

倒置法

倒置法とは、語や文の順序を逆にし、意味や印象を強める表現方法です。短歌や俳句でもよく用いられる修辞技法のひとつです。

 

この歌は、普通の言葉の並びでいえば「雨は降るとも 雲な隠しそ」となります。

 

しかし、今回の歌のように「雲な隠しそ 雨は降るとも」と倒置法を用いることで、この部分を強調しています。

 

擬人法

擬人法とは、人間ではない物・事を人間のように例える技法です。

 

この歌では、雲に「な隠しそ」と呼び掛けています。雲を話のできる相手であるかのように扱っており、擬人法になります。

 

倒置法、擬人法を用いることで、心の離れた恋人を思う気持ちを印象的に表現しています。

 

「君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも」が詠まれた背景

 

この歌は『伊勢物語』23段、筒井筒という話の後半にあります。

 

話の内容を要約してご紹介します。

 

昔、幼馴染の男女がいました。お互いに相手はこの人しかいないと思いつづけ、男は以下の歌を詠みました。

 

「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」

(意味:庭の井戸をかこむ、井筒(井戸の枠)と比べたりして遊んだ私の背丈もずいぶん大きくなったのですよ、あなたにお会いしないうちに。)

「くらべこしふりわけ髪も肩過ぎぬ君ならずしてたれかあぐべき」

(意味:くらべあった髪の長さも、私は肩を過ぎて伸びました。あなたのためでなくてどなたのために髪をあげましょうか。 ※髪をあげるとは、女性が成人し、結婚できることを示す。)

 

こうして二人は夫婦になりました。しかし、しばらくして男は、河内国高安郡の別の女のところにも通うようになりました。妻が嫌な顔一つしないでいるので、夫はかえって妻の浮気を疑い、隠れて妻の様子を伺っていたら、妻は・・・

 

「風吹けば沖つしら浪たつた山よはにや君がひとりこゆらむ」

(意味:風が吹けば、沖には白い波が立つだろう、立つといえば、気にかかるのはたつた山のこと、夜中に我が夫は一人山越えをしているのだろうか、心配なことよ。)

 

と歌を詠んで夫の帰りを待っています。夫は、この妻の様子をいじらしく思い、河内へ通うことをやめてしまいました。

 

しかし、ごくまれにはこの夫も河内の女性のところへやってきます。ある時、女の方も気を許して体裁もつくろわず、ご飯を自分でよそったりしていました。男はそんな女が嫌になって、ますます足が遠のきました。

 

「君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも」

(意味:あなたがいらっしゃるあたりを見て過ごしていましょう。生駒山、あの人がいる方角を、どうか、雲よ、かくさないでおくれ。たとえ雨はふったとしても。)

 

と詠んだりして、男を待っていました。やっとのことで、「訪ねていこうと思う」と男の方から言ってよこしたのに結局はやってこないというようなことが続き、二人の仲は絶えてしまいました。

 

一人の男と二人の女の話でした。「君があたり…」の歌を詠んだ女は、結局男とはすれ違う結果になってしまったのです。

 

この歌は万葉集にも載っている!?

 実はこの歌とほぼ同じ語句の歌が『万葉集』巻十二 3032番にもあります。

 

「君があたり見つつも居らむ生駒山雲なたなびき雨は降るとも」

 

歌の四句が、『伊勢物語』は「雲な隠しそ」、『万葉集』は「雲なたなびき」となっているところが異なります。「なたなびき」とは、禁止の副詞「な」+動詞「たなびく」の連用形「たなびき」です。「たなびいてくれるな」ということです。歌意としてはほぼ同じです。

 

『万葉集』には、『伊勢物語』にあるようなエピソードは書かれていません。

 

奈良時代末期の『万葉集』と平安時代初期の『伊勢物語』の二つの書物にほぼ同じ歌がのせられていることの事情はつまびらかではありませんが、人によく知られた歌であったとも考えられます。

 

「君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも」の鑑賞

 

この歌は、遠く離れた恋人を思う恋の歌です。

 

離れてしまったのは物理的な距離ではなく、心の距離だったのかもしれません。

 

この女性と離れていこうとする男性の間にはどんなやりとりがあったのか、想像を巡らせてしまうようなドラマチックなイメージも持ち合わせる一首です。

 

『伊勢物語』には、「訪れよう」と約束して女性に期待させておきながら、その約束を果たさない、男性の不実も描かれています。

 

それでも、この女性は恋人のいる方向の目印として、生駒山を眺めつつ恋人の訪れを待っているのでしょうか。

 

男女の思いがすれ違う、切ない恋の歌となっています。

 

『伊勢物語』のそのほかの作品

 

  • 筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに
  • 白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを
  • 世の中に たえて桜の なかりせば 春の心はのどけからまし
  • 忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏みわけて君を見むとは
  • から衣 きつつなれにしつましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ
  • 月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして