短歌は、作者が日常の中で感じたことを5・7・5・7・7の31音で表現する定型詩です。
みそひともじと呼ばれる限られた文字数で心を表すこの「短い詩」は、古代から1300年を経た現代でも多くの人々に親しまれています。
今回は、第1歌集『サラダ記念日』が社会現象を起こすまでの大ヒットとなり、現代短歌の第一人者として今もなお活躍する俵万智の歌「散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑んで枝を離れる」をご紹介します。
「散るという飛翔のかたち花びらは
ふと微笑んで枝を離れる」俵万智梅雨のプロローグ
午後は雨になるのかな
今日が笑顔溢れる素敵な1日でありますように( *˘╰╯˘*) pic.twitter.com/MgHdPFyCgH— *aki* (@Aa4th) June 6, 2016
本記事では、「散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑んで枝を離れる」の意味や表現技法・句切れ・作者について徹底解説し、鑑賞していきます。
目次
「散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑んで枝を離れる」の詳細を解説!
散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑んで枝を離れる
(読み方:ちるという ひやくのかたち はなびらは ふとほほえんで えだをはなれる)
作者と出典
この歌の作者は「俵万智(たわら まち)」です。
文学にあまり親しみがない人も含め、日本ではほとんどの人が名前を知っていると言っても過言ではないくらい有名な歌人です。日常の出来事を分かりやすい言葉選びで表現した短歌は、親しみやすく、それでいて切り口が斬新で、今も多くの人の心を掴んでいます。
また、この歌の出典は『サラダ記念日』です。
1987年(昭和62年)5月に出版された第1歌集です。表題にもなった歌「サラダ記念日」は俵万智の代名詞にもなっています。出版されるやいなや280万部のベストセラーとなり、社会現象となりました。
現代語訳と意味 (解釈)
この歌は現代語で詠まれているため、読み手がそのまま意味を捉えられるものです。内容を噛み砕いて書き直すと、次のような情景を歌っています。
「散るということも、ひとつの飛躍の形だ。桜の花びらは、ふと微笑んで枝を離れていく。」
桜が散ることを「飛躍の姿」ととらえた一首です。
では、語の意味や文法を確かめながら、この歌の真意を読み取っていきましょう。
文法と語の解説
- 「散るという飛躍のかたち」
動詞「散る」のあとの「という」は、「と」の受ける事柄を取り立てて強調する意味をもちます。つまり、「散る」という言葉を強調して読者に印象付ける効果があります。
「飛躍」はただ飛び上がっていることを表しているのではなく、大きく発展して活躍すること、急速に進歩・向上することを意味しています。
「かたち」はあえて平仮名に開くことで、より柔らかくあたたかい印象になっています。
- 「花びらはふと微笑んで」
「花びら」…この歌では桜の花びらのことを指します。
「ふと微笑んで」…「ふと」は副詞の「ふと」ではなく、「ふっ、と」という微笑む様子を表したものだと思われます。
- 「枝を離れる」
「枝」は桜の木の枝のこと。現在形の「離れる」は、まさに花びらが枝から散るその瞬間を表しています。
「散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑んで枝を離れる」の句切れと表現技法
句切れ
この歌は「二句切れ」です。
初句と2句目で「散るということも飛躍のひとつの形だ」という見方を示し、3句目から結句までで実際に花びらが散っていく様を描いています。
擬人法
「花びら」が「微笑む」という表現は「擬人化」によるものです。
実際には花びらが微笑むことはありませんが、擬人化したことによって、花びらがまるで自分の意志で飛び立つかのような印象を持たせています。
「散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑んで枝を離れる」が詠まれた背景
この歌が最初に収録されたのは第1歌集の『サラダ記念日』です。作者は当時24歳でした。
作者は大阪生まれですが、13歳で福井に転居しています。この歌が詠まれたとき、作者は東京に住んでいましたが、桜の歌がどの地での様子を詠んでいるのかは分かりません。
この歌を詠んだ背景について作者自身が取り立てて語ったことはありませんが、「桜の歌」を詠むことの難しさについては、以下のように話しています。
歌人にとって桜の花というのは、画家にとっての富士山のようなもの。多くの先人に多くの名作を作らせた素材というのは、ちょっとやそっとの気構えでは立ち向かえない。下手をすると、歌人のほうが、桜にからめとられてしまうという恐さがある。
「散るという…」の歌は、高校の現代文の教科書にも掲載されています。また、この歌は作者である俵万智が書いた随想「さくらさくらさくら」の本文中に書かれており、歌について作者は次のように述べています。
桜の散る様子を見ていると、それは「終わる」という後ろ向きのものではなく、まさに飛翔しているかのように感じられた。ならば、今散ろうとしている自分の心も、飛翔へと変えることができるかもしれない……。そんな励はげましを、もらったような気がする。
(出典:新編現代文B 東京書籍)
桜が「散る」ということを、視点を変えて前向きに捉えたことで生まれた歌だということがわかります。
「散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑んで枝を離れる」の鑑賞
【散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑んで枝を離れる】は、桜の花が散る様子を前向きにとらえた歌です。
日本人にとって春の象徴であり、生活や心にまで寄り添うような存在の花である「桜」。咲き初めから満開、そして散る様子も含めてとても美しいものですが、「散る」ときには少し切なさや寂しさを感じます。
「散る」という言葉そのものに、マイナスなイメージが含まれているからかもしれません。しかし、この歌ではそれを「飛躍のかたち」と表現しています。散ることは、「終わり」ではなく新たな「始まり」でもある。そう思うと、散っていく花びらたちもどこか誇らしげに見えてきます。
出会いと別れの季節である「春」。桜の花とともに、読者の心まで前向きになるような素敵な一首です。
作者「俵万智」を簡単にご紹介!
俵万智(たわら まち)は、1962年(昭和37年)大阪府門真市出身の歌人です。
13歳で福井に移住し、その後上京し早稲田大学第一文学部日本文学科に入学しました。歌人の佐佐木幸綱氏の影響を受けて短歌づくりを始め、1983年に、佐佐木氏編集の歌誌『心の花』に入会。大学卒業後は神奈川県立橋本高校で国語教諭を4年間務めました。
1986年に作品『八月の朝』で第32回角川短歌賞を受賞。翌年の1987年、後に彼女の代名詞にもなる、第1歌集『サラダ記念日』を出版します。同年「日本新語・流行語大賞」を相次ぎ受賞し、『サラダ記念日』は第32回現代歌人協会賞を受賞しています。
高校教師として働きながらの活動でしたが、1989年に橋本高校を退職。本人曰く、「ささやかながら与えられた『書く』という畑。それを耕してみたかった。」とのことで、短歌をはじめとする文学界で生きていくことを選んだそうです。
その後も第2歌集『かぜのてのひら』、第3歌集『チョコレート革命』と、出版する歌集は度々話題となりました。現在(2022年)は第6歌集まで出版されています。短歌だけでなくエッセイ、小説など活躍の幅を広げています。現在も季刊誌『考える人』(新潮社)で「考える短歌」を連載中。プライベートでは2003年11月に男児を出産。一児の母でもあります。
「俵万智」のそのほかの作品
- 思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ
- 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
- この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日
- 水蜜桃の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う
- 君のため空白なりし手帳にも予定を入れぬ鉛筆書きで
- 親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト
- 愛人でいいのと歌う歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う
- 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
- ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう
- いつもより一分早く駅に着く一分君のこと考える
- なんでもない会話なんでもない笑顔なんでもないからふるさとが好き
- 「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
- 寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら