【島木赤彦の有名短歌 20選】アララギ派歌人!!短歌の特徴や人物像•代表作など徹底解説!

 

短歌や歴史に詳しくない方でも、学校の授業や教科書で「アララギ」の文字を目にしたことがあるのではないでしょうか。

 

正岡子規から始まったその集団は、子規の没後に子規に傾倒した「島木赤彦(しまき あかひこ)」という一人の男によって世に名を知らしめていきます。

 

 

今回は、島木赤彦の有名短歌20首ご紹介します。

 

短歌職人
ぜひ一緒に鑑賞してみましょう。

 

島木赤彦の人物像や作風

(1920年頃の島木赤彦 出典:Wikipedia)

 

島木赤彦(しまき あかひこ)は、1926年(大正15年)長野県生まれ、明治から大正時代に活躍した歌人です。

 

赤彦は、明治・大正時代のアララギ派の歌人として知られており、その作風は写実的で、「寂蓼相」と呼ばれる「自然と人間とが一体となった歌の境地を目指す」ものです。

 

その基となる歌論の中心は「鍛錬道」であり、趣味や娯楽ではなくあくまでも「修行」といった厳しいものでした。それら歌風に影響を与えたであろう出来事として、多くの親族との死別が挙げられます。生母と5人の兄弟、前妻・うたと長女に長男を立て続けに亡くしています。淡々とした写実的表現の中にもどこか儚げで物悲しさが感じられるのは、身を裂かれるような別れを幾度も重ねてきたからなのかもしれません。

 

挫折と苦悩の多い人生と言われていますが、生涯での一番の功績と言えば、雑誌「アララギ」を歌壇随一の雑誌として育て上げたことです。それまで滞りが多く見られた発行を定期的に行い、会員数を確実に増やしていきました。赤彦の尽力により拡大したアララギですが、皮肉なもので赤彦の死と同様に衰退していくこととなります。

 

 

また、熱心な教育者でもあり、生徒一人ひとりに向き合うため、体格・学力・性格・家庭状況など個々を細部まで記録した「生徒経歴簿」なるものを作成しています。後年には指導者から管理的立場で教育に携わることとなり、校長に就任しています。

 

短歌職人
その際、新任教師として赴任してきた中村静子と不倫関係になり叶わぬ恋に苦悩しますが、教育者としての使命は完遂していたようです。

 

 

(赤彦記念館に設置されている島木赤彦像 出典:Wikipedia

 

島木赤彦の有名短歌・代表作【20選】

 

短歌職人
ここからは、島木赤彦のおすすめ短歌を20首紹介していきます!

 

島木赤彦の有名短歌【1〜10首

 

【NO.1】

『 夕焼空 焦げきわまれる 下にして 氷らんとする 湖の静けさ 』

【意味】赤黒く空に焦げ付いた夕焼けの下で、今まさに凍りつこうとしている湖の何と静かなことよ。

短歌職人

歌集「切火」に収められている、島木赤彦の代表作とされる歌です。この短歌の上の句はのちに改作されており、「まかがやく夕焼空の」に変えられていますが、その評判は原作である上記の歌を超えるものでは無かったそうです。「動」の夕焼け空と「静」の湖の対比が強烈な色合いで表現された、色彩豊かな一作です。

【NO.2】

『 日の下に 妻が立つとき 咽喉(のど)長く 家のくだかけは 鳴きゐたりけり 』

【意味】陽射しの下に妻が立ったその時、庭の鶏が喉を長く伸ばし一鳴きした。

短歌職人

この歌は、短歌雑誌「アララギ」編集のため上京することとなった赤彦が出立の際に詠んだと言われています。家から出て見送りにくる妻と、別れを惜しむように声を上げる鶏、その背景を知ると途端に物悲しく見え、後ろ髪を引かれる様子が伝わってきます。

【NO.3】

『 遠近(あちこち)の 烟(けむり)に空や 濁るらし 五日を経つつ なほ燃ゆるもの 』

【意味】あちらこちらで上がる煙に空が濁るようだ、五日経って尚物は燃えている。

短歌職人
「大虗集」の内の一首で、関東大震災を元に詠まれた歌です。関東大震災は1923(大正12)に発生した巨大地震で、死者は10万人にも上ります。発生時刻が昼時だったことから火を使用していた家庭も多く、二次的に発生した火災が人々を襲いました。変わり果てた街の姿に呆然と立ち尽くす姿、またその被害の大きさを物語る歌です。

【NO.4】

『 森深く 鳥鳴きやみて たそがるる 木の間の水の ほの明かりかも 』

【意味】森の奥深く、鳥の声の止んだ黄昏時に木々から覗く水は仄白く明るいものだ。

短歌職人
久保田柿人名義で中村憲吉と共著した「馬鈴薯の花」の中の一首です。赤彦にとって初の歌集となり、初期にしたためていた千首近い作品を捨て新たに詠んだ歌を載せています。正岡子規に傾倒していた赤彦の写実主義が滲みつつも、雰囲気のある幻想的な風景が目に浮かびます。

