古来より人々の心を映し、親しまれてきた日本の伝統文学である「短歌」。
「五・七・五・七・七」の三十一文字で、日本の美しい自然や歌人の心情を歌い上げる叙情的な作品が数多くあります。
今回は、浪漫派歌人として活躍した与謝野晶子の歌「夏の風山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり」をご紹介します。
「夏の風山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり」与謝野晶子 pic.twitter.com/LSgKw6wKDi
— 天然🐣 (@____tennen) June 7, 2014
本記事では、「夏の風山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「夏の風山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり」の詳細を解説!
夏の風山 よりきたり 三百の 牧の若馬 耳ふかれけり
(読み方:なつのかぜ やまよりきたり さんびゃくの まきのわかうま みみふかれけり)
作者と出典
作者は「与謝野晶子(よさの あきこ)」です。
女性の自由を歌った「情熱の歌人」として知られています。
保守的な時代において、女性の恋愛感情や自己賛美を大胆に歌い上げる斬新な歌風は、当時の歌壇に大きな影響を与え、近代短歌に新しい時代を開きました。
また、この歌の出典は、1906年に刊行された第五歌集の『舞姫』です。歌集に収められる前に、少年雑誌にて発表されています。
現代語訳と意味(解釈)
この歌を現代語訳すると・・・
「夏の風が山から吹きおろしてきて、広々とした牧場に群れる若馬たちの耳が爽やかに吹かれている。」
という意味になります。
夏の山から吹きおろす風に、心地よさの中にも力強さを感じさせる歌です。広々とした草原に放たれた三百頭ほどにも見えるたくさんの若馬。そのたてがみがそよぎ、耳が揺れている情景が目に浮かんできます。
「やわ肌の晶子」と呼ばれ、激しい恋情を歌い上げる印象が強くありますが、この歌のように自然を詠んだ美しく爽やかな歌も数多く残されています。
文法と語の解説
- 「きたり」
「来(く)」+完了の助動詞「たり」の形式とも取れますが、それでは文が切れてしまい、吹きおろす風と若馬の間に情景の断絶が生まれてしまいます。
そのため、ここは助動詞「たり」の連用形ととり、「山からふきおりてきて」と解釈するのが一般的です。
- 「三百の牧の若馬」
「三百の」は「牧」ではなく「若馬」にかかっており、牧場で群れをなしている多くの若馬を意味しています。ここでの「三百」は実数ではなく、数が多いことを表しています。
こうした数を表す語、つまり数詞というと、具体的な数値をそのまま表現しているように思いますが、短歌の世界では題材を象徴化するために使われることが多くあります。
晶子は数詞を巧みに取り入れることで知られており、これは晶子自身が好んだ漢詩調の歌などに影響されたものといわれています。
- 「ふかれけり」
「吹く(ふく)」+受身の助動詞「る」の連用形+詠嘆の助動詞「けり」の形式です。若馬のぴんと立った耳が、初夏の爽やかな風に吹かれている様子を表しています。
「夏の風山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、一首における意味や内容、調子の切れ目を指します。歌の中で、感動の中心を表す助動詞や助詞(かな、けり等)があるところ、句点「。」が入るところに注目すると句切れが見つかります。
今回の歌は、二句目「山よりきたり」を完了形の「たり」と解釈すると、文が一旦途切れていることから二句切れとなります。しかし、先述した通り、「たり」の連用形とする説が有力ですので、ここでは「句切れなし」といえます。
句切りなく一息で詠むことで、山から吹き降ろしてくる風の流れを感じられます。
表現技法
特に目立った表現技法はありません。
「夏の風山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり」が詠まれた背景
この歌は作者の歌集に収められる前に、明治時代の雑誌『中学世界』で発表されました。
タイトル名からも分かるように、中学生やそれに準ずる青少年に向けた教育雑誌で、評論や小説などをかかげ、自然主義文学運動のひとつの拠点にもなっていました。
初夏の爽やかさを感じさせ、若い馬たちの躍動感伝わるこの歌は、まさに少年雑誌にふさわしい一首といえます。
自身の歌集には第五歌集『舞姫』に所収されており、『みだれ髪』出版5年後の1905年に刊行されました。晶子は28歳で夫・与謝野鉄幹との間に生まれた二人の息子を育てていました。
当時の生活を振り返った記録には、外出着に冬は1枚の羽織、夏は浴衣が1枚だけだったという貧乏な生活にあっても、歌を作る時は何事も忘れることができた幸せな時代だったと述べています。
晶子独特の浪漫派短歌を収めた『舞姫』は、読者の心をひきつけ『みだれ髪』同様に重版を重ねる大ベストセラーとなりました。
「夏の風山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり」の鑑賞
爽やかな初夏の風景の静と動を絵画的に捉えたこの歌は、与謝野晶子を代表する名歌として今なお多くの人に愛されています。
新緑に覆われた山から爽やかな風が青々と広がるなだらかな草原へ吹きおろし、そこに放たれた馬たちのぴんと立った耳を心地よく揺らしています。
「三百」と詠んだ音感が力強く、この歌全体を引き締めているように感じます。さらには牧場を駆ける馬のしなやかで引き締まった体躯が、鮮やかな印象と季節感を与えています。ここは若馬であるからこそ引き立つ情景です。
遠景にある山からカメラアングルを引いていき、「耳ふかれけり」と若馬の耳へと焦点を当て、夏の風が吹いていく様子を動画のような映像感覚で描写しています。
自身の思いを力強く歌った晶子ですが、自身を排除した徹底的な風景描写においても、芸術的な才能があったといえます。
作者「与謝野晶子」を簡単にご紹介!
(与謝野晶子 出典:Wikipedia)
与謝野晶子(1878年~1942年)は、明治から昭和にかけて活躍した女流歌人です。大阪府堺市の老舗和菓子屋の三女として生まれ、本名は与謝野(旧姓は鳳)志ようといい、ペンネームを晶子としました。
幼少の頃から『源氏物語』など古典文学に親しみ、尾崎紅葉や樋口一葉など著名な文豪小説を読みふけりました。
こうした幼い頃の経験は、後の与謝野晶子としての執筆活動に生かされることとなり、古典『新釈源氏物語』の現代語訳も手がけています。
短歌は正岡子規に影響を受け、20歳の頃から店番を手伝いながら雑誌への投稿をはじめました。その後1900年に開かれた歌会で歌人・与謝野鉄幹と不倫関係になり、鉄幹が創立した文学雑誌『明星』で短歌を発表します。
鉄幹の後を追い実家を飛び出した晶子は、上京の約2ヵ月後、処女歌集『みだれ髪』を刊行します。命がけの恋心や今このときの自身の美しさを誇らかな情熱を持って歌い上げた作品は、賛否両論の嵐を巻き起こしました。
晶子の著作で最も有名な歌に、1904年に発表した「君死にたまふことなかれ」があります。この歌は、日露戦争の真っ只中にあって、内容が国賊的であると激しい批判を受けました。
これに対し晶子は「誠の心を歌わぬ歌に、何の値打ちがあるでしょう」と反論し、一歩も退くことはありませんでした。
生涯5万首もの歌を残しますが、歌人だけでなく幅広い分野で精力的に活動しています。中でも、女子に対する教育の開放や婦人参政権など、女性の地位向上にも積極的な評論活動を行い、大正期の社会大きな影響を与えました。
「与謝野晶子」のそのほかの作品
(与謝野晶子の生家跡 出典:Wikipedia)