【子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る】徹底解説!!意味や表現技法・句切れ・鑑賞文など

 

短歌は、5・7・5・7・7の31音で思いや考えを表現する定型詩です。

 

日本特有の短い詩は、『百人一首』が作られた平安時代に栄えていたことはもちろん、古代から1300年を経た現代でも多くの人々に親しまれています。

 

今回は、河野裕子の歌「子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る」をご紹介します。

 

 

本記事では、子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。

 

「子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る」の詳細を解説!

 

子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る

(読み方:こがわれか われがこなのか わからぬまで こをだきゆにいり こをだきねむる)

 

作者と出典

この歌の作者は「河野裕子(かわの ゆうこ)」です。

 

戦後を代表する女性歌人で、平成の与謝野晶子とも呼ばれました。自身が日々を過ごす中で詠んだ歌が多く、特に 同じく歌人である夫・永田和宏さんと交わした相聞歌は有名で、何百首も残されています。乳がんと闘病の末、2010年に亡くなりました。

 

また、この歌の出典は『桜森』です。

 

1980年(昭和55年)に蒼土舎より発行された、河野裕子の第3歌集です。作者はこの歌集により第5回現代短歌女流賞、京都市芸術新人賞を受賞しました。絶版になり古本もあまり出回らず、しばらくの間は入手することが困難でしたが、2011年に蒼土舎:ショパンより新装版が刊行されました。

 

現代語訳と意味 (解釈)

 

この歌は、古い仮名づかいを用いてはいますが、現代語で詠まれている歌です。

 

現代風の言い回しにすると・・・

 

「子どもが私なのか私が子どもなのか、わからないくらいまで、子どもを抱いてお風呂に入り、子どもを抱いて眠る。」

 

といった内容になります。

 

文法と語の解説

  • 「子がわれかわれが子なのか」

「子」…子どものこと。この歌では主人公自身が育てている子どもを指しています。

「われ」…自分。この歌の主人公を指します。

「か」…終助詞「か」。疑問あるいは反語の意味を表します。

「なのか」…助動詞「だ」連体形+格助詞「の」+終助詞「か」

 

  • 「わからぬまで」

「わからぬ」…動詞「分かる」未然形+打消しの助動詞「ず」。分からない、の意味。

「まで」…副助詞。~ほど、~くらいに、の意味。

 

  • 「子を抱き湯に入り子を抱き眠る」

「抱き」…この歌では、「抱っこ」のことを意味しています。

「湯」…この歌では風呂のことを指します。

 

「子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る」の句切れと表現技法

句切れ

この歌に句切れはありません(句切れなし)歌全体で一つの文になっています。

 

弱い区切りがあるとするならば、第3句の後「わからぬまで/子を抱き」のところで少し場面転換があるようにも取れます。

 

字余り

3句「5音」になるところを「6音」にしています。何かしらの効果を狙って字余りにしたというよりは、詠んだら自然に1音余った、といった印象です。

 

反復法

反復法とは、同じ言葉や、同じ句を何度も繰り返す技法です。

 

この歌では「われ」という言葉が2回、「子」という言葉が4回使われています。同じ言葉を繰り返すことによって、歌自体を強く読者に印象づける効果を生み出していると言えます。

 

「子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る」が詠まれた背景

 

作者である河野裕子さんは、生涯で作った作品数は数万になるのではと言われるほど、とても多作な歌人です。

 

自身の恋愛や家族のことを詠んだものがほとんどで、それは彼女が日常の中で自然に歌を詠んでいたためでしょう。

 

「子がわれか…」の歌は、彼女が子育てをしてまだ数年…子どもたちが幼いころに詠まれました。東京から京都に帰り住んだ、右京区にある仁和寺の近くでの暮らし。決して綺麗とは言えない古い長屋で、子育てに奮闘していました。

 

この家でわたしは、「子がわれか…(中略)」のような勢いのいい歌を作って精いっぱい自分を励ましていた。

(出典:わたしの京都 2001年12月)

 

幼い子どもと過ごす、目まぐるしい日々。毎日の家事育児を頑張らなければならない。家族がどれだけ協力的であっても、母親は自分しかいない。「精一杯、自分を励ます」。そうでもしないと、やっていられない!…子育て経験がある方は強く共感されるのではないでしょうか。

 

そんな「自分を鼓舞する歌」のひとつとして生まれた作品なのだそうです。

 

「子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る」の鑑賞

 

【子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る】は、何気ない子育ての場面に、子育ての大変さや幸福感を詠んだ歌です。

 

特に乳幼児のような幼い子どもを育てていると、朝起きてから夜眠るまで…寝ている間も、夜中から朝までずっと…と、四六時中子どもとくっついて過ごすということも珍しくありません。

 

そんな日々に、作者は「子どもと自分の境がわからないくらい」という気持ちになったのでしょう。それは本当に大変で、でも本当に幸せな時間。子育ての疾走感と、疲労、必死さ、でもそんな日々が愛おしい。たくさんの感情を同時に抱いていることが、この1つの作品に見事に込められています。

 

子育ては大変なものだ、ということは誰もが「知っている」「思っている」ことですが、「実際に感じる」ことは親になった人にしかできないことです。実際に子育てをしてみて初めて、「こんな大変さがあると知った…」と語る人は本当に多いです。同じように、「こんな幸せがあることも初めて知った!」ということも。

 

今は子育ての経験がないという人も、もしもいつか子育てをするときが来たら、この作品を今とは違った思いで楽しめるかもしれませんね。

 

作者「河野裕子」を簡単にご紹介!

 

河野裕子さんは、1946年(昭和21年)に熊本県で生まれました。

 

中学時代には早くも歌づくりを始め、京都女子大学在学中に第十五回角川短歌賞を受賞しました。平成14年には「歩く」で若山牧水賞・紫式部賞を、平成21年には「母系」で斎藤茂吉短歌文学賞・迢空賞を受賞するなど、生涯を通して、また亡き後も含め、数々の賞に輝きました。

 

夫であり歌人の永田和弘とは歌壇きってのおしどり夫婦と言われています。大学時代に出会い、40年間にわたって交わした相聞歌は、河野さんのものだけでも500首近く残されています。

 

晩年には乳がんを患い、2010年に64歳で生涯を閉じました。亡くなる前日まで短歌を作り続けたと言われています。彼女の死後は、夫・息子・娘ら家族がそれぞれの著書で母:河野裕子について語っています。

 

「河野裕子」のそのほかの作品