【親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト】徹底解説!!意味や表現技法・句切れ・鑑賞文など

 

短歌は、自分が感じたことを5・7・5・7・7の31音で表現する定型詩です。

 

短い文字数の中で心を表現するこの「短い詩」は、古代から1300年を経た現代でも多くの人々に親しまれています。

 

今回は、第1歌集『サラダ記念日』が社会現象を起こすまでの大ヒットとなり、現在でも現代短歌の第一人者として活躍する俵万智の歌「親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト」をご紹介します。

 

 

本記事では、親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト」の詳細を解説!

 

親は子を 育ててきたと 言うけれど 勝手に赤い 畑のトマト

(読み方:おやはこを そだててきたと いうけれど かってにあかい はたけのとまと)

 

作者と出典

この歌の作者は「俵万智(たわら まち)」です。

 

文学界に限らず、日本ではほとんどの人が名前を知っていると言っても過言ではないくらい有名な歌人です。日常の出来事を分かりやすい言葉選びで表現した短歌に定評があり、親しみやすい、それでいて切り口が斬新な歌が、今も多くの人の心を掴んでいます。

 

また、出典は『サラダ記念日』です。

 

1987年(昭和62年)5月に出版された第1歌集で、今なお俵万智の代名詞にもなっています。出版されるやいなや280万部のベストセラーとなり、収められている短歌から合唱曲がつくられたり、いくつもの翻案・パロディ作品が出たりするなど社会現象となりました。

 

現代語訳と意味 (解釈)

この歌は現代語で詠まれているため、読み手がそのまま意味を捉えられるものではありますが、国語科の視点では次のように説明されています。

 

「親としては愛情を精一杯注ぎ、期待をかけ、子育ての苦悶も乗り越えて育て上げてきた愛しい我が子であるが、そんな親の思いを越えて、子どもは子どもとしての思いを抱き、個性をもち、独立した人格をもつかけがえのない自分として成長し、生きている。」

 

この歌の面白いところは、読み手によって捉え方が変わってくるところです。

 

親の視点で読むか子の視点で読むかで、感じ方も大きく変わります。年齢を重ね人生経験を積むにつれて、また違った見方ができるところも魅力です。

 

文法と語の解説

  • 「親は子を」

「親」は「子を産んだ人」、「子」は「親から生まれたもの」で、二者には親子関係があります。「は」は主語を表す助詞ですが、「親が」ではなく「親は」となっている点で、詠み手の考えが親の考えと違うことが感じ取れます。

 

  • 「育ててきたと言うけれど」

助詞の「と」があるので、親が発言したのは「育ててきた」までだということが分かります。「言うけれど」の「けれど」には、このあとに逆説が続くことを示すとともに、親の発言に納得していないという思いも込められています。

 

  • 「勝手に赤い畑のトマト」

畑で育つトマトが「放っておいても赤くなる」という情景から、親の思いや行為に関わらず子が自分の力で成長していくのだということが表現されています。

 

「親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト」の句切れと表現技法

句切れ

この歌は三句切れです。

 

「言うけれど」に句切れを入れ、先に何が続くのかと思わせることで読み手を引きつけています。また、その後に続く「勝手に赤い畑のトマト」の情景がよりくっきりと浮かび上がります。

 

表現技法

この歌には表現技法として目立つような技法は使われていませんが、俵万智の短歌の多くに共通する点として「口語でつづられている」ことがあげられます。

 

難しい言葉を使わずに口語で表現することで、生の感情をのせやすく、軽やかさや躍動感が出ています。

 

「親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト」が詠まれた背景

 

この歌が最初に収録されたのは第1歌集の『サラダ記念日』ですが、の時点では作者はこの歌の背景について語っていません。

 

作者は当時24歳で、ご自身の子はいませんでしたが、高校の教員をしていたため多くの親子と関わりがあったようです。

 

トマトの部分は、最初は「勝手に育つ子供は」だったようですが、それじゃあつまらないと思った作者が別の言い回しを考えていたときに、自身の母親が畑でなったトマトを自慢げに見せてくれたことからひらめいたそうです。

 

のちに雑誌『子育てエデュー』での連載で、作者はこの歌について次のように語っています。

 

四年間だけだが、私も高校で教鞭をとったことがある。新米教師とはいえ「教える」ことは、まあなんとかできていたように思う(もっとも、教える技術も、きわめようと思えば果てしない)。

が、生徒を「育て」られたか、「育つのを助け」られたか、とふり返ると、はなはだ心許ない。

(中略)

教師をしていて気になったことの一つは、保護者が、案外簡単に「育てた」「育ててきた」と口にすることだった。もちろん、おぎゃあと生まれてからこれまで、生活のあらゆる面倒を見てきたわけだから、そう言いたくなるのもわかる。が、その大部分は、生きる糧を「与え」、生きるノウハウを「教えて」きたのだと思う。

 子どもが、自分の人生を充実して生きていけるようになるまで、どんな手助けができるだろうか。今、私も一人の親として、自戒しながら自問している。

(『たんぽぽの日々』2010年 小学館 3233頁より)

 

詠んだ当初は、親子関係を外側から見ていた作者ですが、時を経て自分の子をもち改めてこの歌を見ると、作者であるご自身ですら感じ方が変わっていたのかもしれません。

 

発表された当初、「親のおかげでここまで育ってきた」という律儀な若者がいたり、またトマト農家の方からは「勝手に育つことはない!どれだけ手を掛けたことか!」という声があがったりするなど、この歌をきっかけに面白い論争が巻き起こっていたようです。

 

「親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト」の鑑賞

 

【親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト】は、親の思いや行為に関わらず自分で育っていく子どもの姿を詠んだ歌です。

 

親は子を「育ててきた」と言う。生まれたばかりの赤ちゃんは何もできませんから、その頃から世話をしている親としては「オムツ替えも食事も躾もしてきた」という思いになるのも当然です。

 

一方で、放っておいても赤くなっていく畑のトマトのように、自分の力で成長していく子ども。大きくなるにつれて外の世界に出ていき、親が知らないところでぐんと大きくなることもあるでしょう。

 

子どもの視点で見れば、「放っておいてくれても、勝手に育つよ!」という「親から離れて自立している自分」を感じる歌になります。親の存在をうっとうしく感じている中学生・高校生がこの歌を読むと、「自分は自分で勝手に育っていいんだ!」と勇気をもらえるかもしれません。

 

また、親の視点で見ると、手塩にかけて育ててきた子どもがいつの間にか成長していることを感じ、寂しくもあり嬉しくもある心を詠んだ歌に思えます。子育て中の人にとってこの歌は、自分の子をより愛おしく思えるきっかけとなりそうです。また子育てを終えた人にとっては、懐かしさを感じる歌なのではないでしょうか。

 

読む人によって「勝手に」が良くも悪くも感じられ、色々な捉え方ができるこの歌は、世代を問わず心に残り、人生に寄り添ってくれるような一首です。

 

作者「俵万智」を簡単にご紹介!

 

俵万智は、現在も短歌界の第一人者として活躍する歌人です。

 

1962年に大阪府門真市で生まれました。早稲田大学第一文学部日本文学科入学し、歌人の佐佐木幸綱氏の影響を受け、短歌を始めました。1983年には、佐佐木氏編集の歌誌『心の花』に入会。大学卒業後は、神奈川県立橋本高校で国語教諭を1989年まで務めました。

 

1986年に作品『八月の朝』で第32回角川短歌賞受賞。

1987年、第1歌集『サラダ記念日』を出版します。新しい感覚の作品が話題を呼び、この歌集が260万部を超えるベストセラーになりました。『サラダ記念日』は第32回現代歌人協会賞を受賞しています。

 

高校教師として働きながらの活動でしたが、1989年に橋本高校を退職。本人曰く、「ささやかながら与えられた『書く』という畑。それを耕してみたかった。」とのことで、短歌をはじめとする文学界で生きていくことを選んだそうです。

 

その後も第2歌集『かぜのてのひら』、第3歌集『チョコレート革命』と、出版する歌集は度々話題となりました。現在(2021年)までに第6歌集まで出版されています。短歌だけでなくエッセイ、小説など活躍の幅を広げ、現在も季刊誌『考える人』(新潮社)で「考える短歌」を連載中。また19966月から毎週日曜日読売新聞の『読売歌壇』の選と評を務めています。20196月からは西日本新聞にて、「俵万智の一首一会」を隔月で連載しています。

 

プライベートでは200311月に男児を出産。一児の母でもあります。

 

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