【短歌の体言止めとは】簡単にわかりやすく解説!効果や使い方・有名短歌の例など

 

短歌は、5・7・5・7・7の31音で思いを表現する定型詩です。

 

そんな短歌には「体言止め」という表現の形があります。

 

「体言止めを使うことでどんな良いことがあるの?」「そもそも体言止めって何?」という方も少なくないと思います。

 

 

今回は、短歌の「体言止め」の意味や効果などについて簡単にわかりやすく解説していきます。ぜひ参考にしてみてください。

 

短歌の体言止めとは?簡単にわかりやすく解説!

 

短歌の体言止めとは、結句(第5句)を「体言」で言い切る修辞法のことです。

 

体言とは、辞書では「自立語の中で、活用がなく、主語となることのできるもの。」と書かれていますが、簡単に言えば名詞・代名詞・数詞のことです。

 

つまり、短歌の最後が名詞・代名詞・数詞で終わっていたら、それは「体言止め」を用いた歌ということになります。

 

<例>これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関(蝉丸)

<例>見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ(藤原定家)

 

1つ目の短歌は百人一首にある有名な歌です。「逢坂の関」という場所の名前(名詞)で終わっています。2つ目は新古今和歌集のなかの一首です。最後の「夕暮れ」は時を表す名詞ですね。

 

また、古典にあるような短歌だけでなく、現代短歌でも体言止めの歌はよく見受けられます。

 

<例>親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト(俵万智)

 

上の歌は「トマト」という名詞で終わっています。このように、「です」「だなぁ」などを付け足さず、名詞・代名詞・数詞そのもので言い切って終わっていたら、体言止めの歌だということが分かります。

 

広義ではその限りではない

短歌においての体言止めは、基本的に短歌の最後:結句(第5句)が体言で終わっていると説明しましたが、広い意味で見るとその限りではありません。

 

「体言止め」という修辞法は一般的な文章でも使われるもので、その定義は「文末が体言で終わること」とされています。この視点で短歌を見ると、結句(第5句)以外にもそれぞれの句の終わりで、体言止めが使われていると言えるものもあります。

 

<例>清水へ祇園をよぎる桜月夜/こよひ逢う人/みなうつくしき(与謝野晶子)

 

/の部分で2回、体言止めが使われています。このような歌も、広義では「体言止めを用いた歌」ということができます。

 

短歌の体言止めの効果

 

短歌の体言止めには、主に2つの効果があります。

 

① 特定の言葉を強調し、余韻や余情を生じさせる

体言止めを用いると、止めた部分の言葉を読者に印象付けることができます。

 

親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト

 

この歌を読んだ読者は、「トマト」の映像が強く印象に残ります。そして、そのトマトがこれからもっと赤くなるのか、すぐに収穫されて食べられるのか… おいしそうだな、まだ酸っぱいかな… といった想像が広がっていきます。

 

このように、体言止めには、言葉を強調してさらに余韻や余情を生む効果があるのです。

 

② 短歌にリズムが生まれる

体言止めを使うことで、短歌の中にリズムが生まれます。

 

リズムが生まれることで読者にとっては読みやすく、情景を思い浮かべやすくなります。これは一般的な文章で考えると分かりやすいと思います。

 

<体言止めを使っていない文>

  • 駅前のケーキ屋には、たくさんのケーキが並んでいる。私はショートケーキを買った。

 

<体言止めを使うと…>

  • 駅前のケーキ屋。たくさんのケーキが並ぶ中、私はショートケーキを買った。
  • 駅前のケーキ屋に並ぶ、たくさんのケーキ。私はショートケーキを買った。
  • 駅前のケーキ屋には、たくさんのケーキが並んでいる。私が買ったのはショートケーキ

 

このように、体言止めを使うことで文の中に流れる部分や小休止の部分ができ、リズムが生まれます。

 

短歌には5・7・5・7・7という定型のリズムがありますが、体言止めはその枠の中で「読んだときのリズム・印象」に変化をつける方法でもあります。

 

体言止めの使い方やコツ・注意点

 

体言止めの短歌をつくるのは、難しいことではありません。

 

単純に言えば、名詞・代名詞・数詞で終わる部分をつくってしまえばもうそれで「体言止めの短歌」になります。しかし、せっかく使うならより効果的に使いたいですよね。

 

体言止めを効果的に使う一番のコツは、強調したい言葉や印象付けたい場面で用いるということです。

 

短歌の中で、「この言葉を印象付けたい」「この情景を読者にしっかり想像してほしい」という部分を決め、そこに体言止めを使ってみましょう。

 

また、体言止めを使うときの注意点は、「使いすぎると逆効果になる」ということです。これも一般の文章で考えると分かりやすいです。

 

<体言止めを使いすぎている文>

駅前のケーキ屋。たくさん並ぶケーキ。私が買ったのはショートケーキ。

 

このように、体言止めを多く使った文は何を強調したいのかがよく分からず、曖昧な印象になってしまいます。また、なんだか物が並んでいるような、躍動感のない文になってしまいます。

 

短歌においても同じことが言えます。意図的に体言止めを何度も使う歌もありますが、特に理由がなければ体言止めの多様は避けることをおすすめします。

 

体言止めを用いたおすすめ有名短歌【5選】

 

<三夕の歌>

  • さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮(寂蓮法師)
  • 心なき身にもあはれは知られけりしぎたつ沢の秋の夕ぐれ(西行法師)
  • 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ(藤原定家朝臣)

この3首は、合わせて「三夕(さんせき)の歌」と呼ばれています。新古今和歌集に収録されている、「秋の夕暮れ」を結びとした名歌です。どの歌も体言止めによって、秋の夕暮れ時の情景が読者の印象に残る歌になっています。秋の夕暮れを想像するだけで、美しさと寂しさを感じるのは、日本人ならではの感覚でしょうか。

<現代短歌>

  • 毛糸編む乙女の指のやさしくてたとえばゆるるコスモスの花(宮澤きの江)

毛糸を編んでゆく指の動きを風に揺れ動くコスモスの花に例えた、比喩が美しい歌です。実際には毛糸を編む少女の指がそこにあるのですが、この歌を読んだ読者が想像するのは、指よりも「風に揺れるコスモスの花」の方ではないでしょうか。少女の指の動きよりもコスモスの花を強調させる、体言止めの効果が感じられます。

<現代短歌>

  • この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日(俵万智)

短歌に詳しくない人でも知っているような、有名な一首です。「サラダ記念日」というのは作者(または歌の主人公)の造語ですが、一度聴いたら忘れられないほど読者の心に強く印象付けられます。これも体言止めの効果と言えるでしょう。「サラダ記念日」という五感の良さも、体言止めによってさらに引き立っているように感じられます。

 

さいごに

 

この記事では、短歌の「体言止め」の意味や効果などについて解説しました。

 

古くから存在する表現方法でありながら、今の日本語でも効果的に使われているということがお分かりいただけたでしょうか。

 

短歌に体言止めをうまく取り入れることで、歌の雰囲気そのものや読者が読んだときの印象をガラッと変化させることができます。

 

興味のある方は、ぜひ体言止めを用いた歌づくりにチャレンジしてみてくださいね!