日本の伝統的な文芸である「短歌」。
新聞や雑誌にも短歌のコーナーが設けられ、生活の中で短歌を楽しむアマチュア歌人もたくさんいます。
今回は、短歌や俳句と言った詩歌を近代化させ、文学の一ジャンルとして確立させた正岡子規の歌から、「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」をご紹介します。
瓶にさす
藤の花ぶさ みじかければ
畳の上に とどかざりけり正岡子規 pic.twitter.com/t0vgIHOCFJ
— tommy (@tommy777_tommy) April 16, 2015
本記事では、「瓶にさす 藤の花ぶさみじかければ たたみの上に とどかざりけり」の意味や表現技法・句切れ・作者などについて徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」の詳細を解説!
瓶にさす 藤の花ぶさ みじかければ たたみの上に とどかざりけり
(読み方:かめにさす ふじのはなぶさ みじかければ たたみのうえに とどかざりけり)
作者と出典
この歌の作者は「正岡子規」です。近代文学の短歌・俳句の出発点は正岡子規にあります。
この歌の出典は『墨汁一滴』。
明治34年(1901)、新聞「日本」紙上に連載された随筆、『墨汁一滴』の4月28日の項で発表された歌です。
この随筆は病状にあって、なお盛んに文学を論じ、死に近づく自らを冷静に見つめた記録です。正岡子規はこの翌年に亡くなります。
現代語訳と意味(解釈)
この歌の現代語訳は・・・
「机の上の花瓶にさした藤の花は今を盛りの美しさだが、その垂れ下がっている花ぶさが短いので、ほんの少しの所で畳の上に届かないでいることだ。」
となります。
藤の花は、マメ科のつる性の植物。紫色の花が房になって枝垂れて咲くのが特徴です。
瓶に生けられた藤の花ぶさが垂れ下がり、床につきそうになっている。しかし、わずかに花ぶさが短かったため、床に接することなく隙間が空いたことを作者は発見して歌にしているのです。
病臥し、花瓶に生けた花を下から見上げるような視線でながめていたからこそ得られた発見を歌にしているのです。
文法と語の解説
- 「瓶にさす」
「瓶」は花瓶のことです。「さす」は、生けてあるということです。
- 「藤の花ぶさみじかければ」
「みじかければ」は、形容詞「みじかし」の已然形「みじかけれ+順接の確定条件を表す接続助詞「ば」です。この「ば」は原因や理由を表し、「~から ~ので」と訳せます。藤の花は房になって垂れ下がっていますが、その花ぶさが短かったので、ということですね。
- 「たたみの上に とどかざりけり」
「とどかざりけり」は動詞「とどく」の未然形「とどか」+打消の助動詞「ず」の連用形「ざり」+詠嘆の助動詞「けり」です。「けり」には、強い詠嘆の気持ちがこめられます。花ぶさの長さとたたみまでの距離が絶妙で、わずかに花ぶさが短かったのでたたみにとどくことなく隙間が空いた、その発見を驚きと感動をもって作者が受け止めているのです。
「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」の句切れと表現技法
句切れ
この歌に句切れはありませんので、「句切れなし」になります。
たおやかに垂れ下がる藤の花ぶさを表すように、切れることなくやわらかい調子で詠みあげられた一首です。
字余り
短歌は、五・七・五・七・七の三十一音が基本です。しかし、この句は三句が「みじかければ」と六音になっています。このように字数が多いものを「字余り」といいます。
「みじかければ」でややリズムが崩れつつも、藤の花ぶさの長さが絶妙だったことが印象に残る歌となっています。
「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」が詠まれた背景
この短歌は、『墨汁一滴』という新聞連載の随筆の中で発表されているもので、10首掲載されたうちの一首目です。
歌の前にこのような文章がついています。
「夕餉したため了(おわ)りて仰向に寝ながら左の方を見れば机の上に藤を活けたるいとよく水をあげて花は今を盛りの有様なり。艶(えん)にもうつくしきかなとひとりごちつつそぞろに物語の昔などしぬばるるにつけてあやしくも歌心なん催されける。この道には日頃うとくなりまさりたればおぼつかなくも筆を取りて」
(意味:夕食を食べ終わり、あおむけに寝ながら左の方を見たところ、机の上に藤の花を活けてあったのだが、よく水を揚げていて、花は今を盛りとばかりに咲き誇っている。艶やかで美しいことだなあ、と独り言を言いつつ、藤の花にまつわる物語などふと思い出しているうちに、歌を詠みたいという気持ちが沸き起こってきた。最近は作歌もしていなかったので心もとないままに筆を取って)
作者は、寝たままの姿勢で机の上の花瓶に生けられた藤の花を見上げていたのです。
房になって垂れ下がる藤の花を、屋内で見上げるということは、作者のようにあおむけに寝てでもいないかぎりないでしょう。病床にある子規だからこそ見出した視点であったわけです。
また、この連作十首の短歌にはこのようなものもありました。
藤なみの花をし見れば紫の絵の具取り出で写さんと思ふ
(意味:美しい藤の花を見ると、紫の絵の具を取り出してその姿を絵に写したいと思う。)
藤なみの花の紫絵にかゝばこき紫にかくべかりけり
(意味:美しい藤の花を絵に描くのであれば、濃い紫で描くのがよいだろうなあ)
子規は病床にあっても水彩画を嗜むなど、創作する・表現するということに対して貪欲でした。十首の歌をのせた後、文章はこう結ばれています。
病のひまの筆のすさみは日頃稀なる心やりなりけり。をかしき春の一夜や。
(意味:病の中の筆すさみは、この頃ではあまりなかったことで、心楽しいひと時であった。なんとも趣のある春の一夜であったことよ。)
上記の文章から藤の花が病の子規の心を癒し、やむことのない創作欲を刺激していたことが分かります。
「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」の鑑賞
この歌は、藤の花の美しさが目に浮かぶ、絵画のような短歌です。
「花瓶にさした藤の花ぶさが畳に届きそうでとどかない、ぎりぎり短かったため隙間が空いている」その発見を作者はおもしろがっています。
たたみに仰臥した姿勢からのアングルで詠まれているのが大きな特徴です。
古来、藤の花は和歌によく詠まれてきた花であるのですが、このような視点での歌には新しさがありました。
また、病臥しているからこその短歌とは言っても、じめじめとした暗さはありません。
藤の花の美しさ、造形の妙への作者の心からの賛美が伝わってきます。
藤の花を観賞し、歌を詠んだひと時は作者にとっても心地の良い、平穏な時であったのでしょう。
作者「正岡子規」を簡単にご紹介!
(正岡子規 出典:Wikipedia)
正岡子規は明治時代の歌人であり俳人であり研究者です。
生年は1867年(慶応3年)で、出身は現在の愛媛県松山市、松山藩士の家柄の出です。本名は常規(つねのり)といいました。
子規は江戸幕府が大政奉還をして、明治へと時代がうつり、文明開化を迎える激動の時期に成長しました。幼い頃から俳諧や和歌、漢詩など、伝統的な文芸に親しみ、知識を持ち合わせていましたが、形式的な月並みな俳諧や和歌を排し、芸術性の高い短歌や俳句を生み出すべく活動しました。
短歌においては、万葉集の和歌を特に評価していたと言われます。新聞「日本」紙上に、「歌読みに与ふる書」の連載をしたり、自宅で、根岸短歌会を開くなど、短歌の革新運動を進めました。
結核に罹患、喀血を繰り返し、晩年は寝たきりになりながらも、自らの肉体と精神を見つめ、痛烈に病と向き合いながら創作活動を続けました。
雅号の子規とは、ホトトギスと言う鳥の異名です。喉から血を流して鳴くと言われるホトトギスに病める自らを重ね合わせたのです。
子規は明治35年(1902年)享年34歳の若さで死去しました。
「正岡子規」のそのほかの作品
(子規が晩年の1900年に描いた自画像 出典:Wikipedia)
- くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる
- 松の葉の 葉毎に結ぶ白露の 置きてはこぼれ こぼれては置く
- 瓶にさす藤の花ぶさみじかければ たたみの上に とどかざりけり
- ガラス戸の外のつきよをながむれどランプのかげのうつりて見えず
- 久方のアメリカ人びとのはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも
- 若人のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如くものはあらじ
- いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす