古典文学の時代から日本に伝わる詩のひとつに短歌があります。
五・七・五・七・七の三十一文字で自然の美しい情景を詠んだり、繊細な歌人の心の内をうたい上げます。
今回は、女性として初といわれる全共闘の闘争を正面から詠んだ歌人・道浦母都子の歌「秋草の直立つ中にひとり立ち悲しすぎれば笑いたくなる」をご紹介します。
【つぶやき短歌♥ Kの一首入魂】459≪秋草の直立つ中にひとり立ち悲しすぎれば笑いたくなる≫道浦母都子 メランコリーな秋をとても上手く表現していると思った1首☆悲しすぎれば笑いたくなると逆説を使った強調が、とっても効果的で心に残ります(Smile) #jtanka #tanka
— つぶやき短歌♥63K (@munekyunkomachi) September 11, 2011
本記事では、「秋草の直立つ中にひとり立ち悲しすぎれば笑いたくなる」の意味や表現技法・句切れについて徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「秋草の直立つ中にひとり立ち悲しすぎれば笑いたくなる」の詳細を解説!
秋草の 直立つ中に ひとり立ち 悲しすぎれば 笑いたくなる
(読み方:あきくさの すぐたつなかに ひとりたち かなしすぎれば わらいたくなる)
作者と出典
この歌の作者は「道浦母都子(みちうら もとこ)」です。
全共闘運動についてドキュメンタリータッチで回想した歌集『無援の抒情』で現代短歌協会賞を受賞、歌壇という枠を超えて同世代の大きな共感を得た歌人です。
また、この歌の出典は昭和62年(1987)刊、道浦母都子の『無援の抒情』『水憂』に次ぐ第三歌集『ゆうすげ』です。
ゆうすげはユリに似た細長い花が夕方にひらいて、翌日の午前中にしぼむ植物の名前です。「ゆうすげ」は実在する植物の名前ですが、作者のほかの歌集のタイトルは造語です。
現代語訳と意味(解釈)
この歌は現代語で詠まれています。
「まっすぐに伸びる秋草の中にひとりで立って、悲しすぎると笑いたくなるものだ」
という意味になります。
この歌が作られたと思われる時期は、不妊治療をしていたと思われる時期と重なります。「悲しすぎる」と作者が表現するのは子供ができなかったことなのかもしれません。
文法と語の解説
- 「秋草の」
「秋草」は秋に花が咲く草本の総称です。俳句では、秋の季語であり、「秋草の」は結ぶにかかる枕詞となっています。
- 「直立つ中に」
「直ぐ」は「すぐ」と読み、まっすぐという意味です。この句の「に」は、時間的・空間的・心理的なある点を指定する格助詞です。
- 「ひとり立ち」
「ひとり」は「一人」または「独り」と書きます。「一人」と表記した場合には人数に重点がおかれます。この句では、自分だけで相手がいない様という意味が妥当です。
- 「悲しすぎれば」
「すぎる」は漢字で「過ぎる」と表記し、適当な度を超すという意味です。動詞「すぎる」の仮定形「すぎれ」に接続助詞の「ば」がついたものです。後続する文の内容が先行する文から予想、推論される場合に用いられます。
- 「笑いたくなる」
動詞「笑う」の連用形に願望を表す助動詞の「たい」の連用形、動詞の「なる」です。
「秋草の直立つ中にひとり立ち悲しすぎれば笑いたくなる」の句切れと表現技法
句切れ
この歌に句切れはありません。
上の句と下の句の間に直接の関係はないように感じられますが、下の句の心情を上の句の映像が助けている一首です。
表現技法
表現技法として目立つような技法は用いられていません。
わかりやすい言葉で誰でも容易に読み下すことができます。
「秋草の直立つ中にひとり立ち悲しすぎれば笑いたくなる」が詠まれた背景
道浦母都子は、早稲田大学に在学中、全共闘運動に参加します。その時の体験を回想して書かれた処女歌集『無援の抒情』は、ベストセラーになっています。
また、二十代から三十代にかけて二度の結婚と離婚を経験します。二度目の結婚生活では、不妊にも苦しみました。
作者は、父によく「母都子が男だったら」と言われ、「若いころは女性に生まれたことが失敗だと思っていた」と語っています。しかし、子供ができずに不妊治療を行う中で考えが変化したといいます。
「子供を育てることで、見えてくる世界がきっとあるはずです。でも、私は永遠にその窓を開けることができない。子供は希望なのだと心から思います。」(本人談)
離婚と前後して出版されたのがこの句が収められている歌集『ゆうすげ』です。
この歌は、うまくいかなくなっていた家庭生活や子供ができなくて苦しんでいた時期に詠まれたのかもしれません。
「秋草の直立つ中にひとり立ち悲しすぎれば笑いたくなる」の鑑賞
【秋草の直立つ中にひとり立ち悲しすぎれば笑いたくなる】は、その時の心情をストレートな言葉で表現し、情景描写がそれをさらに強める効果を感じさせる歌です。
初句、「秋草の」は秋の草というものであると同時に、秋という季節とその色彩を感じさせます。にぎやかな夏が終わり寒い冬に向かう季節であり、草花も寂しげな色になります。
そして、そんな秋の草が「直立つ中にひとり立ち」と言葉が続きます。
肌寒い、秋草の生える風景にひとりで立っているという情景を思い浮かべると、もの悲しさや諦めの気持ちを共感することができます。
「悲しすぎれば笑いたくなる」という言葉は、何がということを限定しないことで、読む人それぞれが自分の経験を思い起こし、共感することができます。
一見、上の句と下の句がつながらないようですが、上の句の情景が実際の風景であっても、心理的な風景であっても、「悲しみが度を超すと笑いたくなる」という心情を補う場面として必要であったと感じます。
また、この歌は、中学校の教科書に掲載されたことがあります。悲しすぎると笑いたくなるということを実感できる子供は少ないかもしれませんが、読みやすいので印象に残るかもしれません。
大人になって改めて読んだときに実感を伴うという経験をする方も少なくないでしょう。
作者「道浦母都子」を簡単にご紹介!
催涙ガス避けんと秘かに持ち来たるレモンが胸で不意に匂えり
道浦母都子『無援の抒情』1970年学園闘争の歌。
道浦は、早稲田大学在学中に「未来」に入会した。 pic.twitter.com/e5UA64QKpj— 加藤治郎 (@jiro57) December 6, 2015
道浦母都子は、全共闘運動について率直に詠んだ歌人です。生年は1947年(昭和22)で、和歌山県に生まれました。
初デートから帰った晩に詠んだ歌を朝日歌壇に投稿したところ入選し、それをきっかけに歌作を始めます。
大阪北野高校から早稲田大学に進学し、全共闘運動に参加します。闘争そのものを詠んだ歌が脚光を浴びていますが、それだけでなくその過程で進行する恋の瑞々しさや女であることの苦しみを見つめる歌も多くあります。
昭和46年(1971)、24歳のときに、近藤芳美の自宅を訪ねて入門、歌誌「未来」に入会します。
昭和55年(1980)に出版された『無援の抒情』と並び、結婚生活や離婚の苦しさを詠った『風の婚』(1991年)が代表作です。
「道浦母都子」のそのほかの作品
- ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いゆく
- 催涙ガス避けんと秘かに持ち来たるレモンが胸で不意に匂えり
- 人知りてなお深まりし寂しさにわが鋭角の乳房抱きぬ
- 父母の血をわたくしで閉ざすこといつかわたしが水になること
- <世界より私が大事>簡潔にただ率直に本音を言えば