【その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど

 

古くより親しまれてきた日本の伝統文学のひとつに短歌があります。「五・七・五・七・七」の形式で詠む短歌には、歌人の心情を描く叙情的な作品が数多くあります。

 

今回は、青春の輝きを誇らかに歌い上げた与謝野晶子の歌その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかなをご紹介します。

 

 

本記事では、その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」の詳細を解説!

 

その子二十 櫛にながるる 黒髪の おごりの春の うつくしきかな

(読み方:そのこはたち くしにながるる くろかみの おごりのはるの うつくしきかな)

 

作者と出典

この歌の作者は「与謝野晶子(よさの あきこ)」、明治から昭和にかけて活躍した女流歌人です。

 

鋭い自我意識に基づく奔放で情熱的な歌風は、当時の歌壇に大きな影響を及ぼし、近代短歌に新しい時代を開きました。

 

この歌の出典は、与謝野晶子の第一歌集『みだれ髪』に収録されています。

 

この歌集を発行した当時、彼女はまだ満22歳という若さでした。女性の官能をおおらかに歌ったこの歌集は、賛否両論の嵐を巻き起こしました。

 

現代語訳と意味(解釈)

この歌を現代語訳すると・・・

 

「その娘は今まさに二十歳。髪を櫛で梳かせば流れるようにゆらぐその艶やかな黒髪、誇りに満ちた青春の何と美しいことでしょう。」

 

という意味になります。

 

つやつやと流れるような美しい黒髪を見て、うっとりと娘盛りを誇る青春の素晴らしさを詠った歌です。この一首だけ詠むと自分以外の二十歳の女性を描写しているようですが、「その子」とは作者自身だろうと解釈されています。

 

実際に晶子は自分自身の黒髪を気に入っており、歌集の題名も『みだれ髪』であることからこのように推測されています。さらに、後に晶子は初句を「わが二十」に改めていることからも、我が身の女性としての美しさを詠う自己賛美の歌として解釈されています。

 

文法と語の解説

  • 「ながるる」

「流(なが)る」の連体形で、櫛で髪をといている様子を表しています。

 

  • 「おごりの春」

「おごり」の意味について、ひらがなで表記されていることから様々な解釈がされています。「奢り」であれば贅沢なことを意味しますが、「驕り/傲り」とすると、誇らしそうにふるまう様子として詠まれています。

「春」は実際の季節を表しているのではなく、二十歳という人生の青春を四季に例えて「春」と表現しています。

 

  • 「うつくしきかな」

「うつくし」の連体形「うつくしき」+詠嘆の終助詞「かな」の形式です。「二十歳の娘盛りが誇る青春の、なんと美しいことだろうか・・・」と讃えている様子が伝わります。

 

「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」の句切れと表現技法

句切れ

この歌の句切れは、初句切れです。

 

「その子二十」と体言止めで一旦歌の流れが止められており、句点「。」を打つことができます。「その娘は二十歳である。」と大胆な初句で読む人の心をグッとひきつけ、今後の展開を期待させます。

 

字余り

字余りとは「五・七・五・七・七」の形式よりも文字数が多い場合を指します。

 

この歌も初句が「そのこはたち」で六音で、字余りとなります。あえてリズムを崩すことで、結果的に意味を強調する効果があります。

 

初句に字余りを用いることで迫力ある歌となり、「二十歳」の強い印象を残しています。

 

係り受け

一首の中で、二つの句が意味の上で結びついている状態のことを言います。

 

この歌では「櫛にながるる黒髪の」と「おごりの春の」とが、それぞれ「うつくしきかな」にかかっています。

 

反復

反復とは、一首の中で同じ語や同音、または類似の語句を繰り返す表現です。言葉のリズムを整え、反復すことで感動を強める効果があります。

 

この歌でも「櫛にながるる黒髪の おごりの春の」と「の」が繰り返し使われていることがわかります。文の意味だけ捉えると、「の」が続くことで「うつくしきかな」にかかっていくのが伝わりづらいかもしれません。

 

「黒髪よ」「黒髪や」などに置き換えると理解しやすい歌になるかもしれませんが、あえて「の」を続けて使うことで歌全体に流麗な調べを生み出すことに成功しています。

 

比喩

比喩とは、物事の説明や描写に類似した他の物事を借りて表現することをいいます。印象を強めたり、感動を高めたりする効果があり、短歌では良く使われる技法です。

 

この歌では「黒髪」を「若い女性が放つ美しさ」を例える語として使われています。古くは平安時代の頃から、豊かで光り輝く黒髪が女性美を象徴する一つのキーワードとして用いられてきました。

 

また「春」も実際の春という季節を示しているのではありません。人生を四季にたとえ、若さが放つ美しさを春のイメージで例えています。

 

「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」が詠まれた背景

 

この歌からは、自分の部屋で鏡に映る艶やかな黒髪を満足げに見つめる娘の姿が目に浮かびます。

 

現代の感覚ではなかなか理解しがたいかもしれませんが、この当時「髪を梳く」という行為は公の場では見せてはいけないものでした。乙女のプライベートな空間を詠んだこの歌に、読者はどきどきしながら情景を想像したのかもしれません。

 

与謝野晶子が歌集『みだれ髪』を発表したのは、1901年(明治34年)のことです。慎ましく淑やかな女性が善しとする明治時代において、堂々と自分自身の美意識を誇示することは時代の因習への反逆でもありました。

 

この歌は前衛的な自己賛美の歌であるとともに、封建道徳からの女性解放の歌でもあるのです。

 

従来の女性像を打ち破る革新的な歌で若い読者の心を掴んだ晶子は、無名の女性歌人から一躍文壇に押し上げられていきました。

 

「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」の鑑賞

 

初句の字余りが生み出す迫力と、二句以降の髪をとかす動作のように流れる流麗なリズムが対照的な歌です。

 

「ながるる」「うつくしきかな」とあえてひらがな表記で詠むことで、女性の柔らかな雰囲気が醸し出されています。まさに歌意のイメージにぴったりとあった表現技法でしょう。

 

また、この歌には一貫して「女性としての新鮮で若々しい美しさ」が強調されています。

 

例えば「ながるる黒髪」は、「黒髪」という伝統的な女性美の象徴を踏まえつつ、「ながるる」で髪の十分な長さを伝えることで、円熟した女性の美を表現しています。

 

「二十」「ながるる」「黒髪」「春」という「女性・若さ・美しさ」を象徴する語を用いて、今を生きる自分自身を情熱的に歌い上げたのでした。

 

また、この歌は発表当時から「人生の春を謳歌する、女性としての私はなんて美しいのであろう・・・」と自己陶酔の歌だといわれていますが、少し違った解釈もされています。

 

冒頭で、自分自身を「その子」と客観的な視点で描いていることから、「私は今、おそらく人生の中で一番綺麗な時を過ごしているのだろう」と自己認識のもとに表現されたのではないかとも言われています。

 

このように読み手によって解釈の仕方が異なるのも、この短歌の面白いところです。

 

作者「与謝野晶子」を簡単にご紹介!

(与謝野晶子 出典:Wikipedia)

 

与謝野晶子(1878年~1942年)は、明治から昭和にかけて活躍した女流歌人です。本名は与謝野(旧姓は鳳)志ようといい、ペンネームを晶子としました。

 

作歌・思想家としての顔も持ち、『新釈源氏物語』の現代語訳でも知られ、婦人運動の評論家として社会に大きな影響を与えています。

 

晶子は1878年、大阪府堺市の老舗和菓子屋の三女として生まれました。家業は没落しかけているものの、中流階級の家庭で育ったため、女学校にも通い教養を身に着けています。

 

この頃から『源氏物語』など古典文学に親しみ、尾崎紅葉や樋口一葉など著名な文豪小説を読みふけりました。こうした幼い頃の経験は、後の与謝野晶子としての執筆活動に生かされることとなります。正岡子規の短歌に影響を受け、20歳の頃から店番を手伝いながら和歌を投稿しはじめます。

 

1900年に開かれた歌会で歌人・与謝野鉄幹と不倫関係になり、鉄幹が創立した文学雑誌『明星』で短歌を発表します。鉄幹の後を追い実家を飛び出した晶子は、上京の約2ヵ月後に処女歌集『みだれ髪』を刊行、女性の官能をストレートに表現します。

 

当時としても衝撃的な内容でしたが、道徳観に縛られていた女性や少女たちから熱狂的な支持を受けました。

 

浪漫派歌人としての地位を確立した晶子は、1901年に鉄幹と結婚、のちに12人の子どもを儲けています。しかし1905年に『明星』が廃刊、鉄幹もスランプに陥り詩人としてのキャリアに翳りが見えはじめます。

 

晶子は貧しい生活の中で家計をささえるべく奮闘しながらも、詩作や評論活動と精力的に活躍し続けました。

 

「与謝野晶子」のそのほかの作品

(与謝野晶子の生家跡 出典:Wikipedia