【夏の有名短歌 30選】近代(現代)短歌から昔の歌人の句(和歌)まで!!徹底紹介!

 

みなさんは有名な夏の短歌といえば、どんな短歌を思い出しますか?

 

夏の風物詩や風景、暑さの伝わる歌、涼し気な歌、長い年月の間にさまざまな歌が詠まれてきました。

 

歌人の個性や時代の違いで、同じ夏が舞台でも、いろいろ違った味わいがあります。

 

今回は夏をテーマにした有名和歌と明治以降の近代・現代の有名短歌をご紹介します。

 

短歌職人
夏の短歌づくりのご参考にしてみてくださいね!

 

夏の有名短歌集【昔の歌人の句(和歌) 15選】

 

まずは昔の短歌をご紹介していきます。

 

昔の短歌とは、いわゆる「和歌」と呼ばれている万葉集・古今和歌集・新古今和歌集の時代に作られた短歌のことです。

 

ここでは特に有名な夏の短歌をピックアップしご紹介します。

 

※(旧暦の夏は現在の4月~6月ごろですが、今回はそれに限らず夏らしさのある歌も選んであります)

 

【NO.1】よみびとしらず(古今和歌集・伊勢物語)

『 さつき待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする 』

意味:五月を待って咲く花橘の香りをかぐと、昔親しくしていた人が袖に薫(た)きしめていたお香の香がして懐かしいことだ。

短歌職人
この歌が広く知られるようになってから、「花橘」は懐かしいひとを思う歌によく使われる言葉になりました。橘は柑橘の常緑樹で、初夏になると香りの高い白い花をつけます。

 

【NO.2】在原業平(伊勢物語)

『 暮れがたき 夏の日ぐらし ながむれば そのこととなく ものぞ悲しき 』

意味:暮れてゆくのが遅い夏の日。一日中ぼんやり物思いにふけっていると、なんということもなく、もの悲しいものです。

※「日ぐらし」は一日中の意。「ながむれ」はぼんやり物思いにふけること。

※「そのこととなく」はなんということもなくの意。

※「ものぞ悲しき」は、何となく悲しい、もの悲しいの意。

短歌職人
伊勢物語 第45段「ゆく蛍」で詠まれた歌。重い病で今にも死んでしまいそうな娘が主人公に会いたいといっているのを知り、主人公は急いで駆けつけますが、時すでに遅く、娘は亡くなっていました。自分のことを思ってくれていた娘の死の間際に会えなかった虚しさを詠っています。

 

【NO.3】額田王(万葉集)

『 あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る 』

意味:紫草の栽培されている野を行って、御領地へも行きながら、野の番人が見はしないでしょうか。あなたが袖を私に振っているのを。

※「あかねさす」は赤い色がさして、美しく照り輝く意の枕詞。「日」「昼」「紫」「君」などにかかる。「標野」は標をたてた、一般人が入れない領地のこと。「野守」は領地の番人のこと。

短歌職人
額田王に袖を振っているのはすでに離婚した夫の大海人皇子(天武天皇)です。この時すでに額田王は大海人皇子の兄である中大兄皇子(天智天皇)と恋愛中でした。中大兄皇子も同席していた初夏の宴の席で額田王はシャレを決めてこの歌を詠ったといわれています。

 

【NO.4】大海人皇子(万葉集)

『 紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも 』

意味:紫草のように美しく艶やかなあなたのことを嫌と思っているのなら、人妻なのに恋慕えるでしょうか。(ですが恋慕うことはありませんよ)

※「紫草」は根っこが紫色で染料になり、夏に白い花が咲く。「にほへる」は美しく艶やかという意。「やめも」は、~しようか、いや~しない、の意。

短歌職人
額田王が詠んだ(上記の)歌をうけて詠んだ歌です。人妻であるあなたを恋しく思うのは恋心ではなくともあなたを嫌ってはいないからと返した大海人皇子。紫という同じ言葉を使ってとても美しく応答しています。

 

【NO.5】僧正遍昭(古今集)

『 蓮葉の にごりに染まぬ 心もて なにかは露を 玉とあざむく 』

意味:蓮の葉は泥の中に生えて、その濁りに染まらない清らかな心を持っているというのに、どうして葉の上の露を真珠と見せて人をあざむくのでしょうか。

※「蓮葉」は、(はすちば)と読む。「なにかは」は、どうしてなのかの意。「玉」は宝石、真珠の意。

短歌職人
泥の中に根をはりながら、清らかな葉を伸ばして花を咲かせる蓮の花は仏教の教えを象徴しています。それなのに葉の上の露は宝石と見間違うようなことを蓮が行うのはなぜだろうという、自然界の不思議と仏教の教えをからめた僧侶らしい歌です。

 

【NO.6】よみびとしらず(古今集)

『 ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな 』

意味:ほととぎすの鳴く五月に咲くあやめ草、その名のごとく物事の「あやめ(分別)も知らないような恋をしてしまった。

短歌職人
ほととぎすは初夏に日本へやってきて、その特徴的な鳴き声で夏の到来を告げる鳥です。その懸命な鳴き方を激情的ととらえる向きもあります。そんな季節に咲くあやめのように、文目(あやめ・分別)もなくなるような恋する気持ちを詠っています。

 

【NO.7】藤原俊成(新古今和歌集)

『 昔思ふ 草の庵の 夜の雨に 涙な添へそ 山ほととぎす 』

意味:夜に五月雨が降る草庵で昔のことを思い出している。山ほととぎすよ、涙がでそうだから、それ以上鳴かないでおくれ。

※「涙な添へそ」は涙を添えないで(泣かせないで)(鳴かないで)おくれ、の意。

短歌職人
五月雨の降る山の庵でひとり、昔のことを思い出している作者。中国では、徳のある人物が死後ほととぎすに化身し、なおも民を見守ったという伝説もあり、時として死者を偲ぶイメージに使われます。

 

【NO.8】西行法師(新古今和歌集)

『 道の辺に 清水流る 柳蔭 しばしとてこそ たちどまりつれ 』

意味:道のほとりに清水が流れている柳の木陰がった。少しの間と思い立ち止まりました(けれども、涼しさについゆっくりしてしまいましたよ)

短歌職人
暑い夏の日に木陰も少ない道を旅する西行法師。清水の流れる涼しそうな木陰をみつけてほっとひと休みした様子を詠んだ歌です。

 

【NO.9】持統天皇(百人一首)

『 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山 』

意味:春が過ぎていつの間にか夏が来たようです。夏になると衣を干すという天の香具山に、真っ白な衣が干してあるのだから。

※「白妙の」(しろたえの)は白い布のこと。衣、袖、雪などにかかる詞。

短歌職人
持統天皇の職務所であった藤原京からは神が住むとい香具山が見渡せました。いつの間にか春がすぎ、香具山には白い衣がたくさん干してありました。さわやかなで神々しい景色に夏の訪れを知った喜びを詠んだ歌です。

 

【NO.10】清原深養父(百人一首)

『 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ 』

意味:夏の夜は短くて、まだ宵の口だと思っている間に夜があけてしまった。あの雲のどのあたりに月は宿っているのでしょうか。

短歌職人
月はしずんでゆくものですが、短い夏の宵を楽しんでいるうちに月が見えなくなってしまい、あの雲にかくれているのかもしれませんよと、ユーモアで詠んだ歌です。作者は清少納言のひいおじいさんにあたる人物です。

 

【NO.11】大納言公任(百人一首)

『 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ 』

意味:滝の音が途絶えてずいぶん時がたちましたが、その名は流れ伝わって、今でもよい評判が聞えてくるようですよ。

短歌職人
作者が京都の大覚寺に訪れた時、その200年前の庭にはすばらしい人工の滝があったのですが、今では水が枯れてしまっていました。作者はそのすばらしかった滝に思いを馳せ、その名声は今も人々の語り草になっていると滝を称えて歌を詠みました。「な」の音の重なりが美しい歌です。

 

【NO.12】崇徳院(百人一首)

『 瀬をはやみ 岩にせかかる 瀧川の われても末に 逢はむとぞ思ふ 』

意味:川の流れは速く、岩にせき止められた急流が、別れてもまたひとつになるように、今は離ればなれでも、また一緒になろうと(固く)思っているのです。

※「瀬をはやみ」は川の瀬の流れが速いので、の意。「せかかる滝川の」は、せき止められた滝の流れの(急な)の意。「われても」は、(水が)分かれてもと(思う人)と別れてもを表しています。

短歌職人
今は別れていても、いずれ必ず一緒になろうという恋心を詠んだ歌です。その一方で、戦に負けたため不幸にも都から讃岐へ流された崇徳院が、都に戻りたい思いをしのばせた歌であったのかもしれません。

 

【NO.13】権中納言定家(百人一首)

『 来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もかがれつつ 』

意味:いくら待っても来ない人を待ちながら、松帆の浦の夕なぎのころに焼く藻塩のようにこの身も焦がれています。

※「松帆の浦」は淡路島の海岸〈松帆には(待つ)がかかっている。「焼くや藻塩の」はこの時代は海藻を焼いてから水に浸して塩を作っていました。

短歌職人
権中納言定家(百人一首の選者である藤原定家)は女性の立場で恋の歌を詠みました。この時代、女性は恋しい人があっても待つことしかできませんでした。その行き場のない思いを切々と詠みあげています。

 

【NO.14】後徳大寺左大臣(百人一首)

『 ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる 』

意味:ほととぎすが鳴いた方を眺めると、ただ有明のつきがぽっかりと空に残っているだけでした。

短歌職人
夏を知らせる渡り鳥のほととぎす。まだ薄暗い夜明けでも声高く鳴くため、歌を詠む貴族たちのあいだでは、ほととぎすの初音を聞こうと、優雅にお酒などを飲みながら、夜明けを待つという遊びが流行していました。初音を聞いたと思ってそちらをみたらほととぎすの姿はなく、月だけが空に残っていたという風流を詠んだ歌。

 

【NO.15】紀貫之(拾遺和歌集)

『 夏山の 影をしげみや玉ほこの 道行き人も 立ちどまるらむ 』

意味:夏の山をあるいていたら、よく茂った木陰があった。道を行く人はみなここで涼もうと立ち止まるのだろうな。

※「玉ほこの」は道にかかる枕詞。

短歌職人
夏の山を歩いていて、ゆったりとした繁みの木陰をみつけた作者。おそらくここを通る人たちはみなここで休むのだろうなあと、しみじみと夏の木陰での憩いを詠っています。

 

夏の有名短歌集【近代(現代)短歌 15選】

 

次に語感的にみなさんの感覚に近い現代短歌をご紹介します。

 

明治時代の歌人から、後半はガラッと変わって今どきらしい現代の短歌をご紹介しますのでぜひお楽しみください。

 

【NO.1】古泉千樫

『 いそぎつつ 朝は出てゆく 街角に 咲きて久しき 百日紅の花 』

意味:出勤で急いで出てゆく朝の街角に、もうだいぶん前から百日紅がきれいに咲いていますよ。

短歌職人
あわただしい出勤中に、作者の目にとまった百日紅。夏になると鮮やかな赤い花を長い期間咲かせます。作者は毎朝挨拶をするような気持ちで、百日紅をみていたのでしょうか。サラリーマンでもあった作者ですが生活は苦しく、街の喧騒のなかにあっても健気に咲く花に自身を重ねたのかもしれません。

 

【NO.2】中村憲吉

『 山中の しづけき町に 蝉の音の 四方よそそぎて くれ入りにけり 』

意味:山の中の静かな町は、蝉の音がまるで降り注いでくるように四方から聞こえてきて、だんだん暮れていくのですね。

短歌職人
緑深い長閑な山の町。辺り一面が降り注ぐような蝉の音で満ち、暮れていく情景を詠んだ歌。山間部で生まれた憲吉の故郷の様子を詠ったものといわれています。

 

【NO.3】窪田空穂

『 めぐり逢う 一夜のはなの 真白花 ひたすらにして この夏も咲く 』

意味:また会えた、今夜一夜だけ咲く真っ白な花よ。この夏もひたすらに花咲かせている事よ。

短歌職人
おそらくですが月下美人の開花を詠ったのでしょう。夜に咲きはじめ一晩でしぼんでしまう不思議で凛とした、大ぶりの白い花です。年に一度、花咲くのが通例であったため、作者の感動は大きかったはずです。最近は手入れの方法がすすんで、年に数回咲かせることも出来るそうです。

 

【NO.4】北原白秋

『 青玉の しだれ花火の ちりかかり 消ゆる途上を 君よいそがむ 』

意味:青玉のしだれ花火が散って、今まさに消えようとしているところを君とみていますが、いそいで花火があがっている近くへ行きましょう。

※「いそがむ」は「急ごう」の意味です。

短歌職人
花火の会場へ行く途中に、もう青い「しだれ花火」があがって、散って、火の粉が消えていくのがみえている。急いで行こうと君にいった作者。夏の風物詩を楽しみに、小走りする二人を思うとほのぼのとしてきます。

 

【NO.5】木下利玄

『 あつき日を 幾日も吸いて つゆ甘く 葡萄の熟す 深き夏かな 』

意味:暑い日の光を何日も吸い込んで、葡萄のつゆは甘く熟しています。季節は今、深い夏です。

短歌職人
暑い日々を滋養にして、甘くつゆたっぷりに熟した葡萄。いままさに夏の盛りだと感じた作者。あつき日を吸ってみずみずしく熟れる葡萄の生命力を感じる歌です。

 

【NO.6】樋口一葉

『 たち出でて いざ涼まばや 夕がほの 垣根に月も かかりそめにき 』

意味:表に出て、さあ涼みましょう。夕顔の咲く垣根越しの月も、今夜のこの風景は、今夜だけのものですから。

短歌職人
夕顔が咲き、月もきれいだから、その風景を愛でながら涼みましょうと言う作者。今この時はもう帰ってこないという思いも込められています。24歳という若さで亡くなった作者を思うと切ない気持ちになる歌です。

 

【NO.7】正岡子規

『 松蔭に わきて流るる 眞清水の 藻にすむ魚は 夏をしらじな 』

意味:松の木かげに湧く澄んだ湧き水の藻の中に泳いでいる魚は、夏を知らないように涼し気ですよ。

短歌職人
松の木かげのいかにも涼しそうなところに、非常に澄んだ湧き水が流れて小川のようになっている。そこの藻のなかで泳いでいる魚は水がひんやりとしているから、夏なんてしらないだろうなあと詠んだ歌。風景を想像しただけで、涼しくなるような美しい夏の歌です。

 

【NO.8】若山牧水

『 眼ざむるや さやかにそれと わきがたき ゆめに疲れし 夏のしののめ 』

意味:目が覚めて、すぐには夢だったと気付けないような夢に疲れたこの夏の夜明けです。

※「わきがたき」は区別がつかない意。「しののめ」は明け方、夜明けのこと。

短歌職人
悪夢だったのでしょうか。この歌の載った歌集が出版された年、妻が病に倒れていたとあり、あくまでも推測ですが心労があったのかもしれません。また、大変な酒豪であったため、これも推測ですが、酔いつぶれて夢をみて、夜明けに目覚めた日のことを詠んだのかもしれません。

 

【NO.9】島木赤彦

『 生れいでて 命短し みづうみの 水にうつろふ 蛍の光 』

意味:夜の湖。この世界に生まれ出ても、短命な蛍が水の表面をうつろうように、光を放っています。

短歌職人
成虫になってから12週間の命といわれている蛍。湖の上をうつろう(移動している)という意味と(衰える)という意味にもとれます。それでも健気に光をはなつ姿は、今ではあまり見られなくなった幻想的な夏の光景です。

 

【NO.10】石川啄木

『 ほとばしる 喞筒の水の 心地よさよ しばしは若き こころもて見る 』

意味:ポンプで汲んだ水が勢いよくほとばしって、なんと心地よいことか。しばらく若々しいような気持になって見ていましたよ。

※「喞筒」はポンプのこと。

短歌職人
昔は井戸水をポンプでくみ上げていました。勢いよくあふれ出てくる水に心地よさを感じるあまり、気持ちが若返ったようになってしばらく見ていたという歌です。

 

【NO.11】永田和宏

『 噴水の むこうのきみに 夕焼けを かえさんとして われはくさはら 』

意味:ふりかえって噴水の向こう側をみると君がいるから、夕焼けの風景を君に返すために私は草原のほうへ行きましょう。

短歌職人
夕焼けを眺めていた作者。ふと後ろをみると噴水をはさんで、同じように夕焼けを眺めている人がいる。そのひとの視界に入らないように、自分はあちらの草原へ行きましょうという情景を詠んだ歌です。

 

【NO.12】河野裕子

『 陽に透きて 今年も咲ける 立葵 わたしはわたしを 憶えておかむ 』

意味:陽の光に透けるような立葵が今年も咲いた。わたしはわたしを憶えておこう。

短歌職人
闘病中に死を意識した作者。夏にすっとたたずむ立葵の花。しかしその花びらは日に透けるような繊細さです。夏に咲くことを立葵が憶えているように、自分自身をしっかりと記憶にとどめておこうという切実な覚悟を詠んだ歌です。

 

【NO.13】村木道彦

『 うめぼしの たねおかれたる みずいろの ベンチがあれば しずかなる夏 』

意味:梅干しの種が残されているみずいろのベンチがあれば、しずかなる夏です。

短歌職人
梅干しの種が置いてあるみずいろのベンチとは、ありそうで、しかし、なかなか出会えない風景かもしれません。仮に飲みかけのペットボトルとベンチだとすると、よくある風景、またはすぐに意図して作れる風景です。作者は「うめぼしのたね!?」という微妙な違和感が引き出す偶然のリアルさに、ただその一度きりしかなく、雑音のない、しずかなる夏を詠みました。

 

【NO.14】加藤治郎

『 午後からは 行き先不明の わたくしで メロンフローズン ころころと吸う 』

意味:午後から私は行き先不明となり、今メロンフローズンをころころと飲んでいます。

短歌職人
この午後からは、日ごろのすべての関係を忘れて、あてなく漂流するようにすごしますという作者。悪びれもなく軽やかで自由な様子がメロンフローズン ころころ、からも伝わってきます。

 

【NO.15】木下龍也

『 空を買う ついでに海も 買いました 水平線は 手に入らない 』

意味:空を買うついでに海も買いました。でも水平線は手に入りません。

短歌職人
空も海も実態がありますが、水平線とは海面と空との境目をなす線で、実態がありません。目に見えているようなのに、地平線は手に入らないと詠んだ歌です。

 

以上、夏の有名短歌集でした!

 

夏の有名和歌・短歌はいかがでしたでしょうか?

 

時代の移り変わりとともに、短歌の表現はずいぶん変化してきました。

 

しかし、31文字で心に浮かんだ何かを表現するという様式はずっと引き継がれています。

 

短歌職人
日本の伝統文学、短歌で、あなたの思いをぜひ表現してみてください!
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