【NO.5】

『 みづうみの 氷は解けて なほ寒し 三日月の影 波にうつろふ 』

【意味】湖の氷は解けたが依然として寒い。三日月の影が波に揺らめく。

短歌職人

赤彦の故郷である諏訪、中でも諏訪湖の様子を詠んだ短歌は数多く残されており、この歌もその一首です。春先の、寒さの残る湖を前に何に想いを馳せていたのか、赤彦の物思いに耽る姿が見えてくるようです。

【NO.6】

『 冬空の 天の夕焼に ひたりたる褐色の湖は 動かざりけり 』

【意味】冬空に広がる夕焼けが映り、浸るように染まる褐色の湖が動くことはなかった。

短歌職人

諏訪湖を主題とした連作の内の一つで、その一連では時間の経過と共に移りゆく諏訪湖の様子が鮮やかな描写で描かれています。赤彦の短歌のコンセプトである「寂寥相」の着想に、諏訪湖の雄大な景観は大きな影響を与えたことでしょう。

 

【NO.7】

『 亡きがらを 一夜(ひとよ)(いだ)きて 寝しことも なほ飽きたらず 永久(とわ)に思はむ 』

【意味】横たわる亡骸を一晩中抱いて眠るも満たされず、この先も変わらず思い続けるであろう。

短歌職人

最晩年の歌を集めた「柿蔭集」に収められている一首で、病により早くに亡くなった前妻・うたへの思いを詠んでいます。うたは大変に優れた女性で、始めこそ遊蕩に気を取られていた赤彦も貞淑聡明な彼女を心から愛するようになったと言います。そんなうたが病で死去し、悲嘆に暮れるその様は周囲も驚く衰弱振りで、永別への深い悲しみから日記には彼女への追悼の意や寂しさを綴る俳句や短歌が幾つも残されています。

【NO.8】

『 まばらなる 冬木林に かんかんと 響かんとする 青空のいろ 』

【意味】葉が落ちまばらになった冬の木々たちに、青空が冴え渡りかんかんと響いているようだ。

短歌職人
葉の落ちた冬枯れの木を指す「冬木(ふゆき、とうぼく)」という単語はありますが、歌中に出てくる「冬木林」は存在しておらず、恐らくは赤彦による造語だと考えられます。「かんかんと」の擬態表現とも相まって、三十一文字の限られた空間で情景を的確に再現するその言葉選びからは、歌人としての力量が感じられます。

【NO.9】

『 おやどりの つばさのひまゆ ぬけいづる これのひよこは たはむるらしき 』

【意味】親鳥の翼の隙間から抜け出て、ひよこは遊んでいるようだ。

短歌職人

平仮名のみで詠まれた一首で、字面のその柔らかさからは他の歌とはまた違う独特な雰囲気が感じられます。それもあってか、この歌を題材に作品を書く書家も居るそうです。

【NO.10】

『 ひたぶるに 我を見たまふ み顔より 涎を垂らし 給ふ尊さ 』

【意味】ひたすらに私をみるそのお顔は涎を垂らしておられる、その姿の尊いことよ。

短歌職人
重病により感情を思うように伝えられない赤彦の父が、見舞いに来た赤彦を懸命に見つめ、涎を垂らしながらも喜びを表現しようと微笑む様を詠んだと言われています。「涎を垂らし」からは一般的に受ける不潔な印象は無く、息子を思う父の愛情深さ、その愛に触れ感極まる息子の心情が窺い知れます。

島木赤彦の有名短歌【11〜20首

【NO.11】

『 いとつよき 日ざしに照らふ 丹の頬を 草の深みに あひ見つるかな 』

【意味】強い日差しに照らされ赤くなった頬を、生い茂る草陰で互いに見つめ合った。

短歌職人
赤彦は妻帯者でありましたが、自らが校長を務める学校に赴任してきた新任教師・中村静子と恋に落ちます。思い思われの関係は長きに渡り、上記の歌はその期間に詠まれたものと言われています。同僚であると同時に歌の弟子でもあった静子は「閑古」という号を赤彦より与えられ、「アララギ」には赤彦への想いを綴った相聞歌も投稿しています。

【NO.12】

『 二人して 向ひ苦しく 思へりし きよき心に かへるすべなく 』

【意味】二人向かい合い何もせずにいることが苦しく思われる、清い心を取り戻すことも叶わない。

短歌職人
下諏訪の温泉宿にある「恋札」という占いをご存知でしょうか。表と裏のある7枚の木札を湯の中に沈め、手を離しどちらの面が浮かんでくるかによって恋の成就を占うものだそうです。表面には土地の伝説を基にした「かね」という女性とお地蔵様の絵が、裏面には赤彦の歌が描かれています。その内容は全て静子との道ならぬ恋を歌ったもので、苦悩の滲む上記の歌もその一つです。二人の関係がいずれ破綻することに準え、裏面が湯に浮かべばその恋は絶望的と言われています。

【NO.13】

『 子どもらが 鬼ごとをして 去りしより 日暮れに遠し さるすべりの花 』

【意味】子どもたちが鬼ごっこをしていたが帰っていった。日暮れまではまだ遠い刻、さるすべりの花が咲いている。

短歌職人
さるすべりは開花時期が6月から10月初旬の、夏の花として知られています。子供の楽しげに遊ぶ声と、暑さとさるすべりだけを残し活気の去った土地の静けさとが、日暮れまでを一層遠く感じさせます。歌人であり、また小学校教員でもあった赤彦ならではの視点で描かれた一首です。

【NO.14】

『 山道に 昨夜の雨の 流したる 松の落葉は かたよりにけり 』

【意味】山道に、昨日の雨が流したであろう松の落ち葉が掃き寄せられたように集まっている。

短歌職人
信州有馬温泉から帰る途中に詠まれた歌です。淡々と情景を詠むその表現からは、主題である「幽寂境」や「寂寥相」、また写実主義としての姿勢が色濃く感じられます。

【NO.15】

『 父はけふ 国にかへると 聞きわけし 幼き顔を 見てやりにけり 』

【意味】父親が今日国に帰ることを幼いながらに聞き分けているようだ、あどけないその顔を見ているともっと傍に居てやりたくなるものだ。

短歌職人
長男・政彦が眼病により一時失明し、東京の病院に入院していた内容を詠んでいます。子を想う赤彦の愛情深さと共に、聞き分けの良い息子に感じるそのいじらしさが、やりきれない心痛として伝わってくるようです。

【NO.16】

『 隣室の 書よむ子らの 声きけば 心に沁みて 生きたかりけり 』

【意味】隣の部屋で書物を読む子供たちの声を聞くと、しみじみと心に沁み入り、まだ生きていたいと思えてならない。

短歌職人
胃がんの宣告をされ、療養先の長野で床に臥す中詠まれた一首です。子供の成長を見守ることの出来ない悔しさや生への愛惜、込められたその無念を、「心に沁みて」の一言が増幅させています。この歌は、赤彦の死後「柿蔭集」に収められています。

【NO.17】

『 今にして われは思ふ いたづきを おもひ顧みる こともなかりき 』

【意味】今にして思えば、病気を気にかけ自分を労わることをしてこなかったものだ。

短歌職人
歌中の「いたづき」は病気を意味します。病に罹った自分と向き合う連作「恙(つつが)ありて」の中の一首で、病状の悪化に伴い感じる苦しさややるせなさに加え、呆然とどこか他人事のように俯瞰している印象を受けます。

【NO.18】

『 信濃路は いつ春にならん 夕づく日 入りてしまらく 黄なる空のいろ 』

【意味】信濃はいつ春になるであろうか、日が沈みしばらくは空は黄色に広がっている。

短歌職人
この歌を詠む頃、赤彦は既に死の淵に居り、翌月その生涯に幕を閉じます。信濃では厳しい寒さから春の訪れが遅く感じられ、病に犯されているこの体が果たしてもう一度春を迎えられるものか、死を間近に感じている様子が窺えます。

【NO.19】

『 たまさかに 吾を離れて 妻子らは 茶をのみ合へよ 心休めに 』

【意味】妻も子供もたまには私の看病から離れ、心を休めるためにお茶でも飲み合ってはどうであろうか。

短歌職人
死の10日前、自身に付き添う妻子へ向け詠んだ一首です。余裕すら思わせるその内容からは、優しさや気遣いと同時に、近づく「最期」の気配が漂っています。赤彦の作品には「たまさかに」から始まる歌が計八首ありますが、肩の力を抜く柔らかさと声をかけようにもかけられないもどかしさ、物悲しさ、これら複数の感情が入り混じるこの「たまさかに」ほど、言葉の意味が効く歌もないのではないかと思わされます。

【NO.20】

『 我が家の 犬はいづこに ゆきぬらむ 今宵も思ひ いでて眠れる 』

【意味】我が家の飼い犬は一体どこに行ってしまったのか、今夜もそのことを思いながら眠りに着く。

短歌職人

死の6日前に斎藤茂吉に書き取らせた、赤彦最期の歌と言われています。「歌中の犬を猫と言い間違え、笑いながら訂正した」という逸話を斎藤茂吉は後に伝えています。飼い主の体の異変に気が付く犬や猫の話を聞きますが、赤彦の家で飼われていた犬も何かを感じ取っていたのでしょうか。

 

以上、島木赤彦が詠んだ有名短歌20選でした!

 

 

短歌職人
今回は、島木赤彦の詠んだ短歌20首をご紹介しました。
彼の切り取った写実的情景には、読む者の想像力を掻き立て、その空間に誘う魅力が確かにありました。
「鍛錬道」「寂蓼相」の世界は現代を生きる私たちにも今尚愛され続けています。
島木赤彦の作品にもっと触れてみたい方は、ぜひご自身で調べて見てください!