日本最古の歌集『万葉集』。4500首以上の歌が全20巻に収められている長大な歌集です。
成立は、奈良時代末期。この歌集の特徴の一つは、地方の庶民の歌も多く収められていることです。
今回は『万葉集』の中の庶民の歌「信濃路は今の墾道刈株に足踏ましむな沓はけわが背」をご紹介します。
万葉集はこれとか好き
「信濃道(しなのじ)は今の墾道刈株(はりみちかりばね)に
足踏ましなむ履(くつ)はけわが背」
(信濃の峠道はこのごろ切り開いたばかりときいております。どうかしっかり沓をはいて、足を痛めぬように行って下さい)信濃から防人として召集される夫に妻が詠んだ和歌でな………
— 薑 (@hajikami0504) June 12, 2018
本記事では、「信濃路は今の墾道刈株に足踏ましむな沓はけわが背」の歌の意味や表現技法・句切れについて徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「信濃路は今の墾道刈株に足踏ましむな沓はけわが背」の詳細を解説!
信濃路は 今の墾道 刈株に 足踏ましむな 沓はけわが背
(読み方:しなぬじは いまのはりみち かりばねに あしむましむな くつはけわがせ)
作者と出典
この歌は「東歌(あづまうた)」です。
作者の具体的個人名は伝わっていません。「東歌(あづまうた)」というのは、古代における関東地方に住む人々の歌です。個人の作というより、民謡・俗謡としての性格の強い歌だと考えられています。この歌は信濃の国(現在の長野県)の人の歌です。
この歌の出典は『万葉集』(巻十四 3399)です。『万葉集』巻十四には、東歌が数多く収められています。
現代語訳と意味(解釈)
この歌の現代語訳は・・・
「信濃路は、新しく開墾したばかりの道で、切り株を馬の足で踏ませてはいけませんよ、馬に靴を履かせなさい、我が夫よ。」
または・・・
「信濃路は、新しく開墾したばかりの道で、切り株を馬の足でお踏みになってはいけません、靴をお履きください、我が夫よ。」
となります。
上記のように「足踏ましむな」という句の解釈が諸説ある歌です。後ほど詳しく解説します。
文法と語の解説
- 「信濃路は」
「信濃路」は信濃の国(長野県)の道です。「信濃」は「しなの」と読むのが一般的で、「しなぬ」は方言です。
「は」は格助詞です。
- 「今の墾道」
「今の」というのは、「新しい」ということ。「墾道」は「はりみち」と読みます。新たに切り開かれた道のことです。
「今の墾道」で「新しく開墾したばかりの道」という意味です。
- 「刈株に」
「刈株」は「かりばね」と読み、切り株のこと。「に」は格助詞です。
- 「足踏ましむな 沓はけわが背」
四句の「踏ましむな」は諸説あります。まず、結句の語句を説明します。
「履け」は動詞「履く」の命令形。
「背」は、夫の古い言い方。妻は「妹(いも)」、夫婦は「妹背(いもせ)」といいます。
- 「踏ましむな」
○解釈①・・・動詞「踏む」の未然形「踏ま」+使役の助動詞「しむ」の終止形+禁止の終助詞「な」という構成。
「しむ」を使役「(だれかに)~させる」の意味で解釈すると、「踏ませる」となります。この場合次の句と合わせて「馬に切り株を足で踏ませるな、馬に靴を履かせなさい、我が夫よ。」という解釈が成り立ちます。
○解釈②・・・動詞「踏む」の未然形「踏ま」+尊敬の助動詞「しむ」の終止形+禁止の終助詞「な」という構成。
「しむ」を尊敬、「~なさる、お~になる」の意味で解釈すると「お踏みになる」となります。この場合次の句と合わせて、「足でお踏みになりませんように、靴をお履きください、我が夫よ。」という解釈が成り立ちます。
○そのほかの説
伝わっている写本によっては「踏ましむな」ではなく、「踏ましなむ」という表記もあります。
この場合は、動詞「踏む」の未然形「踏ま」+尊敬の助動詞「す」の連用形「し」+強意の助動詞「ぬ」の未然形「な」+推量の助動詞「む」の終止形となります。
解釈は「足でお踏みになりませんように、靴をお履きください、我が夫よ。」となります。
「信濃路は今の墾道刈株に足踏ましむな沓はけわが背」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、意味や内容、調子の切れ目を指します。歌の中で、感動の中心を表す助動詞や助詞(かな、けり等)があるところ、句点「。」が入るところに注目すると句切れが見つかります。
