いにしえの時代から、日本人は五・七・五・七・七のしらべに心を込めて歌を詠んできました。
日本でいちばん古い和歌集は、奈良時代の終わりころに成立したとされる『万葉集』です。
今回は『万葉集』の中に収録されている「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」という歌をご紹介します。
『萬葉集』(4292)「大伴家持」 うらうらに 照れる春日(はるひ)に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば pic.twitter.com/ulBvEWgzEn
— ミラクル奇 (@togebe002) April 10, 2018
本記事では、「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」の意味や表現技法・句切れについて徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」の詳細を解説!
うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば
(読み方:うらうらに てれるはるひに ひばりあがり こころかなしも ひとりしおもえば)
作者と出典
この歌の作者は「大伴家持(おおとものやかもち)」です。『万葉集』の成立に大きくかかわったとされる歌人です。
(百人一首かるた読み札「中納言家持」 出典:Wikipedia)
この歌の出典は、『万葉集』(巻十九 4292)です。
『万葉集』は、奈良時代成立の日本最古の歌集とされます。全部で二十巻あり、十七巻から十九巻には大伴家持の歌が多く、私家集の様相を呈しています。こういったことから、大伴家持が『万葉集』編纂に大きくかかわったと言われます。
現代語訳と意味(解釈)
この歌の現代語訳は・・・
「うららかに春の日が照っていて、空高くひばりが上がっていく。一人で物思いにふけっているとなんとも悲しい気分になることだ。」
となります。
自分の心と向き合いながら春愁を詠う歌です。
文法と語の解説
- 「うらうらに」
「うらうらに」は副詞で、太陽が穏やかに照っている様子を言います。
- 「照れる春日に」
「照れる」は、動詞「照る」已然形「照れ」+完了の助動詞「り」連体形「る」です。
「春日」は、春の太陽です。
「に」は格助詞です。
- 「ひばり上がり」
「ひばり」は20センチメートル足らずの野鳥で、草原や河原に営巣します。春には、なわばりを知らせるために鳴きます。春の訪れを告げる鳥として親しまれ、鳴き声は春の風物詩でもあります。
「上がり」は動詞「上がる」の連用形です。
- 「心悲しも」
「悲しも」は形容詞「悲し」の終止形+詠嘆の終助詞「も」です。
- 「ひとりし思へば」
「し」は強意の副助詞です。
「思へば」は動詞「思ふ」の已然形「思へ」+順接の接続助詞「ば」です。
「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、一首の中で大きく意味が切れる箇所をいいます。普通の文でいえば、句点「。」がつくところで、読むときにもここで間をおいて読みます。
この歌は、四句目「心悲しも」で一旦意味が切れますので、「四句切れ」の歌です。
字余り
短歌は、五・七・五・七・七が定型です。それから外れるものを字余り(字数が多いもの)・字足らず(字数が少ないもの)といいます。
この歌は三句と結句において字数が多いため、字余りの句です。
うらうらに(5) てれるはるひに(7) ひばりあがり(6) こころかなしも(7) ひとりしおもえば(8)
ややリズムを崩し、春愁を印象的に表現しています。
倒置法
倒置法とは、普通の言葉の並びをあえて逆にして、印象を強める表現技法です。
この歌の「心悲しもひとりし思へば」は、普通の言葉の並びでいえば・・・
「ひとりし思へば 心悲しも」
(意味:一人で物思いにふけっていると、悲しい気分になることだ。)
となります。
しかし、倒置法を用い「心悲しもひとりし思へば」とすることで、春の物悲しい愁いを強調しています。
「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」が詠まれた背景
『万葉集』に記載されている詞書によると、この歌は「天平勝宝五年二月廿五日(てんぴょうしょうほう5年2月25日)」に作られた歌です。これは、旧暦の2月25日で、今の暦に直すと、3月28日にあたります。
つまmり、春も深まり、太陽はうららかに照り、花も咲き乱れ、生き物たちもいきいきと活動しはじめる時期です。
この歌は、巻十九の最後を飾る歌ですが、この歌も含めて巻十九最後の3首は、大伴家持の「春愁三首」と呼ばれる有名な歌です。
ちなみに、春愁三首の残りの二首は下記になります。
「春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鶯鳴くも」
(意味:春の野に、かすみが美しくたなびき、春は盛りの美しさだが、私は何やら物悲しく、夕ぐれの光の中の鶯の声を聞いていることよ。)
「我が屋戸のいささ群竹(むらたけ)ふく風の音のかそけきこの夕へかも」
(意味:私の家の庭のささやかな竹の葉群に吹く風の音がなんとも繊細に聞こえてくる春の夕べであることよ。)
春愁三首は、春の愁いをこまやかな感覚で歌った歌として高く評価されています。
「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」の鑑賞
この歌は、うららかで明るいエネルギーに満ちた春の景色と裏腹に抱える愁いを詠んだ、内省的で繊細な歌です。
上の句からは、うららかな春の日、青空に高く舞い上がって楽し気にさえずるひばり、芽吹き成長していこうという木々や草花の息吹が感じられます。
しかし、作者の心はウキウキとはしていません。辺りの明るい景色とは裏腹に、物悲しさを抱え、一人物思いにふけっているのです。
『万葉集』には、相手に呼びかけるための歌や、自らの主張や思いを高らかに歌い上げる歌が多いですが、この歌はあくまでも自分の物悲しさに焦点が当てられ、内省的な印象です。
こうした繊細な感覚は、平安王朝の和歌文化へもつながるものでした。
作者「大伴家持」を簡単にご紹介!
(大伴家持 出典:Wikipedia)
大伴家持(おおとものやかもち)は、奈良時代の貴族であり、歌人です。生年は、養老2年(718年)頃と言われ、没年は延暦4年(785年)です。
官僚として、各地を歴任しながら、歌人としての地位も確立していた人物です。都での生活ばかりではなく、地方に赴任することもありました。越中(富山県)の国司として、越中に暮らしたときは、都にはない風物を好んで歌に詠んでいました。
また、防人(さきもり。古代の中国、唐が攻めてくることに備えた、九州の沿岸防備のための兵士。)に関わる役職についていたこともあり、東国(関東地方)から徴兵された防人たちの歌を蒐集したりもしていました。
『万葉集』には、全体の歌数の一割を超える500首近い歌が収められています。『万葉集』の編纂、成立に大伴家持が大きくかかわっているといわれてはいますが、詳しいことはわかっていません。
延暦4年(785年)、60代で大伴家持は没しました。しかし、大伴氏が関与したとされる暗殺事件が起こり、すでに亡くなっていた家持も連座、埋葬も許されず、官職からも除籍されました。その後20年あまりして、恩赦によって復位せられました。『万葉集』成立の過程がつまびらかでないことも、このあたりの政争に絡んで、編纂の事情を家持の名前とともに明らかにしづらかったのではないかともいわれています。
「大伴家持」のそのほかの作品
- 春の苑紅にほふ桃の花したでる道に出で立つ乙女
- 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鶯鳴くも
- 我が屋戸のいささ群竹(むらたけ)ふく風の音のかそけきこの夕へかも
- 新(あらた)しき年の始めの初春のけふ降る雪のいや重(し)け吉言(よごと)
- かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける