【名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと】徹底解説!!意味や表現技法・句切れ・鑑賞文など

 

太古の昔から、日本人は五・七・五・七・七のしらべで歌を詠み、自分の気持ちや感動を表現してきました。

 

古代から連綿と伝わる和歌には、現代でも多くの人に愛される名歌も数多くあります。

 

今回は平安時代の名歌「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」をご紹介します。

 

 

本記事では、「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の意味や表現技法・句切れについて徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の詳細を解説!

 

名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

(読み方:なにしおはば いざこととはむ みやこどり わがおもふひとは ありやなしやと)

 

作者と出典

この歌の作者は「在原業平(ありわらのなりひら)」です。平安時代初期の、伝説的な歌人です。

 

この歌の出典は、『古今和歌集』(巻九 羇旅歌411)、『伊勢物語』(第九段 東下り)です。

 

『古今和歌集』は、平安時代に作られた日本初の勅撰和歌集(天皇の命令で編纂される歌集のこと)で、醍醐天皇の命令により、紀貫之らが編纂しました。在原業平の歌としてこの歌が収録されています。

 

『伊勢物語』は平安時代初期の歌物語です。歌物語とは、和歌とそれにまつわるエピソードをまとめた本です。『伊勢物語』では、とある男の元服(成人式のようなもの)から死までが125の章段でまとめられています。本の中でこの男の名をはっきりとは言及していませんが、古来からこの人物は歌人・在原業平であるとされてきました。

 

現代語訳と意味(解釈)

この歌の現代語訳は・・・

 

「都という言葉を名前に持つのに値する鳥なのであれば、さあ聞いてみよう、都鳥よ。私の大切に思うあの人は、元気でやっているのか、そうでもないのか。」

 

となります。

 

都を遠く離れ、都に残してきた恋人を思う歌です。

 

文法と語の解説

  • 「名にし負はば」

「に」は格助詞、「し」は強意の副助詞です。

「負はば」は、動詞「負ふ」の未然形「負は」+接続助詞「ば」です。「名にし負ふ」で、「そのような名前を持つのに値する」といった慣用句になります。

 

  • 「いざ言問はむ都鳥」

「いざ」は、感動詞で、呼びかけの言葉です。

「言問はむ」は、動詞「言問ふ」の未然形「言問は」+意志の助動詞「む」です。

「都鳥」は、ユリカモメという鳥だとされます。現在では、京都の鴨川でも見かけることのある鳥ですが、それはごく最近からのことで、この歌が詠まれた平安時代初期には京都にはいない鳥でした。

 

  • 「わが思ふ人は」

「わが」とは、「私が」という意味です。

「思ふ」は、動詞「思ふ」の連体形です。この場合の「思ふ」は、大切に思う・恋い慕う、という意味で、思ふ人」とは恋人や妻のことです。

「は」は主格の格助詞です。

 

  • 「ありやなしやと」

「あり」は、動詞「あり」終止形です。「いる」という意味ですが、この場合は、元気でいる・無事に暮らしている、というような意味です。

「なし」は形容詞「なし」の終止形。「や」は、どちらも疑問の終助詞。「と」は引用の格助詞です。

 

「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の句切れと表現技法

句切れ

句切れとは、一首の中での大きな意味上の切れ目のことです。

 

この歌は、三句目「都鳥」で意味が切れますので、「三句切れ」です。

 

倒置法

倒置法とは、普通の言葉の並びをあえて逆にして、印象を強める技法です。

 

この歌は、一般的な言葉の並びでいえば、以下の順になります。

 

「わが思ふ人はありやなしやと いざ言問はむ都鳥」

(意味:私の大切に思う人は元気でやっているのか、そうでもないのか、と、さあ聞いてみよう、都鳥よ。)

 

しかし、今回の歌はあえて「いざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」と表現しています。

 

倒置法を用いることで、恋人を置いてきた都を思う気持ちを強調しています。

 

「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の背景

 

この歌は『古今和歌集』の羇旅の歌(=旅情を詠んだ歌)に分類されています。

 

『古今和歌集』には、この歌の前に「詞書(ことばがき)があります。

 

(※詞書・・・その歌を作った日時・場所・背景などを述べた前書きのこと)

 

『伊勢物語』も、歌にまつわるのエピソードが書かれています。内容としてはほぼ同じものになります。内容を現代語で紹介します。

 

業平とその一行は、武蔵国と下総国との間にある隅田川(現在の東京都を流れる川、かつては、武蔵国豊島郡と下総国葛飾郡の境となっていた。)のほとりまで旅をしてやってきて、都のことがとても恋しく思われた。

しばらく川のほとりで呆然と都のことを考え、果てしなく遠くへ来てしまったものだとあたりを見回していると、川の渡し守が「はやく船に乗ってくれ、日が暮れてしまう」と言う。みな、わびしい気持ちになった。それぞれ、都に恋人がいないわけではない。

すると、くちばしと脚が赤い、白い鳥が川のほとりにたたずんでいるのを見かけた。都では見かけない鳥であったので、渡し守に「これは何という鳥なのか」と質問したところ、「これは都鳥ですよ」と返答があったので歌を詠んだ。

 

旅先で、都にはいない鳥なのに「都鳥」という名前の鳥に出会い、都に残してきた恋人を思いやって詠んだ歌だということです。

 

物語の中では、在原業平は、高貴な女性と密通していたことがばれ、都にいづらくなって東国に旅に出た、ということになっています。じつは、これは史実というより、物語世界の虚構のようです。

 

「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の鑑賞

 

この歌は、旅にあって遠く離れた恋人を案ずる歌です。

 

倒置法が効果的に用いられ、平明な言葉で詠まれているため、覚えやすく、親しみやすい歌であるといえます。

 

また、この歌は物語性もあります。『古今和歌集』や『伊勢物語』の詞書(歌が生まれるきっかけとなったエピソード)を知らなくても、異郷の地で残してきた恋人を思う旅人の姿を思い描くことはできるでしょう。

 

「歌の作者とわが思ふ人はどのような恋をしていたのだろうか」「歌の作者はどうして旅をしているのだろうか」と想像がふくらむ余地があるドラマチックな歌です。

 

作者「在原業平」を簡単にご紹介!

(在原業平 出典:Wikipedia) 

 

在原業平(ありわらのなりひら)は、平安時代初期の貴族で、歌人です。生年は天長2年(825年)、没年は元慶4年(880年)です。在原業平が詠んだ和歌は、『古今和歌集』をはじめとする勅撰集に80首以上入集しています。

 

平城天皇の皇子阿保(あぼ)親王を父に、桓武天皇の皇女伊都内親王を母に持つ、高貴な生まれの人物です。しかし、皇統の本流からはずれていて、父や兄とともに臣籍降下(皇族の身分を離れること)して、在原姓を名乗りました。

 

『伊勢物語』に語られる男は在原業平であると言われました。恋多くして風流を解しする歌の名手としてイメージや、高貴な生まれながら不遇な時も過ごした陰影ある貴公子というイメージが、少なくとも平安時代中期にはあったようです。

 

在原業平の実像は謎の多い部分もありますが、『古今和歌集』、『伊勢物語』などから醸成された伝説の歌人在原業平のイメージは後世の文学作品にも大きな影響を与えました。

 

「在原業平」のそのほかの作品

(在原業平と二条后 出典:Wikipedia)

 

  • ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くゝるとは
  • 世の中に たえて桜の なかりせば 春の心はのどけからまし
  • 忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏みわけて君を見むとは
  • から衣 きつつなれにしつましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ
  • 月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして