【海鳥の風にさからふ一ならび一羽くづれてみなくづれたり】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど

 

人や自然への溢れる思いを詠みこみ、近代短歌史に偉大な足跡を残した歌人「若山牧水」。

 

彼の詠む短歌は、流れるような韻律の良さが特徴で、今なお人々に愛誦されている歌が数多くあります。

 

今回は、牧水の残した名歌の中から「海鳥の風にさからふ一ならび一羽くづれて見なくづれたり」をご紹介します。

 

 

本記事では、「幾海鳥の風にさからふ一ならび一羽くづれて見なくづれたり」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「海鳥の風にさからふ一ならび一羽くづれてみなくづれたり」の詳細を解説!

 

海鳥の 風にさからふ 一ならび 一羽くづれて みなくづれたり

(読み方:うみどりの かぜにさからう ひとならび いちわくづれて みなくづれたり)

 

作者と出典

この歌の作者は「若山牧水(わかやまぼくすい)」、出典は『山桜の歌』です。

 

若山牧水は明治期から昭和時代前期にかけて活躍し、旅と酒と自然を愛した歌人として知られています。

 

苦境や孤独に苦しみながら、その時々に沸き起こる思いや情景を独自の世界観で表現し、自然文学主義としての短歌を追及しました。

 

平易で親しみやすい牧水の歌はたちまち人々の胸を打ち、文芸に親しむ人たちだけでなく庶民の心にも広く浸透していきました。

 

現代語訳と意味(解釈)

この歌を現代語訳すると・・・

 

「海鳥が風に逆らうように一列をなしている。風にあおられ一羽が崩れたとおもうと、全部が崩れてしまったことだ。」

 

という意味になります。

 

風上に向かって整然と列をなしていた海鳥の群れが、一羽崩れたことをきっかけにバランスを失い、全ての隊列が崩れてしまった瞬間を詠んだ歌です。海鳥を題材に、荒涼とした虚無感を韻律豊かに表現しています。

 

文法と語の解説

  • 「海鳥」

カモメやウミネコなど海辺に生息する鳥を指しています。

 

  • 「くづれたり」

「崩(くづ)る」の連用形「崩れ」+完了の助動詞「たり」がついた形で、「崩れてしまった」の意味です。

 

「海鳥の風にさからふ一ならび一羽くづれてみなくづれたり」の句切れと表現技法

句切れ

句切れとは、意味や内容、調子の切れ目を指します。歌の中で、感動の中心を表す助動詞や助詞(かな、けり等)があるところ、句点「。」が入るところに注目すると句切れが見つかります。

 

この歌は、三句目までが主部、四句目以降は述部の構成になっているため、句切れはありません。

 

海鳥の見事な集団行動があっという間に崩れていく瞬間の出来事を、途切れることなく一息で歌い上げています。

 

繰り返し(リフレイン)

繰り返し(リフレイン)とは、一首の中で言葉を繰り返し用いる表現技法のことを言います。

 

三十一文字の中で同じ言葉を使うため、伝えられる情報量が少なくなりますが、感情の高ぶりや思いを強調し、リズムにメリハリが生まれるといった効果があります。

 

この歌には、次のふたつの点で繰り返しの技法が用いられています。

 

①「一」ならび・「一」羽

「一」という漢字を重ねることで、視覚的な反復を表現しています。また、数詞のもたらす効果をうまく取り入れ、海鳥の群れが一列に並んでいたものが、一羽から総崩れしていく様子をダイナミックに描写しています。

②「くづれ」て・みな「くづれ」たり

「くづれ」という語を重ね、視覚的かつ音声的な反復で、短歌としてのリズムを整えています。

 

「海鳥の風にさからふ一ならび一羽くづれてみなくづれたり」が詠まれた背景

 

東京での繁雑な生活に疲れ果てた牧水は、大正9年(1920年)8月に田園生活に魅せられ一家をあげて沼津へと移住します。とりわけ青々と茂る千本松原の景観をこよなく愛し、海辺の風景を眺めては多くの歌を詠みました。

 

この歌も大正10年(1921年)夏、牧水36歳の時に「雑詠」と題して詠んだ作品群のひとつです。

 

