夏を象徴する花・ひまわりは、遥か昔から現代に至るまで、ジャンルを問わず、多くの芸術家たちに愛されてきました。
今回は、ひまわりを題材とした短歌で私たちに鮮烈な印象を与えた歌人・前田夕暮の歌「向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ」をご紹介します。
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きょうの一首向日葵は 金の油を 身にあびて ゆらりと高し
日のちひささよ
~前田夕暮(真夏の日の下にひまわりは、金色の油を体いっぱいに浴びたように、大きな花をゆらりと高い所にかかげている。背景の空には太陽が実に小さく見えることだ)
心に残る名言、和歌・俳句鑑賞 pic.twitter.com/lQZzUWJcCp
— ✿「風 Ⅱ」✿ (@kimagasenohaha) September 25, 2018
本記事では、「向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ」の詳細を解説!
向日葵は 金の油を 身にあびて ゆらりと高し 日のちひささよ
(読み方:ひまわりは きんのあぶらを みにあびて ゆらりとたかし ひのちひささよ)
作者と出典
この歌の作者は「前田夕暮(まえだゆうぐれ)」です。若山牧水とともに自然主義を代表する歌人として知られています。大正時代には、ゴッホやゴーギャンなどの後期印象派絵画に強く影響を受けた名作の数々を残しています。
また、出典は歌集『生くる日に』です。
大正3年 (1914年) 刊行の、色彩感覚の強烈な歌風で知られる歌集です。絵画の手法 (遠近法など) を文学の手法として取り入れた歌集でもあります。
現代語訳と意味 (解釈)
この歌を現代語訳すると・・・
「向日葵は金色の油のような太陽の光を浴びて、ゆらりと高く咲いている。太陽がなんだか小さく見えるほどだ」
という意味になります。
この歌で作者は一輪の向日葵に焦点を当てています。大輪の向日葵と「日のちひささよ」で表される小さな太陽の対比には、絵画の技法である遠近法が用いられ、向日葵の大きさ、存在感、あでやかさが存分に表現されている一句です。
文法と語の解説
- 「金の油」
「日光」を示す比喩表現です。「日光」がまるで「金の油」のように「ギラギラ輝いている」ことを表しています。
- 「ちひささよ」
「小ささ (名詞)」+ 詠嘆を意味する「よ」。詠嘆の「よ」が、ひまわりの大きさと太陽の小ささの対照をより強めています。
「向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、一首の中での大きな意味上の切れ目のことです。読むときもここで間をとると良いとされています。
この歌は四句目「ゆらりと高し」のところで一旦文章の意味が切れますので、「四句切れ」の歌となります。
比喩法
比喩とは、物事の説明や描写に、類似した他の物事を借りて表現することをいいます。印象を強めたり、感動を高めたりする効果があり、短歌では良く使われる技法です。
この歌では「金の油」に比喩法が使用されています。「金の油」は「日光、太陽」の比喩です。
容赦なく照りつける真夏の太陽、そのギラギラした熱い煌めきを効果的に表現しています。
擬人法
擬人法とは植物や動物、自然などをまるで人がしたことのように表す比喩表現の一種です。例えば、「花が笑う」「光が舞う」「風のささやき」などといったものがあります。
この歌では「身にあびて」に擬人法が使用されています。「向日葵」は人ではありませんが、「金の油」を「身にあびて」と表現しています。
向日葵の持つ強い意志のようなものを表す表現になっており、作者自身の心象を向日葵に投影するために擬人法が使用されていると考えられます。
遠近法
遠近法とは、私たちの目の前に存在する3次元の空間を、2次元である平面 (絵画や図面など) 上に「遠い・近い」「高い・低い」「広い・狭い」などの空間的な関係性を損なうことなく表現する方法です。
短歌の世界では、遠くにあるものを「小さい」と表現することにより、手前にあるものの「大きさ」を強調することができます。
この歌では「日のちひささよ」と、大きいはずの太陽を「小さい」と表現しています。このように表現することで、手前にある向日葵の大きさ、存在感を強調しています。
「向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ」が詠まれた背景
この歌を詠んだ頃の作者は、ゴッホやゴーギャンなどの後期印象派絵画の強い影響を受けた歌を数多く詠んでいます。
歌人でいうと島木赤彦や斎藤茂吉も後期印象派絵画に夢中になりましたが、のめりこみ方は夕暮が断然一番だったとも言われています。
芸術を愛する当時の日本の青年たちは、これまで出会ったことのない強烈な個性を放つ、ゴッホやゴーギャンの絵のとりこになったのです。夕暮もそのひとりです。
「金の油を身にあびて」は、あり得ないほど強烈な太陽の光を表す表現です。夕暮は日本の向日葵畑でその向日葵を見たのかもしれませんし、実際には見ていないのかもしれません。
いずれにしても、夕暮の頭の中には、ゴッホの絵に登場する南フランス・プロヴァンス地方の太陽光に照らされた、まばゆい輝きを放つ向日葵が存在していたことでしょう。
「向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ」の鑑賞
この歌を予備知識なしで読んだ人のほとんどの脳裏には、ゴッホの「ひまわり」の絵画が思い浮かぶのではないでしょうか?
ゴッホを愛してやまない歌人として知られている夕暮は、ゴッホの「ひまわり」に強く触発されて、この歌を詠んだと言われています。
まるで絵画のように、向日葵の色彩の鮮やかさ・あでやかさ、むせかえるような熱さを表現したこの歌の美しさは、現代の私たちの胸にも深い印象を残します。
太陽からしたたるような金の油を満身に浴びた向日葵は、仰ぎ見るような高さで美しく輝いています。紺青の空に透かして遥か遠くに見える太陽のなんと小さなことか。「日のちひささよ」の最後の七文字で、読者はグッとこの作品に引き込まれます。
この歌に突如現れた奥行きが、大輪の向日葵と小さな太陽の対照を強めます。まさに印象派の絵画の世界を体現した歌だと言えるでしょう。
作者「前田夕暮」を簡単にご紹介!
前田夕暮 (本名:前田洋造) は、明治16年 (1883年)、神奈川県大住郡南矢名村 (現・秦野市) の豪農の家に生まれました。父親は県議、村長を務めた人物です。
明治43年(1910年)に発表した第一歌集『収穫』、および明治44年 (1911年) に創刊した雑誌『詩歌』により、若山牧水とともに自然主義を代表する歌人と呼ばれるようになりました。
大正に入ると一転、対象の持つ生命感を鮮やかに描く歌を詠むことに力を傾けるようになりました。
昭和3年 (1928年) に、一時期休刊していた雑誌『詩歌』を復刊、新感覚派風の口語自由律短歌を提唱しました。戦時下に定型歌に復帰、平明で好日的な歌風を貫きました。
数回にわたる作風転換にもかかわらず、一貫してみずみずしく清新な作風が特徴と評される歌人です。
「前田夕暮」のそのほかの作品
(前田夕暮歌碑 出典:Wikipedia)
- 木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな
- 君ねむるあはれ女の魂のなげいだされしうつくしさかな
- 空遥かにいつか夜あけた木の花しろしろ咲きみちてゐた朝が来た
- ともしびをかかげてみもる人々の瞳はそそげわが死に顔に
- 雪の上に春の木の花散り匂ふすがしさにあらむわが死顔は