【さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園】徹底解説!!意味や表現技法・句切れ・鑑賞文など

 

短歌は、作者が日常の中で感じたことを5・7・5・7・7の31音で表現する定型詩です。

 

みそひともじと呼ばれる限られた文字数で心を表すこの「短い詩」は、古代から1300年を経た現代でも多くの人々に親しまれています。

 

今回は、第1歌集『サラダ記念日』が社会現象を起こすまでの大ヒットとなり、現代短歌の第一人者として今もなお活躍する俵万智の歌「さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園」をご紹介します。

 

 

本記事では、さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園」の詳細を解説!

 

さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園

(読み方:さくらさくら さくらさきそめ さきおわり なにもなかった ようなこうえん)

 

作者と出典

この歌の作者は「俵万智(たわら まち)」です。

 

短歌界ではもちろん文学にあまり詳しくない人まで、日本ではほとんどの人が名前を知っていると言っても過言ではないくらい有名な歌人です。日常の出来事を分かりやすい言葉選びで表現した短歌は、親しみやすく、それでいて切り口が斬新で、今も多くの人の心を掴んでいます。

 

また、出典は『サラダ記念日』です。

 

1987年(昭和62年)5月に出版された第1歌集で、表題にもなった歌「サラダ記念日」は俵万智の代名詞にもなっています。出版されるやいなや280万部のベストセラーとなり、収められている短歌から合唱曲がつくられたり、いくつもの翻案・パロディ作品が出たりするなど社会現象となりました。

 

現代語訳と意味 (解釈)

この歌は現代語で詠まれているため、読み手がそのまま意味を捉えられるものです。

 

内容を噛み砕いて書き直すと、次のような情景を歌っています。

 

「桜が咲き始め、桜が咲き終わり(散ってしまうと)、何事もなかったようにいつもの公園に戻った」

 

では、語の意味や文法を確かめながら、この歌の真意を読み取っていきましょう。

 

文法と語の解説

  • 「さくらさくらさくら」

初句から2句にかけて「さくら」という言葉を平仮名で繰り返しています。「桜」は日本の国花です。ほとんどの種は春に咲き、淡紅色・白色などの花が日常を彩ってくれます。「さくらさくらさくら」の部分は、桜がめいっぱいに咲くようすを読者に想像させます。

 

  • 「咲き初め咲き終わり」

文字通り「咲き初め」「咲き終わり」と花の様子を表していますが、並べることで咲き始め~咲き終わりまでの桜の一生を描いています。つぼみが開き、満開になり、散っていくまでのようすがありありと想像できます。

 

  • 「なにもなかったような公園」

「なにもなかった」のあとに「ような」と比況の助動詞が続いています。本当に何もなかったわけではなく、「桜が咲いていたのに、まるで何もなかったようだ」という現在の様子を表しています。「公園」は言葉の意味としては「公衆のために設けられた庭園や遊園地」のことですが、この歌の場合は誰もが身近に感じられる、児童公園のような「どこにでもある公園」を指しているのでしょう。

 

「さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園」の句切れと表現技法

句切れ

句切れとは、歌の中の大きな意味の切れ目のことです。

 

この歌は三句切れです。

 

前半の三句までで「桜が咲き始め、咲き終わった」と、桜が咲いてから散ってなくなってしまうまでの様子が描かれています。ここで視点が切り替わり、四句と結句では「桜が咲いていたことが嘘のように、普段の公園に戻ってしまった」と桜が散って何もなくなってしまったあとの情景を描いています。

 

字余り

初句が「5音」になるところを「6音」にしています。

 

「さくらさくら」と言葉を重ねているために音数が多くなっています。

 

言葉を変えて定型に収めたりせずに「さくらさくら」、次の句でも「さくら」と繰り返すことで、景色いっぱいに広がる桜色の情景がより読み手に伝わってきます。

 

句またがり

「句またがり」とは、一つの句(5音・7音)の中に言葉がおさまらず、次の句へまたがって続くことを言います。

 

独特のリズムを生み出したり、言い回しが読み手の印象に残ったりする効果があり、現代短歌ではよく見られます。

 

この歌では4句から結句にかけて「なにもなかったような」という言葉がまたがっています。

 

反復法

反復法とは、同じ言葉や同じ句を何度も繰り返す技法のことです。

 

この歌では、「さくら」「咲く」「咲き」という部分です。同じ言葉を繰り返すことによって、この歌自体を強く読者に印象づける効果を生み出していると言えます。

 

体言止め

体言止めとは、文末を助詞や助動詞ではなく、体言(名詞・代名詞)で結ぶ表現方法です。

 

この歌は結句が「公園」という名詞で終わっています。

 

結句での体言止めは、読者にその後のイメージを広げさせる「余韻・余情を生じさせる効果」があります。

 

「さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園」が詠まれた背景

 

この歌が最初に収録されたのは第1歌集の『サラダ記念日』です。作者は当時24歳でした。

 

作者は大阪生まれですが、13歳で福井に転居しています。この歌が詠まれたとき、作者は東京に住んでいました。桜の歌がどの地での様子を詠んでいるのかは分かりません。

 

この歌を詠んだ背景について作者自身が取り立てて語ったことはありませんが、「桜の歌」については以下のように話しています。

 

歌人にとって桜の花というのは、画家にとっての富士山のようなもの。多くの先人に多くの名作を作らせた素材というのは、ちょっとやそっとの気構えでは立ち向かえない。下手をすると、歌人のほうが、桜にからめとられてしまうという恐さがある。(中略)

奇しくも、私も同じ「中央公論」から桜の短歌を依頼されたことがあるが、一カ月かかってやっと二首。それでも、へとへとになってしまったのを覚えている。

(引用:https://allreviews.jp/review/814)

 

俵万智は短歌を作るときに何度も何度も推敲を重ねるそうです。何気ない風景を詠んだ歌ですが、作者はここにたどり着くまでに相当な推敲を重ねたのではないかと思われます。

 

「さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園」の鑑賞

 

【さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園】は、桜の華やかさと咲き終わったあとの無常観や虚無感を詠んだ歌です。

 

冒頭の「さくらさくらさくら」。平仮名で重ねられる「さくら」の文字が、桜の花びらがたくさん重なって満開に咲いている景色を想像させます。そこから瞬く間に「咲き終わり」…桜が散っていく風景が目に浮かぶようです。

 

そして桜の花がなくなると、そこにはいつもと変わらない公園の風景だけが残ります。つい数日前まで華やかだった公園が、気づくといつもと変わらぬ風景に戻っている…桜の花が咲き、人々が喜び見上げていたことが嘘のようです。古典風に言う「もののあはれ」を、現代に生きる私たちもこの歌のようなときに感じるのですね。

 

たった30文字程度の中で、時のうつろいと寂しさ、虚しさを見事に表現した作者には「さすが」の一言です。

 

作者「俵万智」を簡単にご紹介!

 

俵万智は、現在も短歌界の第一人者として活躍する歌人です。

 

1962年に大阪府門真市で生まれ、13歳で福井に移住。その後上京し早稲田大学第一文学部日本文学科に入学しました。歌人の佐佐木幸綱氏の影響を受けて短歌づくりを始め、1983年には、佐佐木氏編集の歌誌『心の花』に入会。大学卒業後は、神奈川県立橋本高校で国語教諭を1989年まで務めました。

 

1986年に作品『八月の朝』で第32回角川短歌賞受賞。翌1987年、後に彼女の代名詞にもなる、第1歌集『サラダ記念日』を出版します。短歌になじみがなかった人にも分かりやすい表現が受け、瞬く間に話題を呼び、この歌集は260万部を超えるベストセラーになりました。『サラダ記念日』は第32回現代歌人協会賞を受賞しています。

 

高校教師として働きながらの活動でしたが、1989年に橋本高校を退職。本人曰く、「ささやかながら与えられた『書く』という畑。それを耕してみたかった。」とのことで、短歌をはじめとする文学界で生きていくことを選んだそうです。

 

その後も第2歌集『かぜのてのひら』、第3歌集『チョコレート革命』と、出版する歌集は度々話題となりました。現在(2021年)は第6歌集まで出版されています。短歌だけでなくエッセイ、小説など活躍の幅を広げ、芝居の脚本に挑戦したことも。現在も季刊誌『考える人』(新潮社)で「考える短歌」を連載中。また19966月から毎週日曜日読売新聞の『読売歌壇』の選と評を務めています。20196月からは西日本新聞にて、「俵万智の一首一会」を隔月で連載しています。

 

プライベートでは200311月に男児を出産。一児の母でもあります。

 

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