短歌は、日常の中で作者が感じたことを5・7・5・7・7の31音で表現する定型詩です。
短い文字数の中で心を表現するこの「短い詩」は、あの『百人一首』が作られた平安時代に栄えていたことはもちろん、古代から1300年を経た現代でも多くの人々に親しまれています。
今回は、第1歌集『サラダ記念日』が社会現象を起こすまでの大ヒットとなり、現代短歌の第一人者として今なお活躍する俵万智の歌「男というボトルをキープすることの期限が切れて今日は快晴」をご紹介します。
男という ボトルをキープすることの 期限が切れて今日は快晴 とか俵万智いけめんすぎる
— * (@__150) April 18, 2012
俵万智さんだって男というボトルをキープすることの期限が切れて今日は快晴って言ってるじゃない!でも 君を待つことなくなりて快晴の土曜も雨の火曜も同じ ともいってるわー
— ちゃん (@3232eric) August 11, 2012
本記事では、「男というボトルをキープすることの期限が切れて今日は快晴」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「男というボトルをキープすることの期限が切れて今日は快晴」の詳細を解説!
男というボトルをキープすることの期限が切れて今日は快晴
(読み方:おとこという ぼとるをきいぷ することの きげんがきれて きょうはかいせい)
作者と出典
この歌の作者は「俵万智(たわら まち)」です。
文学界ではもちろん短歌にあまり詳しくない人でも、日本ではほとんどの人が名前を知っていると言っても過言ではないくらい有名な歌人です。誰にでも分かりやすい言葉選びで表現した短歌は、親しみやすく、それでいて切り口が斬新で、今も多くの人の心を掴んでいます。
また、この歌の出典は『サラダ記念日』です。
サラダ記念日は1987年(昭和62年)に出版された作者の第1歌集です。表題にもなった歌「サラダ記念日」は俵万智の代名詞にもなっています。出版されるやいなや280万部のベストセラーとなり、短歌に馴染みがなかった人も含め多くの人が手に取りました。この歌集をもとにいくつもの翻案・パロディ作品が出たり、収められている短歌から合唱曲が作られたりするなど社会現象となりました。
現代語訳と意味 (解釈)
この歌は現代語で詠まれた歌なので、意味はそのまま受け取ることができます。
歌から想像できる内容を噛み砕いて書くと、次のようになります。
「酒屋のボトルをキープするように、男の人と関係を繋いでいた。その期限が切れた。(でも)今日は快晴。私の心もどこか晴れ晴れとしている。」
男性を酒瓶に例えて恋の終わりを詠んだ、とてもユニークな一首です。
文法と語の解説
- 「男というボトルをキープすることの」
「ボトルキープ」は、居酒屋などでお酒を「ボトル(瓶)」ごと購入し、飲みきれなかったボトルをお店で保管してもらって、次回にまた飲めるといったサービスのことです。作者はこのサービスに例えて恋を詠んでいるので、この歌での「ボトル」は酒瓶を表し、「男」を酒瓶に例えています。
- 「期限が切れて」
「期限」は前もって決められた一定の日時のこと。居酒屋などでのボトルキープには3ヶ月や半年といったように、期間が定められていることが多いです。そこから、この歌でも「自分のものとしておける期限」のことを言っているのでしょう。「切れる」には一定の時間・期間が終わりになるという意味があります。
- 「今日は快晴」
「快晴」とは、空が気持ちよく晴れ渡り、たいへん天気が良いことです。実際に天気が快晴なのかはわかりませんが、この歌では主人公の心の状態を表す言葉としての意味もあります。
「男というボトルをキープすることの期限が切れて今日は快晴」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、一首の中での大きな意味上の切れ目のことで、読むときもここで間をとると良いとされています。
この句に句切れはありませんので、「句切れなし」です。句切れをつくらないことで、全体の流れるような印象を読み手に感じさせています。
比喩
比喩とは、物事の説明や描写に、ある共通点に着目した他の物事を借りて表現することです。
歌の中に「男というボトル」とありますが、実際に酒瓶の名前が「男」というわけではありません。男性を「お店でキープする酒瓶」に例えているのです。
字余り
字余りとは、「五・七・五・七・七」の形式よりも文字数が多い場合を指します。あえてリズムを崩すことで、結果的に意味を強調する効果があります。
この歌では初句の「男という(6字)」が字余りとなっています。
「男というボトルをキープすることの期限が切れて今日は快晴」が詠まれた背景
この歌が最初に収録されたのは第1歌集の『サラダ記念日』です。作者は当時24歳でした。
この歌が詠まれた背景について、作者自身が取り立てて語ったことはありません。実体験なのか、完全なるノンフィクションなのかも議論が分かれるところです。
しかし『サラダ記念日』のあとがきで、作者は次のように語っています。
原作・脚色・主演=俵万智、の一人芝居――それがこの歌集かと思う。(中略)
なんてことない二十四歳。なんてことない俵万智。なんてことない毎日のなかから、一首でもいい歌を作っていきたい。それはすなわち、一所懸命生きていきたいということだ。生きることがうたうことだから。うたうことが生きることだから。
(『サラダ記念日』186~190頁より)
「男という…」の歌が実体験なのかはわかりませんが、少なくともその思いに近い経験をしたか、身近にそんな心境の人物がいたのではないかと思われます。
歌集が出たあと、俵さんのご両親は歌を読んでびっくりされたようです。俵さんは、「親にしてみると、娘が東京でこんな生活をしているのかと思ったんでしょうね」と明るく笑っておられたそうです。
「男というボトルをキープすることの期限が切れて今日は快晴」の鑑賞
【男というボトルをキープすることの期限が切れて今日は快晴】は、男女関係の終わりを受け止める気持ちをさわやかに詠んだ歌です。
男性と恋愛関係にあったのか、もしくはそれに発展する手前だったのか、主人公の女性にとって「ボトルキープ」するような存在だった男性。男女関係において、本命でなく2番目、3番目といった位置づけにおくことを通称「キープ」といいますが、この歌においてそのような意味をもつのかは分かりません。
「期限が切れた」、つまり、その男性との関係が終わったのでしょう。しかし、「今日は快晴」。主人公は、どこかすがすがしい気持ちでいるようです。
人との関係の終わりは切なく悲しいものです。しかし、関係があるからこその苦しみやしがらみもあります。それらから解き放たれて、どこか開放感を感じているのかもしれません。
作者「俵万智」を簡単にご紹介!
俵万智(たわら まち)は、1962年に大阪府門真市で生まれました。
13歳で福井に移住し、その後上京し早稲田大学第一文学部日本文学科に入学しました。歌人の佐佐木幸綱氏の影響を受けて短歌づくりを始め、1983年に、佐佐木氏編集の歌誌『心の花』に入会。大学卒業後は神奈川県立橋本高校で国語教諭を4年間務めました。
1986年に作品『八月の朝』で第32回角川短歌賞を受賞。翌年の1987年、後に彼女の代名詞にもなる、第1歌集『サラダ記念日』を出版します。同年「日本新語・流行語大賞」を相次ぎ受賞し、『サラダ記念日』は第32回現代歌人協会賞を受賞しています。
高校教師として働きながらの活動でしたが、1989年に橋本高校を退職。本人曰く、「ささやかながら与えられた『書く』という畑。それを耕してみたかった。」とのことで、短歌をはじめとする文学界で生きていくことを選んだそうです。
その後も第2歌集『かぜのてのひら』、第3歌集『チョコレート革命』と、出版する歌集は度々話題となりました。現在(2022年)は第6歌集まで出版されています。短歌だけでなくエッセイ、小説など活躍の幅を広げています。現在も季刊誌『考える人』(新潮社)で「考える短歌」を連載中。プライベートでは2003年11月に男児を出産。一児の母でもあります。
「俵万智」のそのほかの作品
- 思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ
- 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
- この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日
- 水蜜桃の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う
- 君のため空白なりし手帳にも予定を入れぬ鉛筆書きで
- 親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト
- 愛人でいいのと歌う歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う
- 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
- ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう
- いつもより一分早く駅に着く一分君のこと考える
- なんでもない会話なんでもない笑顔なんでもないからふるさとが好き
- 「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
- 寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら