【あたらしく冬きたりけり鞭のごと幹ひびき合ひ竹群はあり】徹底解説!!意味や表現技法・句切れ・鑑賞文など

 

大正の初めに生まれ、昭和時代に活躍した歌人「宮柊二」。

 

彼は戦後の歌人を代表する一人で、短歌の領域を押し広げた人でもあります。

 

今回は宮柊二の名歌「あたらしく冬きたりけり鞭のごと幹ひびき合ひ竹群はあり」をご紹介します。

 


 

本記事では、「あたらしく冬きたりけり鞭のごと幹ひびき合ひ竹群はあり」の意味や表現技法・句切れについて徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「あたらしく冬きたりけり鞭のごと幹ひびき合ひ竹群はあり」の詳細を解説!

 

あたらしく 冬きたりけり 鞭のごと 幹ひびき合ひ 竹群はあり

(読み方:あたらしく ふゆきたりけり むちのごと みきひびきあひ たかむらはあり)

 

作者と出典

この歌の作者は、「宮柊二(みやしゅうじ)」です。戦後の日本歌壇を代表する歌人のひとりです。

 

また、この歌の出典は、昭和28(1953)発刊、宮柊二の五番目の歌集『日本挽歌(にほんばんか)』です。

 

戦後の日本の様子がうかがわれるリアリズムに満ちた歌集です。

 

現代語訳と意味(解釈)

この歌の現代語訳は・・・

 

「今年もまた新しく冬がやってきた。鞭がしなって空を切りひらくように、風にあおられた幹がぶつかり合って音を響かせる竹の群生があることだ。」

 

となります。

 

身が引き締まるような冷たい強い冬の風、乾いた空気感を伝える歌です。冬の訪れを清新な感覚でとらえています。

 

文法と語の解説

  • 「あたらしく」

形容詞「あたらし」の連用形です。

 

  • 「冬きたりけり」

「きたりけり」は、動詞「きたる」の連用形「きたり」+詠嘆の助動詞「けり」です。

 

  • 「鞭のごと」

「ごと」は比況の助動詞「ごとし」の語幹です。

 

  • 「幹ひびき合ひ」

「ひびき合ひ」は動詞「ひびき合ふ」連用形です。

 

  • 「竹群はあり」

「竹群」は「たかむら」と読みます。群生している竹のことです。

「は」は係助詞。「あり」は動詞「あり」の終止形です。

 

「あたらしく冬きたりけり鞭のごと幹ひびき合ひ竹群はあり」の句切れと表現技法

句切れ

歌の中の大きな意味の切れ目のことを句切れといいます。

 

この歌は、二句目「冬きたりけり。」で一旦歌の意味が切れますので、「二句切れ」となります。

 

ここに間をおいて読むことで、冬が来たことを受け止める覚悟のようなものを感じます。

 

直喩

直喩とは、「~のようだ」「~のごとし」などの語を用いて、ある事柄を他のものに例える技法です。

 

例えば「雪のように白い肌」や「ひまわりのような笑顔」などです。直喩を使うことで、語の持つ印象を強める効果があります。

 

この歌では、「鞭のごと」とありますが、風に吹かれてしなる竹の幹の様子を鞭にたとえています。厳しい冬の季節の訪れを印象的に表現しています。

 

「あたらしく冬きたりけり鞭のごと幹ひびき合ひ竹群はあり」が詠まれた背景

 

この歌は、宮柊二の五番目の歌集『日本挽歌』の中にある一首です。

 

宮柊二は、戦前に北原白秋に師事し、出征。戦地で師の没したことを聞き、戦後になってから第一歌集『群鶏』(昭和21年 1946)を発行しました。

 

戦争で従軍した経験は、短歌にも大きく反映されました。第二歌集『山西省』(昭和24年 1929)には、従軍の記憶、戦争を詠んだ生々しい短歌が多く収められています。

 

戦争から戻った宮柊二は、製鉄会社に勤務しつつ創作活動を行いました。宮柊二は、戦争のリアルを詠み、戦後のリアルを詠みました。

 

従軍の記憶と経験を持ちつつ、戦後の日本を見つめる一人の生活者としての視点からの短歌は、リアリズムにあふれていました。

 

歌集『日本挽歌』は、戦争の痛手から立ち直ろうとしている日本の社会の断片を切り取って詠んだ歌が多く収められています。

 

この「あたらしく冬きたりけり…」の歌は、昭和27年(1952年)の1月の短歌雑誌「短歌研究」に初出の歌です。

 

昭和26(1951)からの数年間、宮柊二は、勤務していた製鉄会社の高井戸にある寮に住んでいました。その近くの竹林を見て詠んだ歌だとされています。

 

『日本挽歌』に収められている竹の歌

歌集『日本挽歌』には、他にも竹を詠んだ歌がいくつかあります。

 

このあした霜おける路へだてつつ迫りくとおもふ暗き竹群

(現代語訳:今朝、霜の降りた道の向こうから、まるで群生した暗い竹林が迫ってくるかのように感じられることだ。

生きもののごとき艶出て竹の根は春さりし道のうへにあらはる

(現代語訳:生き物であるかのように艶のある竹の根っこが、春を迎えた道の上に現れ出てきたことだ。

 

群生して生える竹を単なる景色としてではなく、意思をもった生き物のような得体の知れなさをもってとらえていることが分かります。

 

作者は日常生活の中で目にする竹林をよく観察し、独自の視点でとらえて歌の題材にしていることが分かります。

 

「あたらしく冬きたりけり鞭のごと幹ひびき合ひ竹群はあり」の鑑賞

 

「あたらしく冬きた…」は、冬のはじめの冷たさ、吹き付ける風の音、それに騒ぐ竹の群生、読むだけで五感が刺激されるイマジネーション豊かな歌です。

 

竹は地下茎でつながってひとところにたくさん生える植物で、丈も高くなります。竹の幹が鞭のようにしなって音を立てているため、風は相当強く、群生している竹全体が動いているようにも感じられ、迫力があります。

 

落葉する植物ではなく、細かい葉をたくさんつけているので、ざわざわとした葉擦れの音もしていることでしょう。

 

冷たい風をうけても、しなって受け止め、幹がぶつかり合う乾いた音を響かせる竹のしなやかな強靭さ、たやすく折れたりしないしぶとさのようなものも感じます。

 

また、季節が巡って冬が来るのは毎年のことですが、「新しく冬きたりけり」とはっきりと宣言することで、今年の冬というものを新鮮な気持ちで受け止めようという気持ちが感じられます。

 

そして、「冬きたりけり」「竹群はあり」ときっぱりと言い切るところに、潔さや厳しい冬を迎える覚悟のようなものも感じます。

 

作者「宮柊二」の生涯を簡単にご紹介!

(宮柊二 出典:Wikipedia)

 

宮柊二(みやしゅうじ)は、新潟県出身の歌人です。本名は宮肇(みやはじめ)です。大正元年(1912)新潟県北魚沼郡堀之内町(現在の魚沼市)に生まれました。

 

地元の旧制中学を卒業後、家業の書店を手伝っていましたが、昭和7(1932)に上京、その翌年には北原白秋を訪ねて門下に入り、秘書もつとめました。

 

昭和14(1939)、鉄鋼所に入社しましたが、太平洋戦争に出征。昭和17(1942)戦地で、師・北原白秋の訃報に接しました。

 

終戦を迎え、昭和21(1946)に第一歌集『群鶏』を発表。その後も『小紺珠』、戦地の記憶を詠った『山西省』など、次々に歌集を発表し、戦後を代表する歌人のひとりとなります。

 

自らも庶民として庶民の生活を見つめ、日本の社会を見つめ、リアリズムにあふれた短歌を数多く詠みました。

 

昭和28(1953)、雑誌「コスモス」を創刊、多くの後進の育成にも貢献しました。昭和61( 1986)74歳で病没しました。

 

「宮柊二」のそのほかの作品

 

  • ねむりをる体の上を夜の獣穢れてとほれり通らしめつつ
  • 軍衣袴(ぐんいこ)も銃も剣も差上げて暁渉る河の名を知らず
  • 死にすればやすき生命と友は言ふわれもしかおもふ兵は安しも
  • つらなめて鴈ゆきにけりそのこゑのはろばろしさに心は揺ぐ
  • わがよはいかたぶきそむとゆふかげに出でてたちをり山鳩啼けり
  • あたらしく冬きたりけり鞭のごと幹ひびき合ひ竹群はあり
  • 蠟燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代過ぎぬ
  • 群鶏の移りをりつつ影しづけいづれの鶏ぞ優しく啼くは
  • 死にすればやすき生命と友は言ふわれもしかおもふ兵は安しも
  • 昨夜ふかく酒に乱れて帰りこしわれに喚きし妻は何者
  • 草むらをひとり去るとき人間の人型に凹める草の起ち返る音