「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」
国語は苦手だけど「銀」「金」「玉」のならびをうっすら記憶している、という人もいるかもしれませんね。
こちらは、『万葉集』に収録された、山上憶良の歌です。
銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも(万葉集) pic.twitter.com/eZjEV2OQfP
— ℛ (@_remilion) February 27, 2016
「銀も…」は、子どもへの慈しみを感じられる歌です。しかし、この歌だけをもって、「子どもはなによりの宝だ」と言っているわけではありません。
今回はそのようなことも含めて、「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」の意味や表現技法・句切れなど徹底解説し、鑑賞していきます
目次
「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」の詳細を解説!
銀も 金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも
(読み方:しろかねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも)
作者と出典
この歌の作者は、「山上憶良(やまのうえ の おくら)」です。憶良は、飛鳥時代後期~奈良時代前期の役人・歌人です。
彼の歌は、仏教などの影響を受けています。また、家族愛や貧困、病気など、社会を鋭く観察したものが多いのが特徴です。
この歌の出典は、『万葉集』です。
『万葉集』は、現存するなかでは日本最古の和歌集です。はっきりした成立年は不明です。収録されているなかで最も新しい歌が天平宝字3年(759)・大伴家持のものです。そのため、完成したのはそれ以降ということになります。
『万葉集』は、舒明天皇から淳仁天皇の時代まで、約130年間の長歌・短歌・旋頭歌・仏足石歌などが収められています。その数4500以上にのぼります。天皇や貴族階級、農民に至るまで、様々な身分の人が詠んだ歌があるのが特徴です。
『万葉集』は、「令和」の元号の由来として、2019年には大いに話題になりました。
現代語訳と意味(解釈)
この歌を現代語訳すると・・・
「銀も金も宝石も、どうしてそれらより優れている子ども(という宝)に及ぶだろうか。いや及ぶまい。」
という意味になります。
金銀よりもずっと尊い宝である時代が移り変わろうとも変わらない「親の愛情」ですね。反語表現を巧みに使い、より強く読者に訴えかけています。
文法と語の解説
- 「銀も」
「銀」は、「しろかね」と読みます。「しろがね」と、濁点を付けて発音するのは近世以降となります。
「も」は係助詞です。
- 「金も玉も」
「金」は、「くがね」と読みます。後に「こがね」へと読みが変わる語です。「玉」とは、「宝石類」を表します。
ここで使われている「も」は、いずれも係助詞です。
- 「何せむに」
「何せむに」は、「どうして」を意味する副詞です。また、「どうして~だろうか、いや、~ない」という意味があります。ここでは後者の意味が使われています。
品詞分解すると、代名詞「何」+「せ」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形+格助詞「に」となります。
- 「まされる宝」
「まさる」の已然系「まされ」+存続の助動詞「る」の連体形です。
- 「子にしかめやも」
「に」は格助詞。「しかめやも(及かめやも)」は、「及ぶだろうか、いや及ばない」という意味です。
「しく」の未然形+推量の助動詞「む」の已然形+反語を表す係助詞「やも」です。
「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」の句切れと表現技法
句切れ
「銀も…」には、「句切れなし」と「三句切れ」の解釈があります。
三句切れの場合は、「何せむに」を「何になろうか」と訳し、句切れとします。
この場合の現代語訳は・・・
「銀も金も宝石も何になろうか。いかにすぐれた宝も子どもという宝に及ぼうか、いや及ばない。」
となります。
以上のように読み手によって句切れの解釈が異なる作品になっています。
反語表現
表現技法として挙げられるのは、「しかめやも」の反語表現です。
反語とは、断定を強調するために、言いたいことと反対の内容を疑問の形で述べる表現技法です。
「やも」を巧みに使って、「及ぶだろうか、いや及ばない」と前の部分を強く否定しています。
「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」が詠まれた背景
実は、この歌「銀も金も玉も何せむ…」は単体の和歌ではありません。「子等を思ふ歌」という作品の一節なのです。
「子等を思ふ歌」の構成は、「序文、長歌、反歌(短歌)」の順になっています。
序文では以下ののように語られています。
「釈迦という聖人ですら、子どもを愛する心がある。ましてや私たちの誰が子を愛さないだろうか。」
次に、長歌について見てみましょう。長歌では以下のような歌が詠まれています。
「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いずくより 来たりしものぞ まなかひに もとなかかりて 安眠し寝さぬ」
(現代語訳:瓜を食べれば子どもたちのことが思い出され、栗を食べればさらに子供たちのことが偲ばれる。子どもたちの面影はいったいどこから来るのだろうか。目の前にしきりにちらついて、私を安眠させないことよ。」
長歌において子どもとは、しきりに思い出してしまい気になって仕方のない存在。ろくに眠れないほどに思い起こされる存在。決して、いい意味では捉えていませんね。
そして次にくるのが反歌「銀も金も玉も何せむ…」です。
「銀も金も玉も何せむ…」は、長歌に対して子どもの尊さを説く内容となっています。
かつては、現代よりもたくさんの子どもが亡くなっていました。それだけに子どもを想う気持ちは、現代人以上に重みのあるものだったのでしょう。
「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」の鑑賞
この歌には、憶良独特の優しさがにじみ出ています。
どんな宝よりも、子どもが一番だという気持ちは、子をもつ親なら痛いほど分かるでしょう。
お伝えした通りこの歌は、決してストレートな愛情の歌ではありません。
長歌は、「何をしていても子どものことばかり思い浮かんでしまう」と、ややマイナスな印象です。これは単純な愛情からくるものではなく、子どもが気がかりで心配な存在としての側面もふまえた複雑な気持ちです。
これに対し、反歌つまり「銀も…」では「子はなによりの宝だ」と強く訴えます。
序文・長歌・反歌と一連の流れがあってこそ、主張に強い説得力をもたせることができたのです。
また、長歌と短歌における単語の対比も重要です。長歌での「瓜」「栗」が、短歌で「銀」「金」「玉」と、高貴なものへ変わっています。これは子どもの存在がマイナスなものからプラスなものへ変わったことを表しています。
「子等を思ふ歌」は序文で、釈迦と衆生の聖と俗の対比、その共通点について語られています。そこで、子を愛することを肯定し、長歌でマイナス面を挙げたかと思えば、ラストの短歌で、やはり子どもへのプラスの感情を押し出しました。
こうして全体を見ると、「銀も…」の味わいも変わってくるのではないでしょうか?
作者「山上憶良」を簡単にご紹介!
山上憶良(やまのうえ の おくら)の生没年・出自ははっきりしていません。ただ、飛鳥・奈良時代の役人・歌人・詩文家として活動していたことは分かっています。
大宝元年(701)、記録官として唐へ渡り、5~6年後に帰国しました。
その後も伯耆守(現・鳥取県)、筑前守(現・福岡県)を歴任するなど、精力的に働いていたようです。
主な作品はここで紹介した「子等を思ふ歌」、農民の貧困を描写した「貧窮問答歌」です。
その歌風は、人間味のある質実なものです。貧困や病などの人生苦や、人間愛をテーマに、思想性の強さが目立ちます。
風物・恋愛を歌ったものが多い万葉集において、憶良ほど自分の思想をはっきりと表現した人は他にはいないとされています。
その点で、憶良という人物は注目に値すると、歌人・岡野弘彦は述べています。
ほら、山上憶良が時速数十キロで走ってるぜ。
額田王と柿本彦摩呂と大伴家持も中臣鎌足もいたよ pic.twitter.com/nM920dfulw
— 茶露 コミティア131 た47b (@chaloillust) June 10, 2014
「山上憶良」のそのほかの作品
- 「白波の 浜松が枝の 手向けぐさ 幾代までにか 年の経ぬらむ」
- 「家に行きて いかにか我がせむ 枕付く 妻屋寂しく 思ほゆべしも」
- 「常磐なす かくしもがもと 思へども 世の事なれば 留みかねつも」
- 「大伴の 御津の松原 かき掃きて 我れ立ち待たむ 早帰りませ」
- 「霞立つ 天の川原に 君待つと い行き帰るに 裳の裾濡れぬ」