この歌は、「足踏ましむな。」の四句のところで切れているため、「四句切れ」の歌です。
また、結句でも「沓はけ。わが背」と句点の付くところがあります。
足踏ましむな 沓はけ。わが背
このように、句の中で「。」のつく切れ目があることを「句割れ」といいます。
「句割れ」と似たような技法に「句またがり」があります。ここで簡単にこれらの違いを解説します。「句またがり」とは、句の終わりと文節の終わりが一致せず、一文節が二句にまたがっていることを言います。
この歌の、文節の切れ目と句の切れ目、句点「。」が打てる切れ目を確認してみましょう。
「信濃路は/(5) 今の墾道/(7) 刈株に/(5) 足/踏ましむな。/ (7) 靴/履け。/わが背/(7)」
文節が二句をまたいでいるところ、「句またがり」になっているところはありません。
四句のところと結句の中で「。」がつくところがあり、この歌はこの二か所が句切れです。四句切れと結句の中で切れる「句割れ」になります。
倒置法
倒置法とは、普通の言葉の順番をあえて入れ替えて、印象を強める技法です。
この歌では、「沓はけわが背」が倒置になっています。普通の言葉の順番だと、「わが背沓はけ」となりますが、「沓はけわが背」とすることで、読み手に強い印象を与えています。
体言止め
体言止めとは、歌の終わりを体言、名詞で止める技法です。印象を強める働きがあります。
この歌は「わが背(わが夫)」という体言で終わっています。
倒置法、体言止めを用いることで、夫の道中を心配する妻の気持ちが印象的に表現されています。
「信濃路は今の墾道刈株に足踏ましむな沓はけわが背」の背景
この歌は『万葉集』巻十四にあり、四首の信濃の国の歌として載せられた歌の一首です。信濃とは、現代の長野県を指す旧国名です。
「信濃路」が詠みこまれたこの歌の次には、以下の歌です。
「信濃なる千曲の川の細石も君し踏みてば玉と拾はむ」
(意味:しなのにある、千曲川の小石も、あなたが踏んで通ったのなら宝石と思ってひろいましょう。)
千曲川(ちくまがわ)は、長野県に源を発し、長野県・新潟県を流れて日本海にそそぐ川です。『万葉集』では、「千曲」を「ちぐま」と読んでいたようです。当時のこの地方の方言と考えられています。
『万葉集』巻十四には、230首に及ぶ東歌がおさめられています。遠江(とおとうみ)、駿河(するが),伊豆(いず)、信濃(しなの)、相模(さがみ)、武蔵(むさし)、上総(かずさ)、下総(しもうさ)、上野(こうづけ),下野(しもつけ),常陸(ひたち),陸奥(むつ)の国、12か国の歌がおさめられています。これは、静岡県、関東地方、東北地方にあたります。これ以外にも、どこの国かわからない歌もあります。
東歌には歌の種類でいうと「相聞」(そうもん。男女の間で詠み交わされる歌)が最も多くなります。明るく、伸びやかに、開放的に恋心を詠う率直な歌が多いです。方言が用いられ、庶民の暮らしぶりや、労働の場面を詠った歌もあり、庶民の風俗の一端を知ることができます。
これらの東歌は、個人の表現した作品というよりも、コミュニティの中で歌い継がれる俗謡、在地歌謡としての性格を色濃く持つとされています。
「信濃路は今の墾道刈株に足踏ましむな沓はけわが背」の鑑賞
この歌は、助詞が少なく、口に出して読んで歯切れの良い歌になっています。
靴を履くのが夫なのか、夫の乗る馬なのか、解釈が分かれてはいるものの、夫の旅がつつがなく滞りなく進むことを祈る妻の気持ちが伝わってきます。信濃路を進む男性の姿もほうふつとしてきます。
また、この歌は率直な歌いぶりで、おおらかなイメージを持っています。妻が夫を思い、おそらく夫も妻を思いやっているのであろう、男女の仲の良さもにじんでいます。
健全で、健康的な明るさのあふれる一首です。千年以上前の古代人の息吹が伝わってくるような、ストレートで平明な親しみやすい歌です。
「東歌」のそのほかの作品
- 多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき
- 恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ
- 妹が門いや遠そきぬ筑波山隠れぬほとに袖は振りてな
- 稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ
- 愛し妹をいづち行かめと山菅のそがひに寝しく今し悔しも