【春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど

 

「短歌」は、五・七・五・七・七の合計三十一文字で、美しい自然の事象や人の心の機微、人生の哀歓をうたい上げます。

 

日本人は、古代から三十一文字で様々な美しい歌、すばらしい歌を作り上げてきました。

 

それらの歌の中でも名歌と呼ばれるものは、文学性・芸術性に優れ多くの人々に愛されています。

 

今回は日本最古の歌集「万葉集」から「春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」という歌をご紹介します。

 

 

本記事では、「春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」の詳細を解説!

 

春の野に すみれ摘みにと 来し我ぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける

(読み方:はるののに すみれつみにと こしわれぞ のをなつかしみ ひとよねにける)

 

作者と出典

この歌の作者は「山部赤人(やまべのあかひと)」です。奈良時代の歌人です。

 

(山部赤人 出典:Wikipedia)

 

この歌の出典は『万葉集』(巻八 1424です。

 

『万葉集』は、日本に現存する最古の和歌集です。奈良時代末期に成立したとされ、全部で20巻、約4500首の歌が収められています。天皇や貴族といった上流階級の人々ばかりではなく、防人(さきもり)や農民など、庶民の歌も収められています。

 

現代語訳と意味(解釈)

この歌の現代語訳は・・・

 

「春の野に、すみれを摘もうと来た私だが、美しい野辺の様子に心をひかれたので、一晩を野で過ごしてしまったことだ。」

 

となります。

 

文法と語の解説

  • 「春の野に」

「の」は、主格の格助詞。「に」は場所を表す格助詞です。

 

  • 「すみれ摘みにと」

「すみれ」春に紫色の花を咲かせる山野草です。

「摘みにと」は動詞「摘む」の連用形「摘み」+目的の格助詞「に」+引用の格助詞「と」です。

 

  • 「来し我ぞ」

「来し」は動詞「来(く)」の未然形「来(こ)」+過去の助動詞「き」連体形です。

「我」は「私」という意味です。

「ぞ」は係助詞で、係り結びを作ります。(結句の解説で係り結びについて詳しく説明します。)

 

  • 「野を懐かしみ」

「を」は対象を表す格助詞。「の」は、連体修飾格の格助詞です。

「懐かしみ」は形容詞「懐かし」の語幹+原因理由を表す接尾辞「み」です。

「懐かし」は、「心ひかれる、好もしく思う、慕わしい」というような意味で、「懐かしみ」で、「心をひかれたので」という意味になります。

 

  • 「一夜寝にける」

「寝にける」は、動詞「寝(ぬ)」の連用形「寝(ね)」+官僚の助動詞「ぬ」連用形「に」+過去の助動詞「けり」の連体形「ける」です。

 

「けり」が連体形になっているのは、「我ぞ」のところで、係助詞「ぞ」があるからです。

 

係り結びとは、「ぞ・なむ・や・か」の係助詞が出てくると、文末が終止形ではなく、連体形や已然形に変わるというものです。標準的な現代語には消滅してしまった、古語に特有のルールです。疑問の意味や、文意を強調する働きがあります。

 

この歌では、「我ぞ」で係助詞があり、歌の終わりの「寝にける」は連体形になっています。野辺の様子がすばらしくて心ひかれて対一晩過ごしてしまったことだ、と、野の美しさを強調しています。

 

「春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」の句切れと表現技法

句切れ

句切れとは、一首の中での大きな意味上の切れ目のことです。

 

この歌に句切れはありませんので、「句切れなし」です。

               

平明な言葉で簡潔に、すみれ咲く野辺の美しさを一息に詠みあげています。

 

表現技法

特に表現技法は用いられていません。

 

「春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」が詠まれた背景

 

この歌は作者が「春の野にすみれ摘みにと来し」と詠っていますが、これは春の年中行事を詠ったものです。

 

古代、春先に野に出て、芽を出したばかりの食べられる野草を摘む行事は「若菜摘み」と呼ばれて大切にされてきました。

 

冬には枯野であったところに、春、新芽が伸びてくるということを、古代の人は命の再生の象徴と捉えていました。春の野の若菜摘みは、そうした命のエネルギーを大地や若草から得ようとする意味合いがあったのです。

 

現代でも、七草がゆといって、春の七草と呼ばれる野草をおかゆに炊き込んで食べる行事食がありますが、この七草がゆも元をたどれば、若菜摘みに行きつくのです。

 

すみれの花も、見て楽しむだけではなく、花や若葉が食用にされてきました。春の訪れを告げ、よみがえる命のエネルギーを与えてくれる草花として、古代の人々はすみれの花を口にしたりもしていたのです。

 

この歌は、春の恒例行事、若菜摘み、すみれ摘みを詠んだものだったのです。

 

また、この歌は、意中の女性をすみれにたとえ、女性恋しさに一晩を共にしてしまったという恋の歌として解釈されることもあります。果たして真相がどうだったのかはわかりません。

 

「春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」の鑑賞

 

この歌は、春の野に咲くすみれの花を詠った歌としてとても有名な歌です。

 

春の穏やかな日だまりに濃い紫色のすみれが咲いている、いかにも春らしい光景が目に浮かびます。

 

「草花の観賞の楽しみ」と「食用の野草を摘む実用を兼ねたすみれ摘み」の楽しげな様子も伝わってきます。

 

すみれ咲く野辺に野宿をしたというより、実際は野辺に近いあたりに宿をとったのでしょう。

 

しかし、春になってうごめきだす命のエネルギーに高揚し、活動的になってくるわくわく感が伝わってきます。

 

 作者「山部赤人」を簡単にご紹介!

山部 赤人 出典:Wikipedia)

 

山部 赤人(やまべ の あかひと)は、奈良時代の歌人です。生まれた年はよくわかっていません。没年は 天平8年(736年)ごろであろうと言われています。

 

正史には名前が出てこず、記録がないので、よくわからない歌人です。聖武天皇の代の歌が残っているので、このころの下級役人であり、宮廷歌人であったと言われています。

 

同じく奈良時代の歌人、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)と並んで、「歌聖」と呼ばれて称えられる伝説的な歌人です。

 

自然の美しさや、雄大さを詠んだ、叙景的な歌が多く残されています。

 

「山部赤人」のそのほかの作品

(赤人を祭神として祀る神社「和歌宮神社」 出典:Wikipedia

 

  • あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも
  • 明日よりは春菜摘まむとしめし野に昨日も今日も雪は降りつつ
  • 田子の浦ゆ打ち出て見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
  • 恋しけば形見にせむと我が屋戸に植ゑし藤波今咲きにけり
  • 若の浦に潮満ち来れば潟を無み蘆辺をさして鶴鳴き渡る