【海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど

 

日本の和歌史上、和泉式部以来の情熱歌人と称された「与謝野晶子」。

 

彼女の短歌といえば、女性の自由を歌った情熱的な歌を思い浮かべるかもしれませんが、幻想的・浪漫的な作品も数多く残しています。

 

今回はその中から、気弱な女性の一面が見え隠れする歌「海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家」をご紹介します。

 

 

本記事では「海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家」の詳細を解説!

 

海恋し 潮の遠鳴り かぞへては 少女となりし 父母の家

(読み方:うみこいし しおのとおなり かぞえては おとめとなりし ちちははのいえ)

 

作者と出典

作者は、「与謝野晶子(よさの あきこ)」です。

 

激しい恋情と若い女性の官能を大胆に歌い上げた第一歌集『みだれ髪』により、明治の歌壇に大きな影響を与え一時代の歌風を方向付けました。

 

この歌の出典は、1905年に刊行された『恋衣』で、与謝野晶子・山川登美子、増田雅子の合著詩歌集です。この中には、弟への想いを詠んだことで有名な【君死にたまふことなかれ】の歌も収録されています。

 

現代語訳と意味(解釈)

この歌を現代語訳すると・・・

 

「故郷の海が恋しい。遠くから聞こえてくる波の音を数えては、少女へと育っていった懐かしいあの父母の家よ」

 

という意味になります。

 

「海恋し」というストレートな心情が、少女時代への懐旧や故郷への思いを印象強く表現しています。打ち寄せる遠い潮鳴りのように、読む人の心にも優しく鳴り響くような名歌です。

 

文法と語の解説

  • 「海恋し」

名詞「海」+形容詞「恋し」の終止形です。

恋しは「恋しい、懐かしい」といった意味がありますが、対象は人だけでなく、物や場所にも使われます。

 

  • 「潮の遠鳴り」

潮とは波の音のことで、遠鳴りは遠くから響いてくることを指します。

「潮の遠鳴り」で、「遠くから聞こえてくるうち寄せる波の音」を表しています。

 

  • 「かぞへては」

「数(かぞ)ふ」の連用形+接続助詞「て」+係助詞「は」の形式で、「かぞえては」となります。

数を数える姿に、少女らしい無邪気さや波の音をいつくしむ様子が感じられます。

 

  • 「少女となりし」

「少女」と書いて「をとめ」と読ませていますが、ここでは「若い娘」のことを表しています。

 

  • 「父母の家」

この歌では「生まれ育った家」のことを示しています。

 

「海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家」の句切れと表現技法

句切れ

句切れとは、意味や内容、調子の切れ目を指します。歌の中で、感動の中心を表す助動詞や助詞(かな、けり等)があるところ、句点「。」が入るところに注目すると句切れが見つかります。

 

この歌の場合は、初句の「海恋し」が形容詞の終止形で言い切っていることから、初句切れ」になります。

 

「海が恋しい」と詠嘆そのまま歌い上げ、遠い故郷への恋い慕う気持ちから一首をはじめています。読む人の関心を惹きつけ、「なぜ海が恋しいと感じたのだろう」と二句目以降の展開を期待させます。

 

体言止め

体言止めとは、文末を助詞や助動詞ではなく、体言(名詞・代名詞)で結ぶ表現方法です。

 

文を断ち切ることで言葉が強調され、「余韻・余情を持たせる」「リズム感をつける」効果があります。

 

この歌も「父母の家」と体言で結んでおり、両親への思いを余韻を残して歌い上げています。

 

「海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家」が詠まれた背景

 

与謝野晶子は、大阪府堺市甲斐町の老舗和菓子屋・駿河屋の三女として生まれました。現在、生家は残っておらず跡地には「海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家」の歌碑があります。

 

生家跡は、今となっては町の中心部になってしまいましたが、かつては大阪湾が近かったといわれています。少し遠くから聞こえてくるかすかな波の音を聞きながら、少女の時を過ごしたのでしょう。

 

成長した晶子は、不倫関係にあった鉄幹との愛を貫き22歳で実家を飛び出したため、地元での信用も失ってしまいました。『みだれ髪』で時代の旗手として脚光を浴びた後も、出身校では卒業生として認められなかったとも言われています。

 

どんなことがあっても帰れないと苦労を承知で飛び出したはずですが、歳を重ねていくうちに捨て去った故郷や父母への思いが生まれたのでしょう。

 

この歌を詠んだのは晶子が25歳の頃で、すでに二児の母になっていました。東京という華やかな都会の生活を送る中、ふと感じた望郷の念を率直な表現で詠んでいます。

 

「海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家」の鑑賞

 

「やわ肌の晶子」と呼ばれ、激しい恋情を歌い上げる印象が強くありますが、故郷への想いとかすかに悔恨の念すら感じられる一首です。

 

すでに「少女となりし」晶子は、結婚も出産も経験したからこそ、幼き日に注がれた父母の深い愛情に気付き、感傷に浸っているのかもしれません。

 

生家を単に家ではなく「父母の家」と詠んだ事で、より守られて育った可憐な少女期を連想させます。

 

ロマンを感じさせる「遠い潮鳴り」という言葉には、海の音が遠くから聞こえてくる様子を表していますが、この「遠い」は通り過ぎていった思春期への時間的な感覚も含まれているように感じます。

 

かすかに聞こえてくるような潮鳴りに読み手も耳を澄まし、生家と同様に過ぎ去った時代を懐かしむ気持ちが伝わりますね。

 

この歌の最大の魅力は、「父母の家」を恋しいと詠むのではなく、普遍的な「海」に焦点を当て、潮騒の音と望郷の念を一体化させたところにあるといえるでしょう。

 

作者「与謝野晶子」を簡単にご紹介!

(与謝野晶子 出典:Wikipedia)

 

与謝野晶子(1878年~1942年)は、明治から昭和にかけて活躍した女流歌人です。本名は与謝野(旧姓は鳳)志ようといい、ペンネームを晶子としました。

 

幼少の頃から父の蔵書を読みふけり、特に『源氏物語』など古典文学に親しみました。この経験からか、晶子の詠む歌には、古典の息吹が豊かに取り入れられています。このことについて、晶子自身が「万葉集や古今集を少しも古臭いとは思わない」と述べていることから、大きな影響を受けていることがわかります。

 

20歳の頃、実家の手伝いをしながら和歌を投稿しはじめますが、1900年に開かれた歌会で歌人・与謝野鉄幹と運命的な出会いが訪れます。

 

当時はお見合い結婚や政略結婚が当たり前であり、縁談相手は自分の意思ではなく親が決めるものでした。しかし晶子は、憧れの詩人であり、既婚者でもあった与謝野鉄幹に惚れこんでしまい、彼の後を追うため実家を飛び出してしまいます。

 

鉄幹の編集により刊行された処女歌集『みだれ髪』は、従来の女性像を打ち破る革新的な歌にあふれ、道徳観に縛られていた女性や少女たちから熱狂的な支持を得ました。

 

また晶子の著作で最も有名な歌に、1904年に発表した「君死にたまふことなかれ」があります。この歌は、日露戦争の真っ只中にあって、内容が国賊的であると激しい批判を受けました。

 

これに対し「誠の心を歌わぬ歌に、何の値打ちがあるでしょう」と反論し、一歩も退くことはありませんでした。

 

生涯5万首もの歌を残していますが、創作意欲は短歌だけに留まらず、古典文学研究や婦人運動の評論活動、教育活動など、社会に貢献する大きな功績を残しました。

 

「与謝野晶子」のそのほかの作品

(与謝野晶子の生家跡 出典:Wikipedia