【多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき】徹底解説!!意味や表現技法・句切れ・鑑賞文など

 

『万葉集』は、奈良時代末期に成立の日本で最古の和歌集です。4500首以上の歌が全20巻に収められています。

 

この歌集には、やんごとなき上流階級の人々の歌ばかりではなく、庶民の歌も多く集められています。

 

今回は『万葉集』の中の庶民の歌「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき」をご紹介します。

 

 

本記事では、「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき」の意味や表現技法・句切れについて徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき」の詳細を解説!

(境橋から望む多摩川 出典:Wikipedia

 

多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の ここだかなしき

(読み方:たまがわに さらすてづくり さらさらに なにそこのこの ここだかなしき)

 

作者と出典

この歌は「東歌(あづまうた)」です。

 

作者の具体的な個人名は伝わっていません。「東歌(あづまうた)」というのは、古代における関東地方に住む人々の歌です。個人の作というより、民謡、俗謡としての性格の強い歌だと考えられています。

 

この歌の出典は、『万葉集』(巻十四 3373です。『万葉集』巻十四には、東歌が多く収められています。

 

現代語訳と意味(解釈)

この歌の現代語訳は・・・

 

「多摩川の水にさらして作る麻の布のように、さらさらに(ますます)あの子が愛しく思えるのはなぜなんだろう。」

 

となります。

 

「かなしき」は、「悲し」ではなく「愛し(かなし)」。いとおしい・好きだという意味です。のびのびとした雰囲気の恋歌です。

 

文法と語の解説

  • 「多摩川に」

多摩川は、山梨県、神奈川県、東京都を流れて東京湾にそそぐ川です。「多摩」は万葉仮名では、「多麻」と表記しました。古代、多摩川の流域では、麻が多くみられたのです。衣服の材料として、税として納めるものとして、古代の人々にとって布を作ることは当たり前の労働でもありました。

「に」は格助詞です。

 

  • 「さらす手作り」

「さらす」は動詞「さらす」の連体形です。

「手作り」は、「たづくり」と読みます。手織りの麻の布です。川の水にさらすことで白く仕上げました。

 

  • 「さらさらに」

副詞です。「さらに ますます」といった意味です。

 

  • 「何そこの児の」

「そ」は係助詞です。文末が連体形になる係り結びを作ります。

「この」は連体詞。「の」は格助詞です。

 

  • 「ここだかなしき」

「ここだ」は副詞で「こんなにも はなはだしく」という意味です。

「かなしき」は、漢字で書くと「愛しき」。形容詞「かなし」の連体形です。前の句に「そ」という係助詞があり、「そ(ぞ)」は文末が連体形になる係り結びをつくります。この係り結びは、疑問の形で意味を強める働きをしています。

「何そこの児のここだかなしき(あの子が愛しく思えるのはなぜなんだろう。)」という疑問の形で、いとおしくてたまらない、と気持ちを強調して伝えています。

 

「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき」の句切れと表現技法

句切れ

句切れとは、一首の中での大きな意味上の切れ目のことで、読むときもここで間をとると良いとされています。

 

この歌に句切れはありませんので、「句切れなし」となります。

 

途切れることなくのびのびとオープンに恋愛感情を詠っています。

 

序詞

序詞(じょことば)とは、特定の語の前に意味や発音の上で関係する言葉をおいて、比喩や掛詞などを作る技法です。語調を調えたり、雰囲気を高めて奥行きをだす働きがあります。

 

この歌では、「多摩川にさらす手作りさらさらに」という言葉が序言葉になっており、「何そこの児のここだかなしき」にかかっています。

 

この歌で最も強調されているのは「何そこの児のここだかなしき(あの子が愛しく思えるのはなぜなんだろう。)」ということです。

 

「多摩川のさらす手作り」と地元の風物をのべ、「さらす」にかけて「さらさらに(ますます)」という言葉を導き出して、恋愛感情の高まりを強調しています。

 

掛詞

掛詞(かけことば)とは、発音・表記が共通していて、意味が異なる言葉を用いることです。言わば、現代のだじゃれのようなものです。

 

この歌では「さらす」という言葉と「さらさらに」という言葉で、「さら」という部分が発音・表記が共通しています。

 

韻(いん)は、同一もしくは類似している音を、一定の位置に繰り返し用いることをいいます。

 

この歌の各句の先頭の音と、最後の音にそれぞれ注目します。

 

「た ta」 まがわ 「に ni」

「さ sa」 らすたづく 「り ri」

「さ sa」 らさら 「にni」

「な na」 にそこのこの 「の no」

「こ ko」 こだかなし 「き ki」

 

先頭の音は、結句を除いて母音が「アa」です。このような韻の踏み方を頭韻といいます。最期の音は、四句を除いて母音が「イi」です。このような韻の踏み方を脚韻といいます。

 

同じ音を定期的に繰り返すことで、口ずさみやすい、耳に心地よいリズムが生まれます。

 

「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき」が詠まれた背景

 

この歌は、『万葉集』巻十四に、九首の武蔵の国の歌として載せられた歌の一首です。武蔵とは、現代の神奈川県の一部、東京都、埼玉県を指す旧国名です。

 

この歌には「多摩川」という地名が詠みこまれていますが、武蔵の国の歌の他の八首をみても、「武蔵野(むさしぬ)」「入間道(いるまじ)」「埼玉(さきたま)」といった地名が詠みこまれています。また、「武蔵野」を「むさしぬ」と読んでいるのは、当時の方言と考えられます。

 

『万葉集』巻十四には、230首に及ぶ東歌がおさめられています。

 

国が分かるものでいうと、遠江(とおとうみ)、駿河(するが),伊豆(いず)、信濃(しなの)、相模(さがみ)、武蔵(むさし)、上総(かずさ)、下総(しもうさ)、上野(こうづけ),下野(しもつけ),常陸(ひたち),陸奥(むつ)の国、12か国です。

 

これは、静岡県、関東地方、東北地方にあたります。

 

五・七・五・七・七の短歌の形式で歌われ、方言も見られることから、土地の人々に親しまれ歌われてきたその土地の歌謡・民謡のような口承の歌であると考えられています。

 

「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき」の鑑賞

 

この歌は、のびやかな恋愛の歌であり、布づくりという労働の一場面を詠んだ歌でもあります。

 

頭韻・脚韻があること、「さらす」「さらさら」の繰り返し、「この子のここだかなしき」のk音の繰り返しがリズムを作り、耳にも心地よい一首です。

 

また、この歌は多摩川の風土に根差したストレートな恋愛賛歌として、現代でもたいへん親しまれています。

 

布を織り、川にさらす作業は女性の仕事でした。川で布をさらす女性を見染めた男性の健康的で明るい恋愛のイメージのある歌です。

 

川に布をさらすといったような風俗は今では見られないものですが、歌意がストレートで伝わりやすいこと、リズム感のよさがこの歌に千年を超えて親しまれる命をふきこんだといえます。

 

 「東歌」のそのほかの作品

 

  • 恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ
  • 妹が門いや遠そきぬ筑波山隠れぬほとに袖は振りてな
  • 信濃道は今の墾り道刈りばねに足踏ましなむ沓はけ我が背
  • 稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ
  • 愛し妹をいづち行かめと山菅のそがひに寝しく今し悔しも