万葉の時代より親しまれてきた日本の伝統文学のひとつに短歌があります。
五・七・五・七・七の調べで、日本の美しい自然や繊細な歌人の心の内を歌い上げます。
今回は、国民的歌人として今なお愛される若山牧水の代表歌「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」をご紹介します。
白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
若山牧水
北海道の海ではないし漂ってはいないけど、ああこんなかんじだったんかなあってそういえば思ったので忘れないうちに pic.twitter.com/Kn3zK3Wtnz
— ぐる (@gurGurGaga) September 8, 2015
本記事では、「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」の詳細を解説!
白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ
(読み方:しらとりは かなしからずや そらのあお うみのあおにも そまずただよふ)
作者と出典
この歌の作者は、「若山牧水(わかやまぼくすい)」、出典は『海の声』『別離』です。
牧水は、明治期から昭和時代前期にかけて活躍し、酒と旅と自然を愛した歌人として知られています。
幾度となく訪れる苦境や孤独に苦しみながら、その生涯を文学にささげ、自然文学主義としての短歌を追及しました。平易で親しみやすく、人間や自然への溢れる想いを詠った作品は、今なお広く愛誦されています。
現代語訳と意味(解釈)
この歌を現代語訳すると・・・
「白鳥は哀しくはないのだろうか。空の青色にも海の青色にも染まらずに、真っ白な姿のまま漂っている。」
という意味になります。
教科書にも取り上げられている歌なので、耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか?白鳥の漂う姿に自身の心情を託しながら、その状況を自然を用いて表現するという牧水らしさを感じさせる秀歌です。
文法と語の解説
- 「白鳥」
読みかたについて、「はくちょう」か「しらとり」かで様々な議論がなされてきました。初出雑誌『新声』(明治40年12月号)では「はくてう」とルビがうたれていますが、後の『海の声』では「しらとり」に改作されています。
この事について佐佐木幸綱氏は、「はくちょう」は印刷上の不備ではないかと指摘し、今日では「しらとり」とする説が一般的です。
また、海辺に出会う白い鳥ということを考慮すると、この歌での「白鳥」は「かもめ」とも考えられています。
- 「かなしからずや」
形容詞「かなし」には、大別して二つの意味があります。「哀し」だと「心が痛む、あわれ」を表現しますが、「愛し」だと「いとしい、かわいい」とまるで反対の意味になります。
当初の歌集では「哀しからずや」となっており、のちに平仮名に改められていることから、この「かなし」は切なく哀しいの意として捉える説が有力です。
また、「からずや」の箇所を現代語に置き換えた場合、「や」は疑問か反語かでも解釈が分かれています。
疑問と捉えると、「哀しくないのだろうか」と白鳥にむけての問いかけのまま終わっています。しかし、反語の場合は「哀しくないのだろうか、いやかなしいだろう」と帰結まで含み、作者の心情までも反映されており、疑問よりも悲しみを強調する意味合いになります。
このように様々な解釈をめぐって議論されているのも、この歌が名歌としても今も人々に愛されているためでしょう。
- 「染まず(そまず)」
「染む」の未然形+打消しの助動詞「ず」の連用形の形式です。
「染む」とはしみこんで色が染まる、心に深く染みるという意味があります。この場合、打消しの助動詞がついていることから、「染まらないで」という意味になり、周囲に染まらない孤高の姿を表現しています。
「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、意味や内容、調子の切れ目を指します。歌の中で、感動の中心を表す助動詞や助詞(かな、けり等)があるところ、句点「。」が入るところに注目すると句切れが見つかります。
この歌の場合は「かなしからずや」の「や」が終止形で、一旦歌の流れが句切ることができるので「二句切れ」となります。
「白鳥は哀しくないのだろうか」と問いかける作者の心情に、読み手の関心を引き今後の展開を期待させています。
繰り返し(リフレイン)
繰り返し(リフレイン)は、一首の中で言葉を繰り返し用いる表現のことです。
三十一文字の中で同じ言葉を使うため、伝えられる情報量が少なくなりますが、感情の高ぶりや思いを強調し、リズムにメリハリが生まれるといった効果があります。
この歌の場合も、三句「空の青」と四句「海のあを」で繰り返しが用いられています。一度、歌全体を声に出して読み上げてみると、「空の青海のあを」という繋がりにより、整った語調の響きを感じられるでしょう。
「青」と「あを」で表記が分かれているのは、同じ漢字を繰り返し使用することを避けるためです。
それだけでなく、空と海の「青さ」はまったく同じ青色ではないことを暗示しています。
この歌に詠まれた二つの青は、「空の青」で晴れた日の明るい青を表し、「海のあを」は深く濃い藍色を指すと解釈できます。
擬人法
擬人法とは植物や動物、自然などをまるで人がしたことのように表す比喩表現の一種です。例えば、「花が笑う」「光が舞う」「風のささやき」などといったものがあります。
この歌では「白鳥は哀しくないのであろうか」と歌い上げていますが、白鳥が哀しいのではありません。
あくまで語り手が哀しいのであって、染まらずに漂う白鳥に自身の感情を投影していることが読み取れます。
対比
対比とは、二つ以上のものを並べ合わせ、それらの共通点や相違点を比べる表現技法です。それぞれの特性を強調し、インパクトを強める効果があります。
この歌での対比は次の三つが挙げられます。
①白鳥の「白」と空と海の「青」(白と青の色彩対比)
②「空の青」と「海のあを」(青の中での対比)
③「白鳥」という小さな生き物と「空」「海」とういう雄大な存在(大きさの対比)
「白」と「青」の視覚的な対照が鮮烈な印象を与え、白鳥の姿がよりいっそう際立たせています。
また、青色の中にも微妙な違いを見出し、大きさの対比を取り入れることで、歌の世界に空間的な広がりや奥行きを感じさせています。
「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」が詠まれた背景
この歌は、若山牧水が早稲田大学在学中、23歳の時に詠まれた歌です。この歌が収録された歌集『海の声』の中には、「かなし」と詠んだ歌がいくつかあり、彼の青春時代を象徴する言葉でもありました。
牧水は大学卒業が近づくにつれ、このまま文学の道に進むべきかどうか迷っていました。将来の仕事のことで悩んでいた心情から、「空の青海のあをにも」を、職業の選択と捉える解釈があります。
その一方、『海の声』に収められている作品の多くは恋愛を詠んだ歌で統一されており、牧水が若き日をささげた恋人・園田小枝子との痛切な恋を詠んでいるとも読み取れます。
結婚を考えるほど小枝子に強く惹かれていた牧水でしたが、小枝子はなかなか受け入れることはありませんでした。実は彼女はすでに結婚しており、郷里に二人の子供までいたのです。
そのような背景を考慮すると「白鳥はかなしからずや」には、いくら愛情を注いでも応えてくれない小枝子への問いかけのような気持ちを詠んでいるのかもしれません。彼女の定まらない態度に牧水の孤独が投影した歌とも解釈できます。
読み手により解釈は様々異なりますが、いずれにしろ感受性の強い牧水の青春期の心が強く反映された歌だといえます。
「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」の鑑賞
白鳥の姿に青春の孤独と哀歓を重ねた歌として、今も多くの人々に愛されている歌です。
この歌に描かれているのは、無限に広がる青い空と果てしなく続くあおい海という、ひとつづきのように感じられる青の世界の中、真っ白な白鳥が漂う姿です。
白は明るさはあっても彩度はなく、一般的に容易に周囲に同化しやすい色でもあります。しかし、傷つきやすく純粋な青春を象徴するかのような白は、青色に染められることなく、むしろ孤独なまでにくっきりと色の違いを際立たせています。
さらに、「ただよふ」という言葉から、白鳥が空中や水中で自然な動きにただ身を任せて揺れ動いている様子が想像できます。自在なようでどうすることもない漠然とした状態に、茫漠たる青春を正確に捉えています。
そんな孤高を貫くかのような白鳥の姿に、「かなしくないのか」と自分自身を重ね合わせ、浪漫的な共感を詠んだ歌です。
作者「若山牧水」を簡単にご紹介!
(若山牧水 出典:Wikipedia)
若山牧水(1885~1928)は宮崎県の生まれで、医師の子として生まれました。本名「繁(しげる)」といい、牧水の由来は、母の名(マキ)と生家の周りにある渓や雨からとったものでした。
美しく豊かな坪谷で生まれ育った牧水は、学校から帰ってくると山にでかけてはキノコやタケノコを採るなど、大自然を相手に遊んでいました。こうした幼少期の生活が牧水の感性を育み、自然観や歌風にも大きな影響を与えています。
早くから国語の成績が良く、中学の頃には新聞や文芸雑誌などに短歌を投稿しはじめ、その数五百種を超えていました。
早稲田大学文学部に入学後は、同級生の北原白秋・中林蘇水と親交を深め、本格的に文学の道へ進むことを決断します。卒業と同時に第一歌集『海の声』を出版しましたが、当時は期待通りには売れなかったようです。
1909年7月、中央新聞社へ記者として入社するも5ヵ月後に退社。尾上柴舟の門に入りました。1910年に出版した第三歌集『別離』で高い評価を得て、歌壇の花形歌人となりました。
その後自然文学主義を代表とする歌人に成長した牧水は、旅を愛し生涯にわたって各所で歌を詠み、今でも日本各地に歌碑が残されています。文才に優れた牧水は歌だけでなく、鉄道気候の先駆ともいえる随筆や紀行文も手がけています。
また大の酒好きとしても知られ、一日一升程度の酒を飲んでいたといわれています。そして43歳に死因の大きな影響となった肝硬変にてこの世を去ります。牧水は、短い生涯の中で約9000首もの秀歌を詠みました。
「若山牧水」のそのほかの作品
(沼津市の若山牧水記念館 出典:Wikipedia)
- 幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく
- いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや
- 山眠る山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅ゆく
- うす紅に葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山ざくら花
- たぽたぽと樽に満ちたる酒は鳴るさびしき心うちつれて鳴る
- 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
- 足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる
- 秋風や日本の国の稲の穂の酒のあぢはひ日にまさり来れ
- うら恋しさやかに恋とならぬまに別れて遠きさまざまな人
- 山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君