当時住んでいた沼津市南部にある漁業地区の静浦で詠んだ歌でした。

 

海鳥と聞くと、牧水初期の代表歌である次の歌を彷彿とさせるものがあります。

 

【白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ】

 

この歌に詠まれている白鳥は、空や海の青にも染まることなく凛とした姿でその白さを輝かせていました。そんな姿に青春の孤独と哀歓を重ね、作者の感傷性を溢れんばかりに詠みこんでいます。

 

しかし、「海鳥の・・・」の歌はというと、牧水の歌の特徴でもあった感傷性は排除され、海鳥の群れが崩壊していく様を客観的に描写しているのです。

 

こうした表現方法からもわかるように、後期の牧水は韻律豊かな自然詠へと傾斜していきました。

 

「海鳥の風にさからふ一ならび一羽くづれてみなくづれたり」の鑑賞

 

この歌は、瞬時に崩れていく様子を冷静に観察して描写する、牧水後期の特徴が如実に表れた歌です。

 

海の青に美しく映える白い海鳥の群れは、風上に向かってぴったりと一列に並んでいます。海の上を飛んでいるのか、もしくは岸壁に並んでたっているのでしょうか。それぞれが踏ん張り支えあいながら風に耐えていましたが、たった一羽バランスを崩してしまいます。

 

すると連鎖するかのように、整然としていた群れの列があっという間に崩壊していきます。その様子はおかしくもあり、憐れでもあり、読後は何とも形容しがたい虚無感に包まれているようです。

 

些細なほころびから漠然とした秩序を無秩序へと変化する様を、優しく受容する視線で歌い上げています。

 

感傷性を取り除きつつも、すべてが無に帰していく瞬間にこそ、生きることの儚さや哀しさがあることを伝えているのかもしれません。

 

作者「若山牧水」を簡単にご紹介!

(若山牧水 出典:Wikipedia)

 

若山牧水(18851928)は宮崎県の生まれで、医師の息子として生まれました。本名「繁(しげる)」といい、牧水の由来は、母の名(マキ)と生家の周りにある渓流からとったものです。

 

美しく豊かな坪谷で生まれ育った牧水は、学校から帰ってくると山にでかけてはキノコやタケノコを採るなど、大自然を相手に遊んでいました。こうした幼少期の生活が牧水の感性を育み、自然観や歌風にも大きな影響を与えています。

 

成績遊集で文学の才能を早くから評価されていた牧水は、中学の頃から新聞や文芸雑誌などに短歌を投稿しはじめ、その数五百首を超えるほどでした。

 

早稲田大学文学部に入学後は、同級生の北原白秋・中林蘇水と親交を深め、本格的に文学の道へ進むことを決断します。卒業と同時に第一歌集『海の声』を出版しますが、当時は期待通りには売れなかったようです。

 

1909年7月、中央新聞社へ記者として入社するも5ヵ月後に退社。尾上柴舟の門に入りました。1910年に出版した第三歌集『別離』では、等身大で綴った切ない恋の歌を詠み、人々に高い共感を得て歌壇の花形歌人となりました。

 

明治中期以降、与謝野晶子を代表とする浪漫主義の短歌が絶大な人気を博す一方、牧水は時代や流行に左右されることなく自然文学主義を貫きました。

 

「漂白の歌人」とも呼ばれていた牧水は、各所で歌を詠み、今でも日本全国に約300基もの歌碑が残されています。その数は歌人の中でも最も多く、牧水がいかに旅を愛していたか、また世の人々から親しまれた歌人であったかがうかがえます。

 

しかし晩年は、借金返済のための揮毫旅行を余儀なくされました。出版事業に失敗したことに加え、沼津に新築した自宅建設費用により多額の借金を抱えた牧水は、北海道や東北など縁遠い地も足繁く出かけています。

 

こうした苦行が死期を早めたともいわれており、43歳の若さでこの世を去りました。幾度となく訪れる苦境に苦しみながらも、文学に生涯を捧げ、約9000首もの秀歌をこの世に残しています。

 

「若山牧水」のそのほかの作品

沼津市の若山牧水記念館 出典:Wikipedia

 

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