和歌には平安時代の貴族が詠んだものが多いですが、歴史上有名な武将やその妻、恋人が詠んだものもまた多く残されています。
今回は源平合戦の英雄源義経が愛した女性「静御前」が詠んだ和歌「しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」を紹介します。
今日は静御前が頼朝の前で舞った日です。
「しづやしづしづのをだまきくり返し昔を今になすよしもがな(静よ静よと繰り返し私の名を呼んでくださった義経様、あのように懐かしい昔にもどるすべはないだろうか)」(´;ω;`)ウゥゥ pic.twitter.com/rsnB7XNiDr— 弾正 (@naoejou) April 8, 2017
本記事では、「しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」の意味や表現技法・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」の詳細を解説!
しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな
(読み方:しづやしづ しづのおだまき くりかえし むかしをいまに なすよしもがな)
作者と出典
(白拍子姿の静御前 出典:Wikipedia)
この歌の作者は「静御前(しずかごぜん)」です。
静御前は平安時代末期から鎌倉時代初期を生きた「白拍子(しらびょうし)」です。白拍子とは女性が男性の装束を着て歌いながら舞う芸事、それを披露する芸人のことを指します。静は舞の名手で「日本一の白拍子」と称されていました。
また、静は壇ノ浦の戦いなど源平合戦で活躍した源義経の妾としても知られています。義経は源平合戦の後に兄の源頼朝と不仲になり都を放逐されますが、静は義経の都落ちにもついて行き、逃亡生活を共にしたと言われています。その後静は頼朝側に捕まり、鎌倉に軟禁された後に赦されて京へ戻ったと伝わっています。
この歌の出典は「吾妻鏡」です。
鎌倉時代後期に成立した鎌倉幕府の歴史書であり、幕府を開いた源頼朝から6代将軍の宗尊までの年代記です。中世武家政治の重要な史料で、鎌倉幕府の家臣が編集したものとみられています。
「吾妻鏡」は「東鑑」とも書き、公家社会である西の京に対して東国の武家政権の発展を記したものという意味があります。
現代語訳と意味
この歌の現代語訳は・・・
「静や静、としず布を織るおだまきのように愛しい人が、繰り返して私を呼んだ昔が恋しい、今があの頃であったら良かったのに」
といった意味になります。
「おだまき」は布を織る時に使う糸巻きのことです。「しず」は織物の名前で、自分の名前と掛けて詠まれています。
糸を何度もたぐり寄せるおだまきのように繰り返し「静や」と呼んでくれた義経のことが恋しい。この歌には、今はもうここにいない義経が昔のように側にいてくれたら良かったのにとという寂しさや懐かしさ、愛しさが込められています。
1186年4月28日文治2年4月8日
静御前が鶴岡八幡宮で源義経を慕う白拍子の舞を演ずる。 pic.twitter.com/zmHiQfJjUA
— 久延毘古⛩陶 皇紀ニ六八二年令和四年葉月💙💛🇺🇦 (@amtr1117) April 28, 2014
文法と語の解説
- しづやしづ
この歌では「静(しず)、静」と呼びかける声を表します。「や」は「おい、ねぇ、」などの呼びかけを意味します。
- しづのをだまき
「しず布を織るおだまき」という意味です。「しず」は漢字で「倭文」と書く日本古来の織物の名前で、「おだまき」とは「苧環」と書き、麻糸を球状に巻いた糸巻きのことで布を織る道具の一つです。「をだまき」は糸を何度もたぐって使うものなので、和歌などでは「繰り返し」の前置きの言葉として使われます。
- 繰り返し
同じことを何度も行うといった意味です。もともとは糸を何度もたぐり寄せることを表します。
- 昔を今になすよしもがな
「昔を今にする手段があれば良かったのになあ」といった意味です。「なす」は漢字で「成す、為す」と書き、あるものを別のものに変えることを言います。「よし」は「由」と書き、手段や方法のことです。
「もが」は「~があればなあ、~であればなあ」という意味で願望を表す終助詞、「な」は感動や詠嘆を表す終助詞です。
「しづやしづしづのおだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」の句切れと表現方法
句切れ
この歌は句切れなしです。
願望「もが」と詠嘆「な」
結句で「もがな」と願望と詠嘆を込めて歌を終えています。
今はそうではないことへの満たされない思いを表現し、余韻を残しています。
本歌取り
本歌取りとは、有名な和歌の句を自分の歌に取り入れることで、歌に二重の意味を与えたり、歌の意味をふくらませたりする修辞法の一つです。
この歌は「伊勢物語」に出てくる「いにしへの しづのをだまき くりかえし 昔を今に なすよしもがな」という歌を「本歌取り」しています。
本歌である「伊勢物語」の歌も「糸をたぐるように仲睦まじかった昔をたぐり戻して、あの頃を今にできたらなあ」と昔を懐かしむ内容なので、静御前はこの歌に自分の思い出や義経への愛情を重ねたのでしょう。
「しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」が詠まれた背景
「吾妻鏡」をはじめ「義経紀」などの歴史書によると、以下のようなエピソードが書かれています。
源義経は兄・頼朝と不仲となり、住んでいた京を追われ討伐対象となってしまいますが、静御前は都落ちする義経に付いて行きました。しかし、道中で頼朝側に捕まり鎌倉へと連行されます。
静御前は「舞を披露すれば助けてやる」と頼朝に言われ、鶴岡八幡宮の舞台で踊ることとなります。鎌倉の鶴岡八幡宮の神様は源氏の守護神です。静に期待されていたのは源氏を称える歌舞でした。
しかし、日本一とされる白拍子の舞を見に集まった鎌倉武士たちの前で静が披露したのはこの「しづやしづ」の歌でした。静は頼朝が敵とする義経を想う歌を堂々と歌い上げ、日本一の名に恥じない美しい舞を見せたのです。
普段温厚な振舞いをしている頼朝は我を忘れて激怒しましたが、頼朝の妻の政子が静の命がけで貫いた女心に共感して場を取りなし、その命を助けたと伝えられています。
静の舞
華やかさの中に静御前の悲しさを感じる舞…
静御前が実際に舞った鶴岡八幡宮の舞殿で…#鎌倉祭り2016 pic.twitter.com/eb4ozTxyJQ
— かねまる (@knmr_kuu) April 10, 2016
「しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」の鑑賞
(静の舞(鶴岡八幡宮) 出典:Wikipedia)
この歌は「伊勢物語」の歌を本歌取りし、もとの歌にもある「しづ」に自分の名前を掛けて、今は側にいない愛しい人と過ごした日々への恋しさや懐かしさを詠んでいます。
願望を表す「もが」と詠嘆の「な」で歌を終えることで「あの頃に戻りたい」と、深い嘆息とともに呟くような切なく悲しい余韻を残しています。
「しづ」は「静」と織物名の「倭文」の他に、身分が低いことを表す「賤(しづ)」だとも読み取れます。
白拍子は踊り子で、身分は高くありません。源頼朝は捕えた静に舞を強要しますが、白拍子の身分を軽く見て「たかが白拍子、義経が好きでも命惜しさに鎌倉を称える歌を詠んで舞うだろう」と考えていたのかもしれません。「しづ」に「賤」の意味がもし含まれていれば、この歌は「身分の低い私だけど義経を想う気持ちは偽らない」という静のプライドと皮肉が含まれているとも取れます。
歌自体は初句以外「伊勢物語」の和歌と同じであり、静自身の技巧などは見られませんが、歌の背景や言葉に込められた静の心を思うと想像が次々と膨らんでいきます。
作者「静御前」を簡単にご紹介!
(白拍子姿の静御前 出典:Wikipedia)
静御前は平安末期から鎌倉時代初期の白拍子で、母も磯禅師と呼ばれた白拍子でした。静は日本一の白拍子とされていますが、それにはこんな話が伝わっています。
ある日照り続きの年、雨乞いのために百人の白拍子が集められました。しかし99人までの白拍子が舞っても雨は降りません。ところが100人目に静が舞うとたちまち大雨となり、雨は三日三晩降り続いたそうです。時の権力者である後白河法皇はこれに感激して静に日本一の称号を与えたということです。
絶大な人気を誇る白拍子であった静は源義経に見初められ、彼の妾となります。しかし義経は兄頼朝の許可を得ずに「検非違使(けびいし)」という京の重要な職に就いたため、頼朝の不興を買い追われる身となってしまいます。静は義経に同行しますが途中で捕まり、母と共に鎌倉へ送られました。
この時静は義経の子を妊娠していました。頼朝の妻の政子のはからいで静の命は助けられますが、子どもは生まれてすぐに殺されてしまいました。後に静は母とともに京へ戻されますが、その後静が京でどう過ごしたのか詳細は伝えられていません。
静御前のその他の作品
- 吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき