日本が誇る短形詩のひとつ短歌。
様々な歌人が、三十一文字の中に思いのたけを詠みこんできました。
胸に迫る望郷の歌を数多く詠んだ歌人の中には、「石川啄木」という人物がいます。抒情的な美しい短歌を短い生涯で数多く読み、多くのファンの心を魅了し続ける歌人です。
今回は明治時代の有名歌人「石川啄木」の短歌の中から、「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに」という歌をご紹介します。
やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに 石川啄木#折々のうた−春夏秋冬−春#一握の砂#石川啄木 pic.twitter.com/T0OER6LYtf
— 菜花 咲子 (@nanohanasakiko2) June 5, 2018
本記事では、「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに」の意味や表現技法・句切れ・作者などについて徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに」の詳細を解説!
やはらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けと如くに
(読み方:やわらかに やなぎあおめる きたかみの きしべめにみゆ なけとごとくに)
作者と出典
この歌の作者は「石川啄木(いしかわたくぼく)」です。明治期に活躍した岩手県出身の歌人です。
この歌の出典は石川啄木の第一歌集『一握の砂』(煙二)。
この句集は明治43年(1910年)12月に刊行された歌集です。
現代語訳と意味(解釈)
この歌の現代語訳は・・・
「やわらかな若葉が青い色で柳に芽吹く、北上川の岸辺の光景が自然と目に浮かんでくる。私に泣けと語り掛けるかのように。」
となります。
「北上」とは、作者の故郷を流れる北上川のことです。
作者は故郷を遠く離れて、今、北上川を見ているわけではありません。追憶の中の北上川を思い浮かべ、望郷の念を抱いています。
文法と語の解説
- 「やはらかに」
形容動詞「やはらかなり」の連用形です。
- 「柳あをめる」
「柳」は、水辺に生える灌木の一種で、秋から冬にかけては落葉し、春新芽を吹きます。
「あをめる」は漢字で書けば「青める」。動詞「あをむ」の連体形「あをめる」です。
- 「北上の」
「北上」は北上川のこと。岩手県内部を北から南へと流れて、宮城県の石巻市で海に注ぎ込みます。東北地方のなかでは最も大きい川です。現在の岩手県盛岡市が石川啄木の故郷であり、北上川は作者にとっては故郷の象徴でした。
「の」は連体修飾格の格助詞です。
- 「岸辺目に見ゆ」
「岸辺」は北上川の岸辺のことです。
「に」は、存在の場所を表す格助詞。「見ゆ」は、動詞「見る」の未然形「見」+自発の助動詞「ゆ」終止形です。自発とは、自然と~なる、という意味です。この場合は、「自然と目に浮かんでくる」となります。
- 「泣けと如くに」
「泣け」は動詞「泣く」の命令形。「と」は引用の格助詞です。
「如くに(ごとくに)」は、助動詞「ごとし」の連用形「ごとく」+推定の助動詞「なり」の連用形「に」です。
「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに」の句切れと表現技法
(盛岡市内を流れる北上川 出典:Wikipedia)
句切れ
句切れとは、一首の中で意味の上で大きく切れるところで、リズム上でも間をおいて読んでいくところになります。
詠嘆の助動詞(けり など)や詠嘆の終助詞(かな、や、もなど)のあるところや、普通の文でいえば句点「。」がつくところで切れます。
この歌は、「岸辺目に見ゆ」で句点「。」がつきますので、四句切れの歌です。
倒置法
倒置法とは、普通の言葉の並び方を変えて、あえて逆に言葉を並べることで印象を強める表現技法です。
この歌では、「岸辺目に見ゆ泣けと如くに(岸辺の光景が自然と目に浮かんでくる。私に泣けと語り掛けるかのように。)」というところが、倒置法になっています。
普通の言葉の順番にしたら、「泣けと如くに岸辺目に見ゆ(私に泣けと語り掛けるかのように、岸辺の光景が自然と目に浮かんでくる。)」となるところです。
倒置法を用いて、望郷の思いを切々と訴えかけています。
擬人法
擬人法とは、人ではないものを人の動作にたとえて表現する技法のことです。(※例えば、「山が笑う」、「風がささやく」など)
この歌の「泣けとごとくに」とは、「泣けと語り掛けるかのように」ということですが、何が語り掛けてきているのかといえば、「岸辺(=北上川の岸辺の光景)」です。つまり、「岸辺」を擬人化しています。
思い出の中の北上川の岸辺の光景と語り合うかのような表現で、作者の故郷を慕う思いを表現しています。
「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに」が詠まれた背景
この歌は、石川啄木の第一歌集『一握の砂』に収録されています。
この句集は明治43年(1910年)12月に刊行。歌集には、明治41年(1908年)夏以後の短歌が収録されています。
盛岡での学生生活を回想した歌や、望郷の思いを歌った歌が多くおさめられています。
作者の石川啄木は、故郷盛岡から二度上京をしています。
1度目は明治35年(1902年)、盛岡尋常中学校を自主退学した直後に文学で身を立てるために上京しました。
幼い頃は神童ともよばれていた啄木ですが、中学時代学業不振に陥り、学生によるストライキ活動にも参加し、カンニング事件を起こしての退学でした。
思うようにいかない状況をなんとか打開しようと状況を決意したのかもしれません。しかし、東京でもことはうまくは運ばず、2年後に病を得て帰郷したのでした。
2度目の上京は明治41年(1908年)です。この3年前には、渋谷村宝徳寺住職だった父が金銭トラブルにより曹洞宗から罷免され、寺から追放されてしまうという事件もありました。啄木には妻子もできており、啄木は一家の生計を支える立場にあったのです。盛岡や函館で職を転々とし、人間関係に疲れ、創作活動へのあこがれから上京したといわれています。
しかし、生活は決して楽ではなく、啄木自身屈折した思いや貧困を味わいながら社会の在り方への怒りも持っていたようです。
2度目の上京の後は故郷に帰ることなく、4年後の明治45年(1912年)に死去するまで東京に暮らしました。
「やはらかに柳あをめる北上の‥」の前後は、故郷のことを詠った歌が並んでいます。
また、この歌のひとつ前には以下の歌を詠んでいます。
「石をもて 追はるるごとく ふるさとを 出いでしかなしみ 消ゆる時なし」
(意味:石をもって終われるかのように、故郷を出てきた悲しみは消えることがない。)
啄木にとって、故郷は甘美で屈託のない思い出ばかりではなかったのです。
「やはらかに柳あをめる北上の…」に続けては、故郷の人々を回想したと思われる歌が続きます。幼い日の恋を詠った歌など美しい思い出の歌もありますが、実は陰鬱な雰囲気の歌の方が多いのです。
結核を得て死んだ男、障碍者の家族を持ち苦学していた友達、盗癖のあった友達、精神を病んだ村の役人などを詠った歌が連なっています。
作句者にとっては、故郷は美しいだけのものではなく、苦さや鬱屈も抱え込み複雑な感情を持ちつつも、慕わしいものだったのかもしれません。
「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに」の鑑賞
この歌の季節は早春。作者は目の前にはない故郷の北上川の岸辺の光景を思い浮かべています。「今頃、柳の木が芽吹いて青く色づいているだろう」と遠い故郷の様子を思い浮かべているのです。
作者の故郷は北国です。柳が青く色づいていく光景は長い冬が終わり、あたたかい春の訪れを告げる喜ばしい風物詩でした。
挫折や落伍を経験し、追われるように故郷を捨ててきたという思いを作者はかかえていました。しかし、ふるさとの自然はあくまでも懐かしく、慕わしいものだったのでしょう。
目の前にない、追憶の中の美しい北上川の岸辺は、「作者に泣け」と語り掛けてきます。
どんな事情があろうとも、北上川を有する故郷の姿は作者の心の根っこにあることを思わせてくれます。
作者「石川啄木」を簡単にご紹介!
(1908年の石川啄木 出典:Wikipedia)
石川啄木(いしかわ たくぼく)、は、本名を石川一(いしかわ はじめ)と言います。明治19年(1886年)
岩手県南岩手郡日戸(ひのと)村(現盛岡市日戸)に生まれました。住職の父の転任に伴い、1歳の時に渋民村(現盛岡市渋民)に転居します。
早熟で利発なこどもといわれ、中学生のころ、詩歌雑誌『明星』に出会います。歌人の与謝野晶子らの歌に親しみました。
『明星』誌上や、地元地方紙に短歌が掲載されるようになり、文学にあこがれて、明治35年(1902年)上京します。しかし、2年後には病気のために帰郷を余儀なくされます。
1905年には、第一詩集『あこがれ』を自費出版、長年恋愛関係にあった堀合節子と結婚しました。その一方で、寺の住職を務める父の金銭に関わるトラブルのため、実家のあった渋民村を追放されるように出なければなりませんでした。
石川啄木の人生は、病や貧困、家族の悩みとの戦いでした。結核という病を抱えつつも、啄木は一家の生計を立てるために働かなくてはなりませんでした。盛岡で教員をしたり、北海道で新聞社に勤めるなど、啄木も必死で働きました。
明治41年(1908年)上京します。職場での人間関係の問題や、創作活動への意欲があったといわれています。
明治43年(1910年)には第一歌集『一握の砂』を刊行しました。
第二歌集の話も出ている中、明治45年(1912年)4月13日、石川啄木は26歳のあまりにも短い生涯を終えました。
啄木の死後ほどなく、第二歌集『悲しき玩具』が刊行されました。
「石川啄木」のそのほかの作品
(1904年婚約時代の啄木と妻の節子 出典:Wikipedia)
- 東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる
- 砂山の砂に腹這い初恋のいたみを遠くおもひ出づる日
- いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ
- 頬につたふなみだのごはず一握の砂を示しし人を忘れず
- たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず
- はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢつと手を見る
- 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ
- ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
- かにかくに渋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川
- 石をもて追はるがごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし
- やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
- ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな