万葉の時代より親しまれてきた日本の伝統文学のひとつに短歌があります。
五・七・五・七・七の調べで、「花鳥風月」に象徴される豊かな自然の風物を詠みこんできました。
今回は、牡丹の豪華で艶麗な美を歌い上げた歌「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」をご紹介します。
牡丹(連鶴)
牡丹花は
咲き定まりて
静かなり
花の占めたる
位置のたしかさ木下 利玄
純白の大輪は優雅に風に揺らめいて、その存在感はこの季節に希有な美しさと感じました。 pic.twitter.com/TCejvuXl22
— toshiki.s. (@toshiki922) January 11, 2015
本記事では、「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」の詳細を解説!
牡丹花は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置のたしかさ
(読み方:ぼたんかは さきさだまりて しずかなり はなのしめたる いちのたしかさ)
作者と出典
この歌の作者は「木下利玄(きのしたりげん)」です。明治末期から大正にかけて活躍した歌人です。独自の歌風を確立し、口語や俗語を駆使した写実的な短歌は、「利玄調」と呼ばれました。
また、この歌の出典は、1924年に刊行された歌集『一路』です。この歌は 『一路』の中でも傑作と讃えられ、利玄の代表作歌となりました。
現代語訳と意味(解釈)
この歌を現代語訳すると・・・
「牡丹の花は咲き開いて、揺るがない姿で静まりかえっている。その大輪の花が占める空間の位置はなんと確かなことか。」
という意味になります。
艶やかな大輪の花を咲かせる牡丹は「百花の王」とも言われています。その優雅で気品を誇って咲く姿からは、王者ゆえの落ち着いた静けさも感じられます。
圧倒されるような牡丹の質量感さえもを的確に捉えながら、絵画的な美しさを醸し出す一首です。
文法と語の解説
- 「牡丹花」
「ぼたん」という名は三音なので、短歌では詠みにくい花とされています。そのため、「ぼたんか」と表す工夫がされており、この歌の場合も「ぼたんかは」ですっきりと五音に収めています。
牡丹は中国では「富貴」の象徴とされ、最も愛されている花です。古代には日本に伝わっており、平安時代から「深見草(ふかみぐさ)」の別称で詩歌に詠まれてきました。
- 「咲き定まりて」
花が満開で咲き収まっている様子を表しています。
- 「静かなり」
形容動詞「静かである」の終止形です。この歌では、牡丹の花が咲き開いた安定した状態を表現しています。
- 「花の占めたる」
「たる」は助動詞「たり」の連用形で、「~している」という存続を意味します。
牡丹花は
咲き定まりて 静かなり
花の占めたる 位置のたしかさ
(木下利玄)
こう成りたや… pic.twitter.com/TBOIaEW0lz
— みやのすみれ (@sumiremiya) December 17, 2014
「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、意味や内容、調子の切れ目を指します。歌の中で、感動の中心を表す助動詞や助詞(かな、けり等)があるところ、句点「。」が入るところに注目すると句切れが見つかります。
この歌の場合は、「静かなり」で一旦歌の流れが止められており、句点「。」を打つことができますので、三句切れとなります。
三句目までで悠然と咲き誇る牡丹の花を正確に描写し、四句目からは動かし難いその「位置」にあってこその美しさだと詠んでいます。
体言止め
体言止めとは、文末を助詞や助動詞ではなく、体言(名詞・代名詞)で結ぶ表現方法です。文を断ち切ることで言葉が強調され、「余韻・余情を持たせる」「リズム感をつける」効果があります。
この歌も体言止めで結ばれており、「たしかさ」という端然とした響きで感動の余情を残しています。
「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」が詠まれた背景
この歌は1922年、木下利玄氏が肺結核にかかり病床に臥している時に詠んだ歌です。数年後の39歳という若さでこの世を去っています。
命と向き合う生活の中、揺れることなく咲き開く牡丹の花に、永遠の生命を託したかのように感じます。
病に冒された利玄の視線は鋭さがあり、牡丹の美しさを「花の占めたる位置のたしかさ」こそ成り立つものだと詠んでいます。桜や桔梗など季節を彩る花は数多ありますが、軽やかで動きのある花ではこの歌は生まれなかったはずです。
堂々たる姿で咲き誇る牡丹の存在感は、「位置」という点において他の花よりもひときわ優れているといえます。人の世も心も全てが変化し続けるのに対し、牡丹が咲く空間だけはまるで固定されたかのように見えます。
こうした写生的な表現は、「白樺」一派が西洋美術に強い関心を寄せていたことも影響しているかもしれません。
しかし単なる写生を超えて、利玄は牡丹花そのものの生命力や自己主張のようなものを感じ取り、その美しさを表現しているといえます。
「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」の鑑賞
牡丹特有の華やかな造形美だけを捉えているのではなく、花の位置に着目した点が見事といえるでしょう。そのことを平易な表現に徹しながら、口語と文語を織り交ぜた作者独自の歌風で詠んでいます。
「静かなり」には牡丹花の寂静の美が表現されており、凛とした緊張感の中、作者が息を潜めて眺める姿が目に浮かびます。さらには空間を定める「咲き定まりて」「位置のたしかさ」という的確な表現によって、牡丹の花の美しさを際立たせています。
少しでもその「位置」が狂ってくると、牡丹の品格は打ち消されてしまうでしょう。不動とも思えるその「位置」があってこそ、輝く美しさなのです。
花の王たる牡丹が玉座に鎮座し威厳をもって咲いている、そんな様子が利玄の視点を通じて読み手にも伝わってきます。
作者「木下利玄」を簡単にご紹介!
(木下利玄 出典:Wikipedia)
木下利玄(1886~1925)は岡山県の生まれで、利玄は本名「としはる」と読みます。
5歳の時、伯父・木下利恭の死去により木下子爵家の養子となり上京しました。実の親から引き離され、前当主夫人もすでに亡くなっていたため、乳母もつけられず孤独な幼少期を送ったようです。
しかし利玄の人柄について、友人であった武者小路実篤・志賀直哉たちは「明るく成績優秀で、人懐こい青年」と述べており、一目置かれた存在だったようです。
13歳の頃から佐々木信綱に師事し短歌を学び、利玄は少年歌人として注目されます。学習院大学在学中には、実篤・直哉等とともに、文芸雑誌『白樺』を創刊しました。初期には小説も書いていましたが、のちに短歌に専念しています。
当初は北原白秋・島木赤彦の影響を受け感覚的な歌を発表していましたが、しだいに写実的で人間味あふれる歌を詠んでいます。
歌集には『銀』『紅玉』などがありますが、中でも1924年に発行した『一路』は大正期の歌壇で高い評価を得ました。
しかし、1922年には肺結核にかかり、病床の身となってから4年後39歳という若さでこの世を去りました。
『木下利玄』のそのほかの作品
(木下利玄歌碑 出典:Wikipedia)
- 大き波たふれんとしてかたむける躊躇(ためらひ)の間(ま)もひた寄りによる
- 遠足の小学生徒有頂天に大手ふりふり往来とほる
- 曼珠沙華一むら燃えて秋陽(あきび)つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径(みち)
- 亡き吾子の帽子のうらの汚れみてその夭死(はやじに)をいたいけにおぼゆ