【東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど

 

「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」

 

この「東風吹かば…」から始まる歌、とても有名な和歌です。「教科書やテレビで聞いたことがあるよ」という人も多いのではないでしょうか?

 

そのため短歌をたしなむ第一歩としても、学ぶことをおすすめできる歌です。

 

 

今回は、「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」の意味や表現技法・句切れなどについて徹底的に解説していきます。

 

現代語訳はもちろん、作者にことやや歌の背景、さらには文法的なことまで深掘りします。歌の世界を味わう楽しみを、つかめるようになりましょう。

 

「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」の詳細を解説!

 

東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

(読み方こちふかば にほひおこせよ うめのはな あるじなしとて はるなわすれそ)

 

作者と出典

この歌の作者は「菅原道真(すがわらのみちざね)」です。

 

道真は平安時代中期に活躍した廷臣です。政治家として実績を重ね、時の天皇・宇多天皇に厚く信頼されました。また、幼いころから学問や和歌、漢詩においても優れた才能を発揮しています。

 

この歌の出典は、『大鏡』です。

 

『大鏡』は、平安後期の歴史物語です。歴史物語のなかでも傑作との呼び声が高い作品です。

 

『大鏡』は、嘉祥3(850)~万寿2(1025)176年間について記述されています。物語は、3人の登場人物による座談・問答の形式で進められています。この試みは、歴史を多角的に、かつ公正に捉えようという意図によるものです。

 

そのなかでも「東風吹かば…」は特に有名な歌といえるでしょう。

 

現代語訳と意味(解釈

この歌を現代語訳すると…

 

「春になって東風が吹いたならば、香りだけでも私のもとへ届けておくれ、梅の花よ。主人がいないからといって、春を忘れたらいけないよ」

 

という意味になります。

 

この歌は、道真が自宅の庭にある梅の木に向かって詠んだ歌です。

 

当時の道真は、左遷で大宰府へ行くことになっていたのです。これからは直接見ることができない梅の木を想って、悲しい気持ちで詠んだのでしょう。

 

歌を楽しむためには、そして道真が左遷された背景を知っておくことが不可欠です。

 

文法と語の解説 

  • 「東風吹かば」

「東風(こち」は春に東から吹く風。道真からすれば、京都から大宰府に吹く風は東から吹く風となります。

 「吹かば」は、「吹く」の未然形+接続助詞の「ば」です。「ば」は仮定の意味になります。

 

補足

「東風」は実際の風向きではないという考えもあります。春の移動性高気圧は、大気の渦が動いて風向きが変わるからです。

陰陽五行説で春は東に配されているという考え方があり、春の風は「東風」と書かれます。また、当時春は東からくると考えられていました。このことから、「東風」とは「春の風」であるという解釈もあります。

 

  • 「匂ひおこせよ梅の花」

「匂ひ」は、花の香りのことです。

「おこせよ」は、「遣す(おこす)」の命令形です。「遣す」は「送る」、「よこす」の意味です。

 

  • 「あるじなしとて」

「あるじ」は、主人、つまり道真のことです。

「なしとて」は、「なし」の終止形+格助詞「とて」です。

 

  • 「春な忘れそ」

「な忘れそ」は、陳述の副詞「な」+「忘る」の連用形+終助詞の「そ」です。

「な~そ」は、セットで使うことで禁止の意味をもちます。

 

「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」の句切れと表現技法 

句切れ

句切れは三句切れです。(※二句切れという説もあり)

 

音読した際のリズムとしては、三句切れのほうがしっくりくるものがあります。

 

「匂ひおこせよ梅の花」で一度止めます。そこから一呼吸おいて「あるじなしとて」と続けることで、左遷となる道真の無念をより想像しやすくなります。

 

擬人法

表現技法としては、梅の花に対する「擬人法」が挙げられます。

 

擬人法とは、人間ではない物・事を人間のように例える技法です。

 

今回の歌は、「匂ひおこせよ」「春な忘れそ」という部分で擬人法が用いられています。梅が擬人化されているということになります。

 

この技法を用いることによって、季節になれば咲く梅の花も、見る者の感情で違った捉え方になるのだと考えさせられます。

 

「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」が詠まれた背景

 

「東風吹かば…」は、道真が大宰府に左遷となった際、大切にしていた梅の木に対して読んだ歌です。

 

なぜ優秀な道真が左遷されることとなったのでしょうか。

 

道真は政治において優れた成果を挙げ、宇多天皇の信頼を得ました。そして、醍醐天皇に代わった頃には、右大臣にまで登りつめました。

 

しかし、同時期に出世していた左大臣・藤原時平はこれをよく思っていませんでした。

 

そこで時平は策をめぐらし道真を陥れます。

 

「醍醐天皇を廃位させ、娘婿の斉世親王を即位させようとした」

 

このような罪がでっちあげられました。(※ただし、計画そのものは実在したのではという学説もあり)

 

そして道真は大宰府へ左遷されることとなってしまったのです。その際、自宅の梅の木に対して詠んだのがこの歌です。

 

道真最大の後ろ盾であった宇多天皇がいなくなってしまったことも、左遷を防げなかった大きな要因といえるでしょう。

 

「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」の鑑賞


 

「東風」では、寒さが和らぎ、梅が花開き…春先の風景が目に浮かびます。

 

「匂ひおこせよ」と呼びかけているところからは、なんともいえない悲しさが漂ってきます。

 

それまでは、自宅の庭から梅の花を堪能していたのでしょう。しかし、それももう叶わないのです。

 

「あるじなしとて」は、道真の無念が最も強くにじみ出ている一節と捉えられるでしょう。

 

「春な忘れそ」と、梅に呼びかけているわけですが、どこかに自分のことも忘れないでほしいという願いもあったのかもしれません。

 

想像のなかで咲き誇る梅の花と道真の置かれた境遇の対比が、ひどくもの悲しい歌です。

 

ちなみに『拾遺和歌集』(寛弘2- 3年(1005- 1006年)頃に編纂)においてこの歌の最後は、「春を忘るな」となっています。

 

時期から考えて、道真が詠んだのは「春を忘るな」の方でしょう。後の『大鏡』著者が、何らかの意図をもって改作したのでしょう。

 

道真の想いだけではなく、道真の関係人物、物語の作り手にも想いを馳せて楽しむことができる歌です。

 

作者「菅原道真」を簡単にご紹介!

 (菅原道真 出典:Wikipedia

 

道真は幼いころから学問で頭角を現し、成年してからも早々に出世していきました。

 

讃岐国の長官となった際は、国の立て直しに尽力し、多くの人に慕われました。

 

寛平6(894)には遣唐使の廃止を建議しています。これは後の国風文化の開花にもつながります。

 

数々の功績で認められ、宇多天皇から厚く信頼されます。そして、醍醐天皇の世になった時には右大臣に出世します。

 

しかし、左大臣・藤原時平をはじめとする一派の策略によって、大宰府へ左遷されることになってしまいました。道真はその後都に戻ることはかなわず、大宰府で、延喜3(903)に亡くなりました。

 

その後まもなく時平が急死、醍醐天皇の皇太子がなくなる、御所に落雷と不幸が続きました。人々はこれを「道真の祟り」と恐れ、道真をまつりました。

 

その後、道真は「学問の神様」として信仰されるようになっています。

 

「菅原道真」のそのほかの作品

 

  • このたびは 幣(ぬさ)も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
  • 草葉には 玉とみえつつわび人の 袖の涙の秋のしら露
  • 老いぬとて 松はみどりぞまさりける 我が黒髪の雪のさむさに
  • 道の辺の 朽ち木の柳春くれば あはれ昔と偲ばれぞする
  • 流れ木と 立つ白波と焼く塩と いづれかからきわたつみの底
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