【水蜜桃の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど

 

従来の短歌の概念を覆すカジュアルな表現で、若い世代をも魅了した近代歌人の先駆者「俵万智」。

 

彼女の作品といえば、【「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日】で知られているような、初々しく爽やかな恋愛を詠んだものを思い浮かべるかもしれません。

 

しかし、中には甘くも苦い大人の恋を詠んだ作品も数多く残しています。

 

今回はその中から、女性のしなやかな官能美を描いた「水蜜桃の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う」という歌をご紹介します。

 


本記事では、「水蜜桃の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「水蜜桃の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う」の詳細を解説!

 

水蜜桃の 汁吸うごとく 愛されて 前世も我は 女と思う

(読み方:すいみつとうの しるすうごとく あいされて ぜんせもわれは おんなとおもう)

 

作者と出典

この歌の作者は「俵万智(たわら まち)」です。

 

現在も歌人やエッセイストとして活躍しています。女性の心情をみずみずしく歌い上げ、「昭和の与謝野晶子」とも称されています。

 

この歌は作者28歳から34歳までを詠んだ第三歌集『チョコレート革命』に収められています。

 

 

現代語訳と意味(解釈)

この歌の解釈は・・・

 

「甘く柔らかな水蜜桃のしたたる汁を吸うように、丁寧に愛される私は、前世もきっと女だったことでしょう」

 

となります。

 

少女の淡い恋の時代は過ぎ、大人の女性として愛される悦びを詠った艶めく作品です。

 

「水蜜桃」という言葉には、甘い恋愛生活が象徴されているようで、身も心も全てを愛してほしいという女性の願望が感じられます。

 

文法と語の解説

文法と語の解説は特にありません。

 

「水蜜桃の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う」の句切れと表現技法

句切れ

この歌の句切れはありませんので、「句切れなし」となります。

 

最初から最後まで、するすると流れるように詠むことができます。現代短歌では切れ字を使うことが少ないため、句切れなしの歌が多いのが特徴です。

 

字余り

字余りとは、「五・七・五・七・七」の定型形式よりも文字数が多い場合を指します。

 

この歌も初句「すいみつとうの」が七音となっており、字余りとなります。あえてリズムを崩すことで、結果的に意味を強調する効果があります。

 

この歌も初句に大胆な字余りを用いることで、「水蜜桃」の強い印象を残し、読者の心をグッと掴んでいます。

 

直喩

直喩とは、「~のようだ」「~のごとし」などの語を用いて、ある事柄を他のものに例える技法です。

 

例えば「雪のように白い肌」や「ひまわりのような笑顔」などです。直喩を使うことで、語の持つ印象を強める効果があります。

 

この歌では「水蜜桃の汁吸うごとく」とあるので、直喩表現が使われていると理解できます。優しく愛される様子を、みずみずしい水蜜桃からあふれ出る汁を吸う動作に例えて、官能的に歌い上げています。

 

「水蜜桃の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う」の背景

 

この歌は1997年に刊行された第三歌集『チョコレート革命』に収められています。

 

この『チョコレート革命』は、大ベストセラー『サラダ記念日』の初々しさとは大きく異なり、「不倫」をうかがわせる歌が多数収録されています。その奔放で斬新な表現が話題となり、36万部も売り上げるヒット作となりました。

 

歌集『チョコレート革命』には、ほかにも以下のような歌が収録されています。

 

  • 男では なくて大人の 返事する 君にチョコレート 革命起こす
  • 焼き肉と グラタンが好き という少女よ 私はあなたの お父さんが好き
  • 逢うたびに 抱かれなくても いいように 一緒に暮らして みたい七月

 

道ならぬ恋に身を焦がす女性の愛情や苦悩を、時には生々しい表現を用いて歌い上げています。

 

これらの歌には一貫して「愛されることが女性としての幸せだ」という姿勢が感じ取れます。既婚者男性に惹かれた女性の性でしょうか、愛することよりも愛されることに喜びを見出しています。

 

「水蜜桃の汁吸うごとく」と比喩するように、自分は大事に愛されている女性だということに、どこか優越感すらうかがえます。

 

こうした赤裸々に詠んだ恋の歌について、しばしば読者から事実かどうかを邪推されることが多かったようです。俵万智は「あとがき」の中で次のように述べています。

 

「確かに「ほんとう」と言えるのは、私が感じたという部分に限られる。その「ほんとう」を伝えるための「うそ」は、とことんつく。短歌は事実(できごと)を記す日記ではなく、真実(こころ)を届ける手紙で、ありたい。」

(引用:歌集『チョコレート革命』のあとがき)

 

俵万智の短歌に対する想いが伝わってきますね。

 

「水蜜桃の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う」の鑑賞

 

愛の営みの情景が浮かぶこの歌は、官能的でありながら理知的に性愛の悦びを詠っています。作者は悦びを通して、女性としての自分自身を肯定しているように詠みとれます。

 

字余りにさせてまでこだわった「水蜜桃」という語は、その漢字の並びからみずみずしい果汁が溢れてくるイメージがあります。

 

水蜜桃とはさまざまな白桃種のオリジナルとなった品種で、現在では白鳳や川中島白桃など高品質な白桃に対して呼ぶことがあります。中国では「水蜜桃のように色っぽい」という艶やかな表現もあり、大人の女性に対して使われる言葉でもあります。

 

仮にただ「桃」と例えるには物足りないものなっていたことでしょう。水蜜桃だからこそ、「大事に扱われ、余すことなく男性から愛される私」を的確に表現できたのでしょう。

 

また、「前世も」という表現を使うことで、奥行きのある歌になっています。作者は、女性の特権ともいえる快楽にどこか既視感を覚えたのでしょうか。「来世も」ではなく、あえて「前世も」と詠むことで、女性としての凄まじい業のような情念が感じられます。

 

まさに「心が揺れるときに短歌が生まれる」と述べている俵万智さんにしか詠めない、物語性のある歌です。

 

作者「俵万智」を簡単にご紹介!

 

俵万智(1962年~)は、大阪府門真市出身の歌人です。早稲田大学第一文学部に入学後、日本文学専修に進級。「心の花」を主宰している佐佐木幸綱に師事し、短歌を作り始めました。

 

1985年に大学を卒業すると、高等学校の国語教師として働きながら作品・歌集を発表します。1986年には『八月の朝』で第32回角川短歌賞を受賞、新しい感性と斬新な表現で当時の歌壇を騒がせる存在となります。

 

1987年に刊行された第一歌集『サラダ記念日』は、280万部の大ベストセラーとなり社会現象を起こしました。

 

彼女の作品は、従来の短歌とは違い口語調で軽やかに詠んだものが多く、若い世代の人々に短歌を親しませるきっかけとなりました。恋愛や青春といった共感性のあるものから、バブル景気の豊かな消費社会をユーモアたっぷりに詠んだものなど、口語短歌の裾野を一気に広げていきます。

 

その後も発表する作品は高い評価を得て、現代歌人協会賞、紫式部文学賞、若山牧水賞など数々の賞を受賞しました。

 

現在も歌人としての活動のみならず、エッセイや小説など幅広い文化活動を行っています。

 

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