古典文学の時代から日本に伝わる詩のひとつに短歌があります。
五・七・五・七・七の三十一文字で自然の美しい情景を詠んだり、繊細な歌人の心の内をうたい上げます。
今回は、浪漫派の歌人として、女性の恋愛感情や官能をおおらかに詠い上げた革新的な女流歌人、与謝野晶子の歌「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」をご紹介します。
やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
与謝野晶子『みだれ髪』より
昔の女性が 作ったとは想えないほど 情熱的で素敵ですね…#里紗 ひとり歌会 pic.twitter.com/6Puns8lpdy
— りさ♪ (@Risananatea) January 9, 2014
本記事では、「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」の詳細を解説!
やは肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君
(読み方:やわはだの あつきちしおに ふれもみで さびしからずや みちをとくきみ)
作者と出典
この歌の作者は「与謝野晶子」です。「男女七歳にして席を同じうせず」という風潮の中、激しい恋心、官能を歌にして、浪漫派の歌人として名を成した女流歌人です。
この歌の出典は『みだれ髪』。
明治34年(1901年) に刊行された、与謝野晶子の処女歌集。女性の恋愛感情を率直に表現した斬新な作風は、当時賛否両論を巻き起こしました。
現代語訳と意味 (解釈)
この歌を現代語訳すると・・・
「この私の柔らかい肌の熱い血のたぎりに触れてもみないで、さびしくはないのですか?人の道を説いているあなた。」
という意味になります。
「目の前にいる男性が作者に向けて、熱く人の道を語っている。しかし、私が欲しているものはそんなものではない。この私の内にどんな想いが秘められているのか、あなたは知らないのですか?」と訴える、胸にたぎる想いを表現した歌だと解釈できます。
情熱的な晶子の人柄から考えると、一見ストレートな表現と思えるこの句も、かなり抑制が効いた句となっています。
つまり、受け手である「君」にのみ、その裏に隠された情熱の炎が伝わる、メッセージ性の強い作品だと言えるでしょう。
文法と語の解説
- 「やは肌の」
「やは肌」は、若い女性のやわらかい肌のことです。この句の「の」は連体修飾格の格助詞です。
- 「あつき血汐に」
「あつき」は、「熱い」という意味の形容詞。「血汐」は、現代の表記では「血潮」と表されることが多いです。「に」は動作の対象を表す格助詞です。「あつき血汐に」で「熱い血のたぎりに」という意味となり、「情熱」の比喩表現だと解釈できます。
- 「触れもみで」
「触れ」は、動詞「触れる」の連用形です。「も」は係助詞。「みで」は、補助動詞「みる」の連用形に、打消の接続助詞「で」を添えたもの。「触れもみで」で「触れることもしないで」という意味。
- 「さびしからずや」
「さびしから」は、形容詞「さびし」の未然形です。「ず」は打消の助動詞。「や」は疑問の係助詞。「さびしからずや」で「さびしくはないのですか」という意味。
- 「道を説く君」
「道」は、人の守るべき義理、教えのことです。「を」は動作の対象を表す格助詞です。
「説く」は動詞。「君」は「あなた」という意味。「道を説く君」は、与謝野晶子本人の注釈によると、「道学者諸君」という意味だそうです。現代の表現にすると「道徳を大事にする人」といったところでしょうか。
「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、一首の中での大きな意味上の切れ目のことで、読むときもここで間をとると良いとされています。
この歌は「さびしからずや」の「や」のところで一旦文章の意味が切れます。四句目で切れていますので、「四句切れ」の歌となります。
表現技法
表現技法として目立つような技法は用いられていません。
「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」が詠まれた背景
明治33年 (1900年)、歌会で与謝野鉄幹と知り合った晶子は、鉄幹が創立した新詩社の機関紙『明星』に短歌を発表していました。
そして、翌年に、初の歌集『みだれ髪』を刊行します。
(※この句集に「やは肌のあつき…」の歌が収められています)
当時、鉄幹は既婚者でしたが、晶子と交際。晶子は、家出同然で鉄幹のもとに走り、『みだれ髪』刊行後に、妻と別れた鉄幹と結婚しました。
このことから、「道を説く君」の「君」は鉄幹であるとの説が有力です。
鉄幹の女性遍歴の激しさは有名で、女学校の教師時代に教え子に手を出し、退職。その後、また別の生徒と恋愛関係になり結婚しました。その後、晶子と再婚。
一方、晶子は愛に一途な女性で鉄幹との間に12人の子供をもうけ、ほとんど稼ぎの無い鉄幹を支えるべく、来た仕事はすべて引き受けるなど、生涯創作活動を続け、鉄幹と子供たちを愛し支え続けました。
「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」の鑑賞
【やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君】は、目の前の男性に熱い思いをぶつける情熱的な恋の歌として、発表当時、大変話題になりました。
「あつき血汐にふれも見で」は、「熱い血のたぎりに触れてもみないで」と解釈できますが、言い換えると「あなたに恋焦がれている私に触れようともしないで」「この私の熱い思いを受け取ろうともしないで」という、ストレートな愛情表現となっています。
その次の「さびしからずや」は「さびしくないのですか?」という問いかけ。「問いかける」ことにより、目の前の「君」の心にグッと刺さる効果が生まれています。
「道を説く君」は「人の道を説いているあなた」という意味。この言葉で、対象になった男性は「あぁ自分のことなのか」と理解する、男性の人となりを説明する言葉です。
このように、言葉の選び方に工夫が凝らされているこの歌は、対象となっている男性の心に深く刺さる歌になっていることに加え、人に恋焦がれた経験のあるすべての人の琴線に触れる、普遍的な恋の歌となっています。
「この歌はいったい誰に向けて詠った句なのか?」を検証!
(与謝野晶子と夫「鉄幹」 出典:Wikipedia)
激しい恋の歌であるこの句を鑑賞するにあたって気になるのは、やはり「いったい誰に向けて詠った句なのか?」という点です。後の夫である与謝野鉄幹に向けた句であるというのが一般的な見方ですが、果たして本当にそうなのか、検証してみましょう。
晶子自身の言葉から推測すれば、一番真実に近い答えが得られるのではないでしょうか?
そこで注目したいのが、『与謝野寛晶子書簡集成 <第1巻>』。与謝野晶子と与謝野鉄幹 (寛) の間で交わされた書簡や、他の歌人に送った書簡も収録されています。
この書簡集の中に収録された、晶子から先輩歌人・河野鉄南に宛てた手紙に「やは肌の歌」のことが書かれています。
河野鉄南は歌人であり、堺にある覚応寺の住職で晶子を鉄幹に紹介した人物です。晶子は鉄幹と出会うまで鉄南のことを恋い慕っており、そのことは、鉄南に宛てたラブレターからもよくわかります。
ここで、鉄南に宛てた「やは肌の歌」について言及した手紙をご紹介します。
「さきに御質問にあひしやははだの歌何と申してよきかとおもひき今日になりにし。梅溪様もかの歌に身ぶるひせしと申越されし候をかし。こののちは詠むまじく候。兄君ゆるし候へ」
(現代語訳:先日、やは肌の歌についてご質問いただきましたが、それになんて答えたら良いのか迷っているうちに、お返事が今日になってしまいました。もうあんな歌は詠みませんから、お兄様、お許しください)
どうやら鉄南から「道を説く君とは私のことか?」と問われており、それに返答したようです。かなりぼかした内容ですので「道を説く君」は鉄南ともとれますし、違う人物ともとれる…。
続いて、この手紙の後半部分をご紹介します。
「さてもこれは兄君だけに申上げるのに候。まことにまことにたれにもたれにも申し給うな。わたくし、この5日与謝野様とひそかに会いし候」
(現代語訳:それはともかく、これはお兄様だけに申し上げます。本当に本当に誰にも話さないで下さい。私はこの5日与謝野様と密かにお会いしていたのです)
これには、鉄南もさぞ驚いたことでしょう!ついこのあいだまで自分を恋い慕っていた女性が、鉄幹に思いを寄せて密かに会っていたとは!鉄南のことなど、もう眼中にない様子…。これらの手紙から推測すると、やはり「道を説く君」の「君」は鉄幹だろうと思われます。
作者「与謝野晶子」を簡単にご紹介!
(与謝野晶子 出典:Wikipedia)
与謝野晶子は、情熱的な作品が多いと評される歌集『みだれ髪』(明治34年・1901年) や、日露戦争の時に詠った『君死にたまふことなかれ』が有名な、女流歌人です。
歌集『みだれ髪』では、女性の自我や恋愛感情、官能を素直に表現し、熱狂的な支持を受けます。これを機に、浪漫派歌人としてのスタイルを確立しました。
与謝野晶子 (本名:与謝野志やう、旧姓:鳳志やう) は、明治11年 (1878年)、大阪府堺市の老舗和菓子屋の二女として生まれました。
20歳ごろから店番をしつつ和歌を投稿するようになりました。明治33年 (1900年)には歌会で与謝野鉄幹と知り合い、鉄幹が創立した新詩社の機関紙『明星』に短歌を発表。
翌年、処女歌集『みだれ髪』を刊行。のちに鉄幹と結婚、子供を12人出産しています。
晩年に『源氏物語』の現代語訳を刊行したことでも知られています。
「与謝野晶子」のそのほかの作品
(生家の跡 出典:Wikipedia)
- その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
- 清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
- みだれ髪を京の島田にかへし朝ふしてゐませの君ゆりおこす
- 髪五尺ときなば水にやはらかき少女ごころは秘めて放たじ