【芥川龍之介の有名短歌 20選】日本を代表する文豪!短歌の特徴や人物像・代表作など徹底解説!

 

日本を代表する文豪・芥川龍之介。

 

「羅生門」や「蜘蛛の糸」など、普段本を読まない方にも耳馴染みのある有名作品を数多く生み出しました。小説家として名を馳せている芥川ですが、実は俳句や短歌の創作も行っています。

 

 

今回は、小説から滲み出る教養やユーモアとはまた違う、より真っ直ぐでいじらしさすら感じる、芥川龍之介の人間味溢れる短歌をご紹介します。

 

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ぜひ一緒に鑑賞してみましょう。

 

芥川龍之介の人物像や作風

(芥川龍之介 出典:Wikipedia

 

芥川龍之介は、1892年(明治25年〉東京生まれ、短編を得意とした小説家です。

 

無駄の無い文章でテンポも良く、描写表現が非常に巧みなその作品は、人間のエゴイズムや醜さを主とし、今日まで評価され続けています。

 

「今昔物語集」「宇治拾遺物語」など説話文学をモチーフにすることもあり、その教養の広さには定評があります。

 

そんな芥川ですが、私生活では恋多き男性だったと言われており、実際に小説、特に短歌には多くの女性たちが描かれています。

 

 

既婚者となった後にも恋慕う女性は居たようで、「恋愛と夫婦愛とを混同しては不可ぬ」という題の随筆を世に送り出しているほどです。

 

芥川は文才や教養に加え、端麗な容姿、様々な要素を持ち合わせており、羨まれる存在でした。

 

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しかし、家庭環境や神経衰弱など過酷な日々を過ごした末に、35歳で睡眠薬による服毒自殺をしたと言われています。

 

(1927年頃の芥川龍之介 出典:Wikipedia)

 

芥川龍之介の有名短歌・代表作【20選】

 

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ここからは、芥川龍之介のおすすめ短歌を20首紹介していきます!

 

芥川龍之介の有名短歌【1〜10首

 

【NO.1】

『 二日月 君が小指の爪よりも ほのかにさすは あはれなるかな 』

【意味】糸のように細い二日月の光が君の小指の爪よりも仄かに差し込んでいる、君を恋しく思う。

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二日月(ふつかづき)は別名「繊月(せんげつ)」とも呼ばれ、字の通り繊維のように細い月を指します。

縁側に二人並んで腰をかけ、手をついた彼女の小指と自分の体との間を遮るように二日月の細い光が仄かに差し込んでいる様子…。「二日月の糸筋ほどしかない光でさえ届くというのに彼女は遠い」と嘆いた果てに詠んだものだったのかと想像したなら、「あはれなるかな」に詰められた虚しさと恋慕の情が伝わってきます。

【NO.2】

『 かなしみは 君がしめたる 其宵の 印度更紗の 帯よりや来し 』

【意味】この悲しみは、あの宵に君が締めた印度更紗の帯から来たものだろうか。

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心を締めつける悲しみを相手の締めた帯のせいかと詠んだ、相手への焦がれが伝わってくる歌です。

歌中に出てくる更紗(さらさ)は、絹や木綿に模様を染めたインド発祥の布製品を指します。異国情緒あふれる鮮やかな色彩と模様が特徴で、江戸時代ではお洒落通に喜ばれ、明治でも生産量が増えたと言われています。

【NO.3】

『 其夜より 娼婦の如く なまめける 人となりしを いとふのみかは 』

【意味】その夜から娼婦のように艶かしくなった人を嫌だと思うだけだろうか、いやそうとも言い切れない。

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一夜を愛し合う前の無垢な彼女と、一夜を明かした後の妖艶になった彼女とが合致せず複雑な心境を抱く様子が表れています。恋い慕ってきた純粋な女性を喪失した悲しみはあるものの、彼女に対する愛は残っていたのでしょう。

【NO.4】

『 香料を ふりそゝぎたる ふし床より 恋の柩に しくものはなし 』

【意味】香りを振りまいた寝床よりも恋の棺と呼ぶに相応しいものはない。

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恋に溺れるとはよく言いますが、骨ごと埋め二度とは戻れない表現として「柩」を使う皮肉、その巧みさに文豪と呼ばれる所以を感じさせられます。恋愛における雰囲気作りの概念が当時にも存在していたこと、そして、芥川がどれほど恋に翻弄され、また虜になってきたかが窺い知れます。

【NO.5】

『 うかれ女の うすき恋より かきつばた うす紫に 匂ひそめけむ 』

【意味】浮かれた女性の浅く薄い恋よりも薄い紫の杜若が咲き始めた。

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「うかれ女」を「浮かれた女性」、「うすき恋」を「浅薄な恋」として訳しましたが、実は古文上での「うかれ女」は「遊女」の意味も持ち合わせています。その場合には、

「遊女の(叶わない)淡く儚い恋よりも淡い、薄紫色の杜若が咲き始めた」          

といった物悲しさを感じさせる歌とも読めます。文豪らの悪口をまとめた書籍が一時話題となり、歌人や詩人とは違う文豪のような毒のある言い回しであると今回は捉えましたが、実はもっと繊細な作品であったかもしれません。

【NO.6】

『 麦畑の 萌黄天鵞絨芥子の花 5月の空に そよ風の吹く 』

【意味】麦畑に広がる萌黄色、天鵞絨色、芥子の花。五月の空にそよ風が吹いている

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萌黄は春に萌え出る草の芽の黄緑色を、天鵞絨は「びろうど」と読み、ビロード生地のような深い青緑色、また織物の一種であるベルベットを指します。そして、芥子の花は、赤、白、黄、薄紫など様々な色合いの花弁を持つ植物です。

心情の吐露が多い彼の作品には珍しい風景描写の歌ですが、青々とした爽やかな情景の中にもどこか儚げで物思いに耽っている姿が見えるような気がします。

 

【NO.7】

『 幾山河 さすらふよりも かなしきは 都大路を ひとり行くこと 』

【意味】幾つもの山や河をさすらうより悲しいのは、都の大通りを一人で行くことである。

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若山牧水の詠んだ歌に

「幾山河(いくやまかわ) 越え去り行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」

というものがあります。これは「幾つかの山や川を越えたなら寂しさの果てる国へと行けるものだろうか(いや、叶わないだろう)、そう思いながら今日も旅を続ける」といった意味で、芥川はこの歌を踏まえて詠んだのではないかと言われています。

【NO.8】

『 春漏の 水のひゞきか あるはまた 舞姫のうつ とほき鼓か 』

【意味】春の水の響きか、あるいは遠くで舞う踊り子の鼓の音色か。

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春になると、雪解けにより川や池などの水かさが増していきます。徐々に勢いを増すその水の流れを聞き、「遠くで踊り子の打つ鼓の音色と区別がつかないほどだ」と活気溢れる春の訪れる様を表現しています。

【NO.9】

『 ほのぐらき わがたましひの 黄昏を かすかにともる 黄蝋もあり 』

【意味】仄暗く沈んだ私の、黄昏のように翳っていく魂を、黄蝋がかすかに灯している。

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黄昏と黄蝋、「黄色」を含む2つの言葉が出てきますが、一口に同じ色と言っても色合いが全く異なります。

黄昏の今にも翳りそうなオレンジ色は深く沈んだ心情を表すために、黄蝋の少しくすんだ愛らしい黄色はそれを照らす微かな光を表すために使われています。

絶望と希望の対比、そして芥川自身の色彩感覚が垣間見えます。

【NO.10】

『 憂しや恋 ろまんちつくな少年は 日ねもすひとり 涙流すも 』

【意味】辛い恋に耐えかねて、ロマンチックな少年は朝から晩まで泣いている。

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芥川は恋多き男としても知られており、身分の違いや親族の反対により打ち破れた恋が幾つかあったそうです。悲恋はいずれも青年時代のエピソードですが、愛する女性への熱烈なラブレターなどからロマンチストな一面が窺い知れるため、秘匿してきた少年時代の辛い記憶、あるいは年齢を超えて抱いていた感情を少年に投影した歌なのかもしれません。

芥川龍之介の有名短歌【11〜20首

【NO.11】

『 美しき 人妻あらむ かくてあゝ  わが世かなしく なりまさるらむ 』

【意味】美しい人妻が居るであろう(恋してはならないと分かっていてもあの人に恋をせずにはいられない)、こうして私の人生はますます悲しくなってゆくばかりであろう。

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この歌は、千葉県一宮町にある「芥川龍之介愛の碑」に記されています。当時、芥川は恋慕っていた吉田弥生という女性と相愛の仲になりましたが、親族の猛反対から生涯を添い遂げることは叶いませんでした。芥川の落胆する姿を見かねた彼の親友・堀内利器の誘いで一宮で過ごすこととなりますが、滞在中にも彼女への想いは深くなるばかりで、この悲恋を綴ったと言われています。

【NO.12】

『 いつとなく いとけなき日の かなしみを われにおしへし 桐の花はも 』

【意味】いつまでも幼い頃のかなしみを私に思い出させる桐の花よ。

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弥生への想いを断ち切れずに詠んだ作品と言われています。川端康成の小説集「掌の小説」に、「別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。」という一節が出てきます。桐の花と弥生が結びついていた芥川にとって、まさにこの呪いは生涯苦しむ要因になったことでしょう。

【NO.13】

『 いととほき 花桐の香の そことなく おとづれくるを いかにせましや 』

【意味】遠くから桐の花がどこからともなく香ってくるのをどうしたら良いのだろうか。

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前述の歌と同様、こちらも弥生への想いを詠んだものと言われています。香りは記憶を呼び起こす起爆剤になると言いますが、桐の花を見る度嗅ぐ度に芥川も辛い思い出に悩まされていたかもしれません。

【NO.14】

『 うつゝなき まひるのうみは砂のむた 雲母のごとくまばゆくもあるか 』

【意味】夢心地に、陽に照らされ揺らぐ真昼の海は砂浜の砂も手伝って雲母のように眩く思える。

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雲母(うんも、きらら)とは、カリウムを主成分とするケイ酸塩鉱物の総称のことを言います。日本人には古くから馴染みのあるもので、浮世絵版画に光沢を出す材料として用いられていたそうです。鉱物の輝きから海の眩さを表現するその文才は、小説家ならではですね。

【NO.15】

『 すがれたる 薔薇をまきて おくるこそ ふさはしからむ 恋の逮夜は 』

【意味】枯れ始めた薔薇の花を撒き散らし、潰えたこの恋の逮夜を一人で送るのが相応しい。

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逮夜(たいや)は葬儀の前日や忌日の前日のことを言います。叶わなかった恋心のために逮夜を行い、末枯れた薔薇を撒き散らして供養する描写からは芥川の繊細でロマンチストな一面が窺えます。

【NO.16】

『 広重の ふるき版画の てざはりも わすれがたかり 君とみればか 』

【意味】歌川広重の古い浮世絵の版画の手触りも忘れがたいものになっている、君と見たからだろうか。

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歌川広重は、浮世絵師の中でもリアルな絵を描く写実的作風で知られています。一方で、芥川は広重とは対照的な残酷で迫力のある作風の月岡芳年(つきおかよしとし)の愛好家でありました。版画の手触りそのものの退屈さをこの歌で引き合いに出しただけかもしれませんが、恐らく芥川の趣向ではない「退屈に思える歌川広重の絵の手触りであっても、愛する君と見たことで忘れがたいものになった」という皮肉な表現だったのかもしれません。

【NO.17】

『 初夏の 都大路の夕あかり ふたゝび君と ゆくよしもがな 』

【意味】夕暮れ後の薄明るく照らされた初夏の都の大通りへ、君とまた行けたなら良いのに。

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夕暮れ時を「逢魔が時(おうまがとき)」と言い、字の通り「魔物や妖怪に出会す不吉な時刻」を表します。日没後には大きな災いが起きるという当時の迷信が由来だそうですが、今は叶わぬ思い人との記憶を呼び覚まされるこの刻は、確かに芥川にとっての逢魔が時だったのかもしれません。

【NO.18】

『 片恋の わが世さみしく ヒヤシンス うすむらさきに にほひそめけり 』

【意味】片思いの私の人生は寂しく、その寂しさを映すようにヒヤシンスは薄紫に香り始めた。

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ヒヤシンスを使って詠んだ歌は芥川だけでなく、北原白秋の作品にも残っています。「ヒヤシンス 薄紫に 咲きにけり はじめて心 ふるひそめし日」というもので、白秋は初恋によって心の奮える様を詠んでいます。同じ花でも対照的なその表現に、芥川の歌がより切なさを帯びて見えます。

【NO.19】

『 病室の 窓にかひたる 紅き鳥 しきりになきて 君おもはする 』

【意味】病室の窓辺で飼う紅い鳥が鳴く度に君のことが思い出される。

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赤い鳥の美しい声に女性の影を見たのか、しきりに鳴く様が似ていたのか、何をきっかけに「君おもはする」に至ったかは定かではありません。病床に臥し、心身共に衰弱した芥川にとって唯一の景色である病室でも、思い出すのはいつも愛する女性であり、そこからは痛いまでの愛情が伝わってきます。

【NO.20】

『 五月来ぬ わすれな草も わが恋も 今しほのかに にほひづるらむ 』

【意味】五月が訪れた。わすれな草が咲き綻ぶように私の恋も今まさに、微かに香りを漂わせているようだ。

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悲恋や嘆きを詠うことの多い芥川ですが、この歌では五月の訪れに自身の恋心を重ねています。

花言葉が日本に輸入されたのは明治初期頃のため、その文化が当時どこまで認知されていたかは不明ですが、青いわすれな草には「真実の愛」という意味があるそうです。知ってか知らずか、彼にとっての真実の愛であったことは間違いなさそうです。

 

以上、芥川龍之介が詠んだ有名短歌20選でした!

 

 

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今回は、芥川龍之介の詠んだ短歌20首をご紹介しました。
小説に比べるとあまり表に出ることのない短歌作品ばかりですが、小説家・芥川龍之介とはまた違った姿が見られたのではないでしょうか。