日本の伝統文芸のひとつ「短歌」。歌を詠むことが必須の教養であった時代もありました。
今回は、平安時代の歌物語『伊勢物語』の125の章段の中の第23段にある歌「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」をご紹介します。
筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに
女、返し、
くらべこし ふりわけ髪も 肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき
伊勢物語 筒井筒
東京国立博物館 pic.twitter.com/qAmqwa7dy3
— ももんがーZ (@amemomo_M) March 18, 2019
本記事では、「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」の意味や表現技法・句切れについて徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」の詳細を解説!
筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに
(読み方:つついつの いづつにかけし まるがたけ すぎにけらしな いもみざるまに)
作者と出典
この歌の作者の名前は伝わっていません。つまり、「詠み人知らず」の歌です。
この歌の出典は『伊勢物語』(第23段 筒井筒)です。
『伊勢物語』とは平安時代の歌物語です。歌物語とは、和歌とそれにまつわるエピソードをつづったもの。『伊勢物語』では、とある男の元服(成人式のようなもの)から死までのエピソードと、その折々の歌が125の章段でまとめられています。
『伊勢物語』の中でこの男の名をはっきりとは言及していませんが、古来からこの人物は歌人・在原業平(ありわらのなりひら)であると見なされてきました。しかし、すべてのエピソードが在原業平のものであるとも言い切れません。
在原業平は上流階級の貴族ですが、今回取り上げる「筒井つの…」を詠んだ男性は、在原業平よりももっと下流の階層の者だと推測できます。
『伊勢物語』は、正確に在原業平の事績を伝える書物ではなく、当時流布していた歌にまつわる物語を集めた読み物であったと考えられるのです。
現代語訳と意味(解釈)
この歌の現代語訳は・・・
「庭の井戸をかこむ、井筒(井戸の枠)と比べたりして遊んだ私の背丈もずいぶん大きくなったのですよ、あなたにお会いしないうちに。」
となります。
幼馴染の男女の、男性の方が女性に向けてプロポーズしたときの歌です。
文法と語の解説
- 「筒井つの」
「筒井」は、筒のように掘った井戸のことです。
「つ」は言葉の調子を整えるための言葉と考えられます。
「の」は格助詞です。「筒井つの」ではなく、「筒井筒」としている写本もあります。
- 「井筒にかけし」
「井筒」は井戸の地上部の、枠のことです。
「かけし」は動詞「かく」の連用形「かけ」+過去の助動詞「き」連体形「し」、比べた、という意味です。
- 「まろがたけ」
「まろ」とは、「私」という意味です。
「が」は格助詞です。「~の」という意味です。
「たけ」は、背丈、身長のことです
- 「過ぎにけらしな」
「過ぎにけらしな」は、動詞「すぐ」連用形「すぎ」+過去推定の助動詞「けらし」の終止形+詠嘆の助詞「な」です。
この場合の「すぐ」は、背丈が大きくなったということで、「すぎにけらしな」で、大きくなったのですよ、という意味です。
- 「妹見ざるまに」
「妹」は、恋人の女性を指す言葉です。妻、と訳すこともありますが、これはプロポーズの歌なので、妻と訳すとやや違和感がありますね。親しみを込めて、女性に呼びかける言葉です。
「見ざる」は、動詞「見る」未然形「見」+打消しの助動詞「ず」連体形「ざる」
「に」は格助詞です。
「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」の句切れと表現技法
句切れ
句切れとは、一首の中で大きく意味が切れるところを言います。普通の文でいえば、句点「。」がつくところです。読むときにもここで少し間をおいて読むとよいとされます。
この歌は、四句目「過ぎにけらしな」で一旦意味が切れますので、「四句切れ」の歌です。
倒置法
倒置法とは、普通の言葉の並びをあえて逆にすることで、印象を強める表現技法です。
この歌の四句と結句は、普通の言葉の並びでいえば・・・
「妹見ざるまに 過ぎにけらしな」
(意味:あなたにお会いしないうちに、ずいぶん大きくなったのですよ。)
となります。
倒置法を用いて、幼馴染だった女性にたいして、成長した今、幼い頃とはちがう恋い慕う気持ちがあることを強調しています。
「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」が詠まれた背景
この歌は、『伊勢物語』の23段にある話の歌です。話の内容を簡単にご紹介します。
昔、幼馴染の男女が井戸の周りで身長を比べるなどして遊んでいた。 二人は成長し、お互い顔を合わせるのが気恥ずかしく、なんとなく疎遠となってしまった。しかし、男はこの女性を妻にしたいと思っていた。女性の方もこの男性でなければ、と考えて、親のすすめる縁談にも見向きもしなかった。そして、男は女に以下の歌を送った。
「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」
(意味:庭の井戸をかこむ、井筒(井戸の枠)と比べたりして遊んだ私の背丈もずいぶん大きくなったのですよ、あなたにお会いしないうちに。)
「くらべこしふりわけ髪も肩過ぎぬ君ならずしてたれかあぐべき」
(意味:くらべあった髪の長さも、私は肩を過ぎて伸びました。あなたのためでなくてどなたのために髪をあげましょうか。 ※髪をあげるとは、女性が成人し、結婚できることを示す。)
こうして二人は夫婦になった。しかし、女性の方は親も亡くし、生活も徐々に不如意になっていった。男には、河内国高安郡(かわちのくにたかやすのこおり。大阪府。)に、別に通う女性ができた。妻は、何一ついやな顔をせず男を送り出してくれる。男は、妻も別の相手がいるのではないかと疑い、ある時、河内に出かけたふりをして庭の植え込みに隠れて様子を見ていた。
妻は夫がこっそり見ているとも知らず、歌を詠んだ。
「風吹けば沖つしら浪たつた山よはにや君がひとりこゆらむ」
(意味:風が吹けば、沖には白い波が立つだろう、立つといえば、気にかかるのはたつた山のこと、夜中に我が夫は一人山越えをしているのだろうか、心配なことよ。)
一人このような歌を詠んで己の帰りを待つ妻のことがいじらしく、かぎりなく愛おしくおもえて、男は河内の女性のところへ通うことをやめてしまった。
長年想い続けた幼馴染の二人が結ばれ、一時期は夫婦の危機を迎えるも女の気立ての良さからよりを戻すという内容が、歌を絡めてつづられています。実は、この話にはまだ続きがありますが、長くなるので後半は省略します。
この章段は「昔、田舎わたらひしける人の子ども…」と始まります。この章段に出てくる男女は「田舎わたらひ(地方を回って生計をたてること)」をする家の生まれです。「田舎わたらひ」が具体的に何の職業かはっきりしませんが、地方を回る下級官僚・行商人などが考えられます。
『伊勢物語』は歌人、在原業平をモデルにしていると言われますが、在原業平は上流貴族でした。つまり、この筒井筒の男は業平とは違う人物であると考えられます。
「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」の鑑賞
この歌は、初恋の気持ちを忘れずに持ち続けた男の優しい恋の歌です。
「つついつのいづつに…」という部分で、「つ」の音が繰り返され、独特の調子を生んでいます。
男は、子どもの頃の背比べと自分の背丈がのびたことを詠み、女は返歌の中で髪の長さを比べて遊んだことと自分は髪が長くなったことを詠っています。
子どものころは男女の別なく遊んでいたが、成長するにつれてお互いに男女の仲を意識するようになったことがうかがわれます。
幼い日に遊びの記憶も歌に詠み込み、微笑ましく、初々しい印象のある恋歌です。捻りなく、歌意がとらえやすいので、親しみやすいのもこの歌の特徴です。
この歌がもとになって、現代でも幼馴染から恋人になった男女のことを、「筒井筒の仲」といったりもします。
『伊勢物語』のそのほかの作品
(風流錦絵伊勢物語 出典:Wikipedia)
- 君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも
- 白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを
- 世の中に たえて桜の なかりせば 春の心はのどけからまし
- 忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏みわけて君を見むとは
- から衣 きつつなれにしつましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ
- 月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして