いにしえの時代から、日本人は五・七・五・七・七のしらべに心を込めて歌を詠んできました。
日本でいちばん古い和歌集『万葉集』は奈良時代末期に成立したとされ、全20巻、4500首以上の歌が収められています。
今回は『万葉集』の中から「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」という歌をご紹介します。
新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事。
新春に綺麗に降り積もってくれた雪を見て、この句が頭をよぎりました。
今年一年、良い事が沢山起こりますように! pic.twitter.com/5jboOderAo— X(仮) (@auroragear) January 19, 2014
本記事では、「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」の意味や表現技法・句切れについて徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」の詳細を解説!
新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事
(読み方:あらたしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけよごと)
作者と出典
この歌の作者は「大伴家持(おおとものやかもち)」です。『万葉集』の掉尾を飾る一首です。
(百人一首かるた読み札「中納言家持」 出典:Wikipedia)
この歌の出典は、『万葉集』(巻二十 4516)です。
『万葉集』は、奈良時代成立の日本最古の歌集とされます。全部で二十巻あり、十七巻から十九巻には大伴家持の歌が多く、私家集の様相を呈しています。こういったことから、大伴家持が『万葉集』編纂に大きくかかわったと言われます。
また、この歌は『万葉集』の最後を締めくくる歌です。つまり、祝祭の歌で、『万葉集』は幕を下ろすのです。
現代語訳と意味(解釈)
この歌の現代語訳は・・・
「新年を迎え、初春も迎えた今日、降る雪のように良い事もたくさん積もれよ」
となります。
「吉言(よごと)」は、「よいこと」という意味です。新年を言祝ぐおめでたい歌です。
文法と語の解説
- 「新しき」
「新しき」は形容詞「あらたし」の連体形です。「あらたしき」と読みます。
- 「年の初めの初春の」
「の」は連体修飾格の格助詞です。
新年を迎え、その日が立春にもあたっていたことを示しています。
- 「今日降る雪の」
「の」は比喩の格助詞。「~のように」という意味を作ります。
新年を迎え、立春の日に雪が降ることは豊作のしるしとされ、吉兆でした。
- 「いや重け吉言」
「いや」は、ますます・さらに・いよいよという意味の接頭語。「重け(しけ)」は、動詞「重く(しく)」の命令形です。
「吉言(よごと)」は、「よき事」という意味です。
「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、一首の中で大きく意味が切れるところを言います。普通の文でいえば、句点「。」がつくところです。読むときにもここで間をおいて読むことになります。
この歌は、結句「いや重け。」の途中で切れています。
このように、句の中で「。」のつく切れ目があることを「句割れ」といいます。
「句割れ」と間違えやすい技法に、「句またがり」があります。「句またがり」とは、句の終わりと文節の終わりが一致せず、一文節が二句にまたがっていることを言います。
この歌の、文節の切れ目と句の切れ目、句点「。」が打てる切れ目を確認してみましょう。
「新しき/(5) 年の/初めの/(7) 初春の/(5) 今日/降る/雪の(7) いや/重け。/吉言/(7)」
二句や四句のように、一句の中でさらに細かい文節に切れることはあっても、文節が二句をまたいでいるところはありません。よって、「句またがり」ではありません。
しかし、結句の中で「。」がつくところがあります。この歌は、ここが句切れであり、このように句の中で切れることを「句割れ」というのです。
倒置法
倒置法とは、普通とは言葉の並びをあえて逆にして、印象を強める表現技法です。
この歌の「いや重け吉言」は普通の言葉の並びでいえば、「吉言 いや重け」となります。
しかし、倒置法を用いて「いや重け吉言」とすることで、作者がこの部分に願いを強く込めていることが分かります。
序言葉
序言葉とは、特定の語の前に、意味、または発音の上で関係する言葉をおいて、比喩や掛詞などを作る技法です。語調を調えたり、雰囲気を高めて奥行きをだす働きがあります。
この歌において、「新しき年の初めの初春の今日降る雪の」という言葉が序言葉になっており、「いや重け吉言」にかかっています。
作者が一番伝えたいことは「いや重け吉言(ますます重なれ、よき言葉よ、めでたきことよ。)」ということです。
「新しき年の初めの初春の」とおめでたい言葉を並べて雰囲気を高め、「降り積もる雪のように」と比喩を使うことで意味上の関連を持たせて、良年祈願を強調しています。
「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」が詠まれた背景
この歌には、「三年春正月一日於因幡國廳賜饗國郡司等之宴歌一首」という詞書(=歌を作った日時や場所などを記した前書きのこと)がついています。
元号を補って読み下すと、以下のようになります。
「天平宝字三年、正月一日、因幡の庁にて、国司郡司らに饗を賜ふ宴の歌 一首」
(読み方:てんぴょうほうじさんねん、しょうがつついたち、いなばのちょうにて、こくしぐんじらにあえをたまううたげのうた いっしゅ)
このとき、作者の大伴家持は、因幡国(鳥取県)の長官でした。詞書の意味するところは「天平宝字3年(759年)の正月に因幡国の庁舎で、地方の役人らを招いて、新年の祝賀の宴会をしたときの歌である」ということです。
天平宝字3年の元旦は、現在の暦に直すと2月2日にあたります。また、この日が立春にも重なっていました。そして、歌にあるように、天気は雪だったようです。年が改まる、立春を迎えるということだけでもめでたいことですが、新年に雪が降るのは豊作のしるしとされ、めでたいことのかさなる元旦だったのです。そのよき日に、よき年となることを祈って詠まれたおめでたい歌なのです。
また、この歌は、『万葉集』の最後におかれています。単に、良年祈願の歌であるというだけでなく、「和歌が栄え、世の中が栄えますように」といった編集者の意図を感じます。
『万葉集』の編纂は誰によるものなのか、はっきりとした記録はありませんが、大伴家持が大きく関わっていたことは定説となっています。自らの言祝ぎの歌を最後において『万葉集』という歌集を編んだところに、大伴家持の歌人としての願いが感じられます。
「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」の鑑賞
この歌は、新年の祝賀として高らかにうたい上げられた言祝ぎの歌です。
「の」を繰り返すことで言葉を重ねてリズムを作り、「いや重け」と命令形で祈願をすることで、作者の力強い想いが伝わってきます。
古来、日本人は「言霊」というものを信じていました。言葉は、単に音として発声されるだけでなく、魂をもって現実世界に影響があるという考え方です。
おめでたい日に、おめでたい言葉を用いた歌を詠唱することは、それだけで良いことが起こると考えられていたのです。
力強く・美しく・めでたく詠まれたこの歌は、言霊の力も大きく感じられます。新年を祝う歌として、現代でも高い人気を誇る一首です。
作者「大伴家持」を簡単にご紹介!
(大伴家持 出典:Wikipedia)
大伴家持(おおとものやかもち)は、奈良時代の貴族であり、歌人です。養老2年(718年)頃に生まれたとされ、死去は延暦4年(785年)です。
大伴家持は、名門大伴氏のひとりとして、宮中に出仕しました。さまざまな役職を歴任し、官僚として地方に赴くこともありました。越中(富山県)の国司として越中に暮らしたこともあり、都にはない風物を歌に詠みこむこともありました。
歌人として歌を作るのみならず、庶民の歌にも耳を傾け、それらを蒐集したことも大きな功績です。『万葉集』には、防人(さきもり)の歌、東歌(あずまうた)といった関東地方の農民、庶民らの歌も収められていますが、防人に関わる役職についていた大伴家持が聞き取って集めたものだといわれます。
(※防人、さきもり。古代の中国、唐が攻めてくることに備えた、九州の沿岸防備のための兵士)
大伴氏は名門ではありましたが、たびたび政争に巻き込まれ、大伴家持も不遇の時を過ごしたこともありました。最終的には、中納言従三位まで昇り、延暦4年(785年)に没しています。
しかし、家持死後直後に、藤原種継暗殺事件に大伴氏が関わっていたとされ、家持も死してなお罪に問われました。官職を削られ、埋葬さえ許されませんでしたが、20年あまり延暦25年(796年)、恩赦によって復位しました。
「大伴家持」のそのほかの作品
- うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば
- 春の苑紅にほふ桃の花したでる道に出で立つ乙女
- 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鶯鳴くも
- 我が屋戸のいささ群竹(むらたけ)ふく風の音のかそけきこの夕へかも
- 新(あらた)しき年の初めの初春のけふ降る雪のいや重(し)け吉言(よごと)
- かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける